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シャキッ

「大樹くんーちょっと」


 夕食後、吉岡がやってきた。


 ドアのところから、手招きだ。


 公的な用事、と言う感じはない。


「どうかしました?」


「ちょっと、おじさんとドライブでもどうだい?」


 言葉に、大樹は苦笑した。


 ついにきたか、と言うところだ。


 吉岡が、個人的に話をする可能性に、大樹は二つ心当たりがあった。


 どちらか、だろう。


「はい、よろこんで」


 大樹は、涼しい夏の夜のドライブへと、繰り出したのだ。


「言われることが、何か分かってるようだね」


 ハンドルを握る指が、とんっと軽くそれを叩く動きをした。


「どっちの話かまでは、分かってませんよ」


 答えに、吉岡は軽い笑いを上げた。


「アーシャちゃんの方だよ」


 潮時がきたようだ。


「西脇組に、連れてってくれるんですか?」


 かまをかけられているとは、思わない。


 だから、大樹は素直に認めたのだ。


「おじさん、仲間はずれにされて、ちょっとショックだよ」


 茶化した言葉で言われると、逆に申し訳なくなる。


「いろいろ事情がありまして…吉岡さんが、無理に味方してくれると、職場で問題も出るでしょうから」


 話せば、味方になってくれるのは、分かっていた。


 ただ、後ろ暗いところのある人間に、無条件で味方になってもらうには、リスクが高すぎるのだ。


「そう…だから私も、しらんふりをさせてもらってるよ。私にも隠すということは、調書にも載せる気はないだろうから」


 かさねがさね、頭の上げられない相手だ。


 だから、こんな風にプライベートを装って連れ出してくれたのだろう。


「さて…アポは勿論入れてないから、丁重にあいさつをして門を開けてもらわないとな」


 ふむ、と呟く吉岡。


「吉岡さんが入るのは、立場上危険なのでは?」


 大樹は、それを心配した。


「あはは、私は警察ではないよ…手帳もないし逮捕権もない、しがないおじさんさ」


 しがないおじさんは、ヤクザ宅を訪問できませんよ。


 大樹のツッコミは、かすかにこぼれた笑みに、かき消されたのだった。


 ※


「貴恵、ハサミ縦に入れろ! 変に寝かすな」


 案内された大樹が見たものは――和室いっぱいに敷かれた、ブルーシートだった。


 なに?


