ムッツリ
○
貴恵が、夜、仕事から帰ってきたら――アパートの前に、女の子が落ちていた。
大樹の部屋の前。
またあの母親が、ホステスを遣いに出したのかと思ったが、座り込んでいて、様子が変だ。
普通のシャツとジーンズ。
見るからに若い出で立ち。
そして、頼りないボロアパートの光でも分かるほど、褐色の肌をしていて。
が、外国人だっ。
彼女の方に顔を向けたので、それが分かった。
なんで、大樹の家の前に、外国人の女の子が!
労働基準法とか、就労ビザとか、変な言葉が頭をよぎる。
こんな子が、水商売に走るというのだろうか。
驚きつつも、彼女は自分の部屋のカギを開けた。
すっく。
その瞬間、女の子は真っすぐに立ち上がり、貴恵の方へ近づくではないか。
ひ、ひぇー。
何か反射的にやばいと思い、部屋のドアに背中を張りつける。
女の子は、貴恵の前に立つ。
日本人にはない彫りと濃い目元。
インドかアラブか、とにかくそちらよりだ。
その濃い目元から、大粒の涙がこぼれだす。
「……――!」
そして、解読不能の言葉を吐くのだ。
いや、わ、わからないから。
異常事態に、彼女が固まっていると。
「――ダイキ…!」
言葉の中に、その単語が混じった。
って、ええー!
この子は、大樹の知り合いなのか。
貴恵は、茫然と女の子を見つめてしまった。
※
よかった、英語話せるじゃん、この子。
貴恵は、その事実にほっとした。
とりあえず部屋に上げて、口にあうか分からないが、麦茶を出す。
「大樹は、いまどこにいるんですか?」
必死な顔で、彼女は大樹の所在を聞いてくる。
大樹、大樹の一点張りだ。
「まず、あなたの名前、どこの国からきたのか、大樹に何の用か」
それが分からなければ、連絡してやりようもない。
吉岡の連絡先は聞いているので、内容によっては取り次がないことはないが――
むこうで、引っ掛けてきた子とかじゃないよなぁ?
いやな予感がしながらも、貴恵は答えを待った。
「私の名前…アーシャ、I国からきました。そう大樹に言ってもらえば、分かります」
分かります、と言われても、私が分かりません。
いやな予感のせいか、微妙に貴恵は意地悪な気分だ。
しかし、あの大樹に限って、そんな色っぽい心配もないだろう。
疑いすぎるのも悪いので、さっさと用件を教えて欲しかった。
「あの私…」
質問の最後の答えを待っているとわかったのか、アーシャの言葉が続く。
「私……大樹の妻になりにきました」
ドガーーン!
と、本来なら、貴恵は大ショックを受けているだろう。
しかし、いまの気分は、いやな予感が当たっただけの、どろーんとした沼みたいな気分だった。
実際、彼女の言葉を、全部真に受けたわけじゃない。
文化の違いなどのせいで、うっかり大樹がした行動が、誤解を生んだ、ということだってあるのだ。
意外に、自分は冷静だな、と感心したくらいだ。
「愛を語り合ったの?」
だから、貴恵は聞いてみた。
この子の思い込みなら、どこかでボロが出るはずだ、と。
「はい、アイラブユーと言ってくれました」
へ?
意外な返事に、貴恵は怯んだ。
「えーと…言葉だけよね?」
おそるおそる聞くと、アーシャはぽっと頬を染めた。
「日本に帰る前に、私の部屋にきてくれました」
ま、まだまだ。
貴恵は、くらっとしながらも、否定の材料を探そうとした。
「そこで、アイラブユーと言ってくれて…一晩を共にしました」
だから、追い掛けてきました。
真っ赤になるアーシャを前に、貴恵は半目になっていた。
あの、ムッツリスケベめ。
貴恵の中に生まれた、大樹への気持ち――それは、怒りだった。