返せ
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絶対、あいつ引きこもりだ!
ツカサの中で、大樹という存在は、そう決め付けられた。
自己主張のない勉強の虫など、いじめられて引きこもり、不登校になる――これが、ツカサ理論だった。
研修でも一緒、部屋でも一緒なのだから、いやでも顔を突き合わせる。
あの、とりすました顔がむかつく。
その上、大樹は時々じっとツカサを見るのだ。
彼らの業界では、いわゆる「メンチをきる」という、ケンカを売るにも等しい行為。
目をそらした方が負けなので、負けじとにらみ返す。
それでも目をそらさないのが、不気味だ。
ムカムカしつつも我慢していると、そのうち向こうが視線をはずすので、ようやく「勝った」と満足できる。
メンチきってくるのだから、向こうも自分に敵意を持っているのは間違いないだろう。
「いっぺん、シメるか」
ついうっかり。
思ったことを、無意識に口にしていた。
「そうだな、俺もおまえをシメときたいと思ったんだ」
ここが自室なことを、ツカサはすっかり忘れていた。
そして、みんなこの部屋にいたのだ。
つっかかってきたのは、勿論寮長。
彼こそツカサを目の敵にしているような気がするのだが、なぜか反撃できない。
一度、殴りかかったら、逆に投げ飛ばされた――その記憶を、まだツカサは消せずにいたのだ。
寮長の絡みから逃げつつ、ツカサは元凶の大樹を睨み付けた。
もはや、何でも彼のせいだ。
だが。
眼鏡の引きこもりは、騒々しさにピクリとも反応せず、ブ厚い本を読んでいた。
「なに読んでんだよ」
無視、されたらされたで腹が立つ。
ツカサは、大樹の目の前から本を取り上げた。
ようやく、はっと眼鏡が反応する。
背表紙には。
『半導体工学』
重々しい文字の羅列。
投げ付けてやろうかと、ツカサが思いかけた時。
「読む?」
珍しく、眼鏡が口を開いた。
わなっと、ツカサに震えが走る。
「だっ、誰が読むかーっ!」
バカにされたような怒りに、ツカサは本当に本を投げ付けたのだった。
※
また、なんか読んでやがる。
同室の眼鏡は、本の虫だ。
昼間は工場で働き、夜は学校へ行き、暇な時は得体の知れない本を、山積みにして読みあさる。
市の図書館まで、まめに通っているようだ。
携帯も持っていないし、ウォークマンもない。
機械と呼べそうなものは、目覚まし時計だけ。
さすがにここまで徹底していると、ツカサの頭でも違和感を覚える。
「おまえんち、ビンボーだろう」
ずばっと、傷つけるつもりで聞いた。
寮長がいない、今がチャンスなのだ。
だが。
「うん」
別段、なんの感慨もなく、眼鏡は答えるではないか。
すかっ。
ツカサは、肩をすかされた。
もっと口ごもったり、見栄を張ったりするのを、彼は期待していたのだ。
このままじゃ、引き下がれない。
無駄なヤンキー魂に火がつく。
「にしちゃあ、眼鏡だけはおしゃれじゃねぇか」
貧乏眼鏡なら、もっとやぼったく黒縁とかだ。
肩すかしの反動で、ツカサは乱暴に彼の目から、眼鏡を奪った。
刹那。
思いもよらないほどの反射で、その腕を捕まれていた。
たいした力はない。
しかし、ツカサを一瞬だけ竦ませる何かがあった。
「返せ」
初めて。
このヘナチョコの口から、命令形を聞いた。
恫喝する響きはなく、ただいつもの声よりも、少し強い。
それだけで、十分な威力だ。
ツカサは。
情けないことに、素直に眼鏡を奪い返されるだけだった。