1%の結末
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何もかもが、早かった。
敗因が何かと聞かれたら、吉岡はそれしか思いつけない。
あの事故が発覚してから二時間後。
警察からの不審情報として、ようやく吉岡の耳に届いたのだ。
事故車を照会するだけで、アームレスラーが関わっていることに気付いたが、相手はその二時間を無駄になんかしていなかった。
検問を配備する前にすり抜け、海上保安庁に連絡する前に出航したのだ。
不審船の情報は、いくつか届けられていたが、どれも決め手に欠き、既に日本にはいなかった。
日を追うごとに情報は減り、ついには何の手がかりもなくなる。
日本と世界の両方で、アームレスラーの行方を追っているが、まだどこからも、目撃情報はなかった。
八方ふさがりのまま、一ヵ月。
最悪の想定までは、吉岡の中で出来ていた。
さらわれた理由が、報復と言うのなら――生かしておく必要など、ありはしないのだ。
どんな場所よりも安全な大海原で、殺して捨てればいい。
船一隻探せないのに、死体を見つけられるはずがなかった。
一ヵ月という節目に、吉岡が眼鏡を届けに行ったのは、自分へのけじめでもあったのだ。
遺品。
貴恵には探すように言ったが、彼の中ではもう、あの眼鏡は遺品扱いだった。
悲しくないわけではない。つらくないわけでもない。
ましてや、後悔していないわけでも。
ただ、いま吉岡に出来ることは、アームレスラーを捕まえ、事の次第を尋問し、真実を知ることなのだ。
平静を取り戻した局内で、吉岡はふぅっと息を吐いた。
瞬間。
「部長!」
普段は、製薬会社のオペレーター役の女性が、珍しい大声をあげた。
「アームレスラーの目撃情報です! 日本です!」
吉岡の反応より先に、早口てまくしたてる。
やっと一本、手がかりがあらわれた。
※
吉岡は、国の威信にかけて、アームレスラーを追い詰めるべく動いた。
山ほどの書類に印鑑を押さなければ、警察を動員できないと言うのなら、喜んで一日中印鑑を押し続けた。
体格の割に、ひ弱なハムを捕まえるのとはワケが違う。
今度ばかりは、捕り者にも腕っぷしがいるのだから。
完全に裏方におさまった吉岡は、印鑑を押しながら、ひたすらに待った。
何日も、何日も。
そして、ようやく。
「アームレスラー、別件で警察が挙げました!」
印鑑を押し掛けた手を、急停止させる、うれしい報告。
別件逮捕でもなんでもよかった。
おおかた、スピード違反から公務執行妨害、という流れだろう。
「出かける!」
吉岡は、勢いこんでデスクから立ち上がる。
あの事故が起きてから、実に二ヵ月半が経過していた。
アームレスラーの情報が入ってから今日まで、一ヵ月半もかかってしまったのだ。
世間はもう、すっかり夏。
暑苦しい中に、暑苦しい顔を見に行くわけだ。
これから吉岡は、右腕の男から山ほど情報をしぼり出さなければならない。
テロリストとしての男を丸裸にして、背後関係を明らかにするのだ。
だが。
一番最初に、聞くことは決まっていた。
結末だ――あの三人の。
※
「はーっはっはっはっ」
アームレスラーは高笑いだ。
吉岡の尋問に、まったく愉快そうにふんぞり返る。
警察署の取り調べ室。
手錠を二重にかけられ、さらに上半身は拘束具をつけられている徹底ぶりだ。
警察が、彼を捕まえる時にいかに苦労したか忍ばれる。
「あいつらは、『白髪』のお友達だったな…はっはー。ご愁傷様だ」
手錠をがちゃがちゃ鳴らしながら、あざける笑いに変わる。
吉岡は、ただ彼を睨み下ろしていた。
反応してやる義理はない。
顕示欲の強いアームレスラーは、無視すればムキになってしゃべり立てるタイプに見えた。
吉岡は、黙ってそれを待つ。
「どうやって、奴らが死んだか聞きたいんだな?」
誇らしげな声に、吉岡は顔の筋肉を強く止めなければならなかった。
分かっていたことだ。
耐えろ。
自分に言い聞かせる。
「もうとっくに、魚の餌だぜ…ひよわっちい二人は、縛ったまま海に投げ込み、厄介な姿三四郎は、撃ち殺した後放り込んだ…探しに行くなら、東シナ海にするんだな」
指先が――冷たくなった。
海に放り込むという、実にシンプルで、吉岡の予想通りだったのだ。
やはり、アジア方面の海が絡んでいたか。
東シナ海か。
そこまできて、吉岡はハッとした。
東シナ海!?
ポーカーフェイスを作るのも忘れ、吉岡は存分に驚き、そして、彼を見た。
「なぜ、おまえは日本にいる」
事件後、各港の入出港は厳しく監視されている。
表沙汰にこそされていないが、三人が拉致されて国外へ連れ出されただろう事件は、軽い扱いではないのだ。
おかげで、多数のスパイや危険人物が、とばっちりを受けていることだろう。
だから、アームレスラーがほいほい日本を出たり入ったりできないのだ。
なのに、なぜ日本で捕まる。
彼は、軽かった口をぴたりと閉じた。
視線が、右から左に動かされる。
「おまえは、日本を出なかったんだな、最初から!」
吉岡の脳裏に、激しい点滅が起こった。
自分が言葉を増やす度に、点滅が増えていく。
返事はない。
でも、もういらない。
吉岡は、答えにたどりついた。
「おまえは、船に乗らなかった! 殺しの指示を部下にして、おまえは日本にいたんだ!」
ボスのいない船。
実際に、見ていない死。
三人の生存確率が、0%から1%になった。