 異様な光景に、さすがに大樹も動きを止める。


 シートの上には、いくつも椅子が置かれ、顔だけ見るといかにもヤクザが座っている。


 しかし、彼らの髪は洗われたためか、ぺちゃっとしている上に、全員ケープをかけられていた。


「貴恵、またとないメンズの練習台だ…存分に練習させてもらえ」


「は、はぁい」


 なんと。


 大樹は、ようやく事態を把握してきて、笑いたくなってしまった。


 美容室が、まるごとやってきた騒ぎだ。


 どういういきさつか知らないが、ここで勉強会をしているのだろう。


「ダイキ!」


 彼を見つけたのは、アーシャ。


 いや、最初はアーシャだとは分からなかった。


 長かった黒髪が、すっかりショートになっている。


「様子を見にきたよ…すごいね」


 貴恵にも分かるように、大樹は英語を使う。


「すごいでしょ…最初アーシャだけだったのに、チーフがその辺の組員を片っ端から実験台にしてるの」


 貴恵が、ちらちら大樹の方を見ている。


 アーシャの話を聞きながら、目だけで「分かってる」と気持ちを伝えた。


「パーマでごまかせないからな…カット力を研け」


 びしびしと、チーフの声が飛ぶ。


 これは、終わるまで話は出来そうにないな。


「吉岡さん、ちょっとここで待っててください…挨拶を先にすませてきます」


 後ろの吉岡もまた、この騒ぎに驚いて動けずにいた人だ。


 挨拶、といっても、チーフにするわけではない。


 さすがに、吉岡は会わない方がいい人に、だ。


「アーシャ、組長さんを紹介してもらえるか?」


 現地語で、語り掛けた。


 ※


「初めまして…いろいろお世話になってます」


 着流しの裾を乱して座る組長は、いかにも任侠、という雰囲気だ。


「あー、おめぇさんは、あれだ…アーシャお嬢をたぶらかした男か」


 耳の穴に小指を突っ込んで、組長はおもしろくなさそうに言う。


 まだ、その話は生きているのか。


「はい」


 ウソは一度ついたら、それを守るために、またウソが必要になる。


 新たなそれを積み重ねながら、大樹はまっすぐに答えた。


「まぁ、アーシャお嬢は、おめぇさんに関係なく預かっとるから、挨拶なぞいらんがな」


 大樹の顔を、じろりと睨む。


 アーシャの件で、殊勝な態度をとらなかったのが、よくなかったようだ。


「いえ、美津子さんと貴恵ちゃんの件も…助かりました」


 もう一つのお礼を言うと、組長はますます顔を険しくする。


「あの姐さんたちと、どういう関係でぃ?」


 問いに、昔なら困っただろう。


 隣人ですと、野暮な答えを返していたかもしれない。


「大事な人たちです」


 それと比べれば、随分マシな答えだったはずだ。


 組長は、少し考えるような目の動きをした。


「随分、女をはべらしてるようだが…本命は誰でぃ」


 彼の頭の中で、どんな映像が流れているのだろう。


 大樹は、苦笑してしまった。


「貴恵ちゃんですよ」


 こんなやりとりがあったと知ったら、貴恵も驚くだろう。


 むむむ、と組長はうなる。


「ヤクザものの嫁さんなら、アーシャお嬢か、おっかさんの方が勤まるぞ」


 それは、貴恵が一番、一般人だとほめているのだろうか。


「僕はヤクザじゃありませんから」


 やわらかく打ち返して、丁重にアドバイスを聞き流す。


「ヤクザの組長前にして、そんだけ肝すえてやがるガキの、どこが一般人だってんでぃ」


 ズバンっと、鋭く切られる。


 大樹は困った。


 言い返す言葉が、見つからなかったのだ。


 ※


「大樹!」


 ハサミを持ったまま、貴恵がかけてくる。


 戻りかけの大樹を見つけて、その目がほっと細められた。


「帰ったかと思ったじゃない」


 もー、と不満に変わる。


「吉岡さんは? 残ってなかった?」


 彼がいれば、大樹もいると暗黙に伝えられると思ったのだが。


「あ、そっか…いま、チーフに捕まって座らされてる」


 自分のうっかり具合に笑った後、貴恵は吉岡のことで、もう一度笑った。


「すごいね…ここを美容室にするなんて」


 ヤクザの組長宅に寝泊りするようになった直後、この騒ぎだ。


 普通の神経では、無理だろう。


「うちのチーフが、そこらへん乱暴で…母さんよりは、マシだけど」


 美津子の狼藉ぶりは、ここでも健在らしい。


「もうしばらく、不都合かけるけど…ごめんね」


 ドタバタしてばかりで、貴恵とゆっくり話をする時間も作れなかった。


 アーシャがきたところから、ずっと。


「大丈夫…一人じゃないし」


 ようやく、ハサミにかけていた指を抜きながら、貴恵は笑う。


 特殊な状況下なのに、こうして貴恵といると、これが日常に感じる。


 大樹の身体にしみついた、貴恵スイッチのおかげだ。


「大樹は、いつ頃社会復帰するの? 仕事のカン、にぶっちゃったんじゃない?」


 綺麗に閉じたハサミ。


 それが、貴恵の仕事道具。


「まだわからない…けど」


 貴恵には、三ヶ月の隠し事がある。


 だからこそ、これからの隠し事はできるだけしないようにしたい。


 だから。


「前の会社には、勤められないかもしれない…吉岡さんと、いろいろ相談するよ」


 大樹は、貴恵に自分の予想を明らかにした。


 ハサミに指を差し直した貴恵は、軽やかにシャキッと鳴らしてみせる。


 それに、ハッとした。


 まるで、悪い空気を断ち切るかのような音。


「大丈夫…大樹は賢いし、生き延びる力もある。味方もいる…だから、きっと次の道が見つかるよ」


 彼女の、凛々とした言葉よりも。


 その、大樹を誇らしく思う笑顔に、見とれてしまった。

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