図書館でよかった
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「そうか、全部決まったか」
よかった、よかった。
寒風吹きすさむ公園で、吉岡はまるで自分のことのように喜んでくれた。
ひょんな事件で出会ってからもう一年以上、なんの約束もしないまま、こうして会い続けている。
いい会社や学校を調べてくれたりもした。
お金や物ではなく、行為で大樹に利益をくれようとする人。
いまだ、製薬会社営業の肩書きは外さないが、それは立場上、大樹には言えないことなのだろう。
そんな秘密をさっぴいても、彼は大樹にとって、いい人であろうとしてくれた。
ひねくれた考えでなく、彼はその事実を受けとめている。
「ん? どうかしたか?」
いろいろ、考えている顔でもしていたのだろう。
吉岡が、怪訝な目をする。
うまく、言葉が出ない。
自分は、いま吉岡に何かを言おうとしているはずなのだ。
自覚はあっても、なんと言ったらいいかわからない。
「あの…」
出かけた言葉は、すぐに止まった。
吉岡は、何も口を挟まずに、大樹の言葉を待ってくれる。
寒いはずなのに、暖かい時間。
そうだ。
一番最初に、貴恵にこんな時間をもらったのだ。
だから大樹は、いまこの時間が貴重なものだと知っている。
どんながむしゃらな勉強でも得られない、ほんの一瞬。
「あの……ありが…とう、ございます」
これで――いいのだろうか。
吉岡にもらった時間のお返しは、これで足りているのだろうか。
「ばかだなー」
彼は、大樹の背中をどんと叩いて、照れたように笑った。
「そういうのは、こんなおじさんより、お隣さんに言ってやんなさい」
どんどんどん――吉岡は、照れを拳で表すのか、大樹の背中を少し痛くした。
お隣さん。
貴恵の泣き顔が、脳裏をよぎる。
そうだ。
何故、自分は貴恵にその言葉を言わなかったのか。
彼女といると、いつも暖かいのが当たり前だから、改めて考えたことがなかった。
あんなに――大樹を大事にしてくれたのに。
当たり前に手に入る暖かさなど、本当はどこにもない。
大樹は全身で、それを知っているはずだった。
貴恵が。
彼女が、あの暖かさを作ってくれていたのだ。
「おい?」
不意に動き出した大樹に、吉岡の声が飛ぶ。
「図書館にいきます、すみません」
学校帰りは。
この公園を通って。
駅近くの図書館に行き。
貴恵と、会うのだ。
※
なのに何故。
本人を目の前にすると、なんの言葉も出せなくなるのか。
冬の早い夕暮れが、早足で駆け寄る図書館で。
本も開けないまま、貴恵を待っていたというのに。
「さむいねー」
大樹の意識が、本にむいていないのを見て、貴恵が周囲をはばかる小声て呟く。
寒さで赤くなった鼻と頬。
ぱく、と一度大樹の唇が空回る。
また、彼の口から言葉が失われてしまったのだ。
幸い、それを貴恵には見られなかった。
彼女はコートを脱ごうと、視線を袖口に向けていたから。
ありがとうを、誰よりも言わなければならない相手なのに。
「あ」
コートを脱いだ貴恵の方が、先に口を開く。
「美容室の面接、受かった」
ブイ。
小声で作るブイサイン。
そういえば、美容師見習いになるべく、修業の場所を探すと言っていた。
大樹とちょうど三つ違うから、彼が中学卒業なら、貴恵は高校卒業なのだ。
「専門学校行ってないから、ほんとに掃除とかの見習いからだけどね」
えへへ。
ひそひそ声で笑う貴恵は、大樹からの反応を最初から気にしていない様子だ。
ずっと彼女に、こんな人間らしくない反応を返してきたからだ。
貴恵は、大樹のアメーバぶりに慣れているのだ。
口を――開く。
「おめ…でとう」
ここが図書館でよかった。
大樹の声が、どんなに消え入りそうな小さなものでも、許してもらえるのだ。
一瞬。
貴恵が動きを止めた。
ゆうっくりと、大樹の方を見る。
「へ、へへっ」
照れたように笑いながら、貴恵は目をそらした。
でも。
また彼女を泣かせてしまいそうで、大樹は彼女から、目を離せなかった。