おかしな話
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「貴恵は、いまどき携帯も持ってないアナログっ子ですよ…彼氏がいるようには見えないなあ」
お酒の席で、いけにえになるのは大抵新人だ。
まだ未成年の彼女は、酒は飲めないが、自分の歓迎会に出ないわけには行かず、つまみにされていた。
女性が多い職場なので、すぐ話が色恋沙汰にいきたがる。
「見つける暇なんか、ないですよー」
歓迎会なので、今日はタダ飯である。
入って二ヶ月もたって歓迎会とは変な話だが、すぐにやめて逃げ出す人間も多いので、しばらく様子を見ていたのだという。
なるほど、ね。
あのボロ雑巾になる仕事場では、それもしょうがないか。
彼女は、そう納得した。
そして今、貴恵は色気より食い気を体言しているところだった。
居酒屋なんて初めて来るから、メニューが斬新で楽しいのだ。
「高校時代にはいたでしょー別れたの?」
まだしつこく話を振られ、貴恵は少し箸を止めた。
「高校の時も忙しかったんで、そんな暇なかったです」
淀みない言葉に、女性陣はがっかりしている。
色っぽい話が聞けると思っていたのだろうか。
「はやりのモテ髪とか、知らないもんなあ、貴恵は」
客に親しんでもらうために、職場でもファーストネームで呼ばれる。
いつか、指名がもらえるようになったら、お客に「キエさんお願いします」、と言われるわけで。
今から、想像するだけでもどきどきだ。
「べ、勉強してます」
職場の雑誌や、本屋の立ち読み。
それと、大樹を少し真似て、図書館から髪型の歴史や風俗の本を借りてみたり。
「そうかなあ、メンズばっかり見てない?」
そう、つっこまれると耳が痛い。
「キノセイデス」
抑揚のない平べったい声になるのは、上手に真意を隠せないから。
「俺の読みじゃ、彼氏の髪を切ってやるための勉強、だと思ったんだがなぁ」
おしゃれヒゲチーフまで、こんなくだらない話に入ってくるとは思わなかった。
「切ってやりたいのはいますけど、まだ16にもなってませんよ」
これで、興味を失うだろう――そう思ったら。
「彼氏じゃなくて、ペット!? いま流行りの!?」
「ちょ、貴恵! 18でもうそんな趣味が!」
女性陣の妄想たくましいこと。
いったい、どんな想像をしているのか。
「15かぁ、そら確かに今はまだちびっこだろうが」
酔っているのだろう。
チーフが少し赤くなりかけた顔で、にやにやしている。
「3年もたてば…食べ頃だな」
ニヤニヤ。
貴恵は。
何か殴るものがないかと、辺りを見回して――焼酎のボトルを掴んでしまったのだった。
※
食べ頃なんて失礼な。
ポケットに手を突っ込みながら、貴恵は家路に向かった。
タクシーで帰れと言われたが、貧乏性の彼女が使うはずがない。
大体。
閉店後の勉強会の方が、よっぽど遅い時間だ。
貴恵は、幸い変質者に好かれる体質ではないようで、今日も無事に家まで帰れそうだった。
でも、ペットって何だろう。
大樹は15歳だが、人間で。
犬とでも勘違いされたのだろうか。
帰りついたら、母親が転がってテレビを見てたので、聞いてみることにした。
「母さん、年下のペットってなに?」
上着をその辺に放りながら、気軽な感じで。
「んぁ? 年下のペットぉ?」
寝返りをうつように、母親の美津子は娘を見る。
「あーお前と大樹の関係を、色っぽくしたような奴だ」
ぶふっ。
貴恵は、空気の粒を吹き出していた。
何も飲んでいなくてよかった。
「いま流行ってるらしいぞー」
娘の反応に、けらけら笑う。
「流行ってなくていいよ、そんなの」
ぶー、っと不満の唇で、母の軽さに抗議した時。
『今日九時すぎ、○○市県道××号線で、大型トラックと普通車の事故が発生しました』
テレビの中で切り替わる現場の写真。
トラックの前部と、RV車の後部がつぶれている。
「大樹の行ってる市じゃん」
二人とも、そこに反応したのだ。
『大型トラックが、前方不注意で追突したと見られていますが、トラックの運転手と、普通車の運転手のいずれもが、行方不明のため、現在二人の行方を捜索中です』
「おっかしな話だな」
けらけらしたまま、美津子はテレビを指す。
「加害者が逃げるのはよくあるけど、被害者までいなくなるなんて」
ほんとに変な話だ。
しかも、両者車を置いて。
「ミステリーだな。明日のワイドショーのネタはこれかな」
明日休みなのか、美津子は興味深くテレビをみやる。
しかし。
その後、事故の続報は――まったく流れなかった。