ドアは閉めていけよ
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あ?
大樹は何が起きたか、わからなかった。
突然貴恵が怒りだし、家を飛び出してしまったのだ。
目の前で風船が割られたような騒ぎに、大樹は我に返った。
『就職しても、たまには遊びにこいよ』
この言葉は、ちゃんと大樹の耳に残っていた。
それが、彼の心に染み渡るには、少し時間が必要で。
ゆっくり、ゆっくりと、大樹を侵食していったのだ。
貴恵が、これからも――たとえ彼が大人になったとしても、ずっとこの縁を大事にしよう。
そう言ってくれたも同然なのだ。
彼女は、大樹に社交辞令を言ったりしない。
だから、それはまぎれもない本気。
だから、大樹は噛み締めていたのだ。
自分の存在を、これからも必要としてくれる彼女の大きさを。
あまりに大きすぎることに、改めて気付かされるほど、大樹は噛み締めるのに時間がかかりすぎたのである。
だから――現状を把握できなかった。
開いたままのドア。
駆けおりるサンダル。
おっくうに、テレビから顔を上げる美津子。
大声で罵倒される大樹の名前は、少し遠くから。
美津子は、自分の首をぼりぼりかいた。
体をひねるように、大樹を見る。
「出ていくなら、ドアは閉めていけよ」
まだ、自分の時間を取り戻せていなかった大樹は。
ようやく。
自分が何をすべきかを知った。