ばーーーか
○
「いゃーわるいわるい。いい雰囲気だったのに」
カラカラと笑う美津子に、貴恵は慌てて近くのタオルをひっぱり寄せた。
そのまま、ごしごしと顔を拭く。
タオルごしに大樹を見ると、向こうはじっと貴恵を見ていた。
心配そうな目だ――そう感じた。
「大樹が大きくなったと思ったら、なんかセンチになっちゃったよ、あはは」
目が痛くなるくらい、もう一度タオルで強くこすって。
貴恵は、まだぐしゃっとする顔のまま笑ってみせた。
母親の登場で、言葉にできない心細さが、物陰に隠れたのだ。
「つまんねぇなあ」
そんな娘を横目に、美津子は片目を細める。
彼女の方が、よっぽど子供だ。
「まあいいや、大樹、とりあえず今日は自分の部屋に戻れ」
細めた片目を戻しながら、美津子は男を部屋から追い出そうとした。
大樹はまだ、貴恵の方に視線を残している。
しかし、美津子のカートを押すような動きにされるがまま、部屋の外に追い出された。
大樹が、ドアの外に立ち尽くしているのが分かる。
美津子もそれを知っていて、やや顔を歪めたまま、黙っている。
そして。
外の気配が、ゆっくりと動き出し、隣のドアの中に消える。
タオルを持ったままの貴恵に、母親はようやく一言だけ言ってくれた。
たった一言。
「ばーーーか」