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辺野古転覆事故について。現代人だとわからない点がありそうだよねという話

作者: ふりがな
掲載日:2026/08/05


辺野古転覆事故の話ですね、ご遺族の方が平和活動云々に踏み込みそうだったので、前回は結構濁した記事になってまして、事故として処理しそうなので、きちんと書き直そうかという事と相成りました。


各記事でもですね、刑事告訴を踏まえ、知床半島遊覧船沈没事故を例に出すなど、事故は事故と切り離して考える層が多くなって来ました。

私も書きました。

事故は事故として、事故対策を見なければ、生命倫理を無視する愚か者に成り下がってしまうと。


辺野古転覆事故をきちんと記事にするなら、韓国で起きたセウォル号沈没事故もそうですし、紫雲丸事故に言及すべきだと思います。

日本の義務教育において、紫雲丸事故は水泳教育を義務付けるきっかけになったとも言われる、瀬戸内海での悲惨な事故でして、犠牲者は168名。

うち児童生徒の犠牲者は100名でした。


水泳教育を義務付けている国家である日本の教育者が、水難事故のリスクに無自覚である事は許し難い事です。

また、乗員・乗客合わせて26名全員が犠牲となった知床半島遊覧船沈没事故の起きたことにより、規制は強化されました。

しかし、今回の辺野古転覆事故では、規制逃れの白タク行為で、水難事故が発生してしまいました。

水難事故は時折甚大な被害が出ます。

規制を強化すべきです。

規制の根拠を無視して、政治ごっこに夢中になり、事故対策を見ない人は、生命倫理が欠如しているようにしか私は思えないのです。


それは、許し難い存在でしかありません。


知床半島遊覧船沈没事故の犠牲者遺族には申し訳ありませんが、セウォル号沈没事故後、国交省がセウォル号を他山の石と出来ずに、知床半島遊覧船沈没事故を発生させた事例において、私は官僚が大喜びしていたと予測しています。


同事故では犠牲者の桁が偶々少なかったので、責任を船長1人に擦りつけて、事故処理を終える事が出来たからです。

犠牲者の桁が増えているか3倍辺りに増えていれば、国交省の責任は免れませんでした。

知床半島遊覧船沈没事故の犠牲者は、同業界の規制緩和の犠牲者でもあります。


政治として、国内外を問わず他山の石として放置せず、殊、水難事故対策において、規制管理は適切に行われる事を願います。



さて、平和活動の話です。

現代人の感覚では、平和活動では、人死にが出ないと直感的に思う人が多いのではないでしょうか?


事実、SNSではそのような書き込みを見かけました。

人死にが出たから平和活動は矛盾している。

平和活動を辞めろと。


結論から申し上げますと、平和活動において、人死にが出るかは、政治的に対立している勢力が、強硬的かどうかで決まります。


平和活動と人死には矛盾していません。

むしろ、体制側、もしくはテロリストが強硬的であるなら、平和活動は多数の死者が出ます。


事実、太平洋戦争時には、日本は平和活動家をスパイとして拷問にかけ、時には殺してしまいました。


事実として、平和活動は人死にが出ているのです。


戦争はデモでは止まらないという意見を時折見かけますが、正にデモで戦争の止まったベトナム戦争では、アメリカはキング牧師を始め、戦争継続のために、恐らくは自国の大統領ジョン・F・ケネディを暗殺しています。

民主主義では、目立たないように暗殺するのが常套手段ですので、もし大統領暗殺がアメリカ自身の仕業であるなら、ヒヤリハット的な法則数のまま、反戦的なジャーナリスト、または平和活動家も多数死んでいると考えられます。


我々の社会は、平和活動では多数の死者を出してきました。

事実です。


前回記事で出したノルウェーのウトヤ島事件は反戦運動ではありませんが、政治活動として、無差別銃乱射事件が起き、先立って発生したオスロでの政府庁舎爆破テロと合わせ、計77人が犠牲になっています。


では、平和な日本に住む現代人の皆さんに質問します。

人死にが出たからといって、その地域の人々は平和活動や、政治活動を辞めたのでしょうか?


政治家が1人暗殺されたから議会を閉めるべきですか?


政治活動において、人死にが避けられない物であるというのは、敵対勢力のウィークポイントを物理的に攻撃するという、至極当たり前の行動による必然です。

それは、近代の歴史では常識でした。

現代では非常識でしょうか?


ウィークポイントが子供だからこそ、現代で起きたウトヤ島事件では重点的に、敵対勢力者の子供が狙われたのです。


人死にを恐れて、活動を辞めるというのは、現代人の感覚では掴み難いかもしれませんが、それは、国家がテロリストに屈して、言いなりになるのと同様の行為です。


爆弾を仕掛けたから言いなりなれ、人質をとったから言いなりになれ、人が死んだから言いなりなれ。


国家は、こう答えるでしょう。

被害者遺族には申し訳ないが、テロリストとは交渉しない。


人死にが出ようと、国家は優先すべき事を優先する。


平和活動も同じです。

どんな理由であれ、人死にが出ようが平和活動はなくなりません。

二つは微妙なニュアンスですが、決定的に異なります。


政府が強硬的になれば、人死にが出るような活動だから、関係のない人を積極的に巻き込むな。

しかもそれで人死にが出るなんて、言語道断である。


こちらの意見は正しいのです。


人死にが出たから平和活動は辞めるべきだ。


こちらの意見は現代人の直感に反して、テロリストや、暴走した国家側の言い分なのです。


人死にが出たら相手が運動を辞めるのと言うのならば、敵対側は何としてでも人を殺そうとします。

辺野古転覆事故では関係ありませんが、例えば表向き法に触れるとしたら、殺人は事故を装って行われます。

それが政治という物です。


人死にが出たから平和活動は辞めるべきという主張は、恐らくは現代人の思う、政治で人は死なないんだというヒステリー的な、政治に免疫のない事による直感なのでしょう。


政治の現実に免疫のない事によるヒステリーと、政治活動の現実に、妥協点はありません。

何故、人死にが出たのに平和活動を辞めないんだろうという問いは、歴史から見れば完全に破綻しているのですから。


平和活動と人死には矛盾しているという主張も、過去の事例から、現代人に免疫のない事によるヒステリーという事にしかなりません。

辺野古転覆事故における、理不尽な死を許せないという心情は、直感的な『政治ごっこ』とは別にすべきです。

理性と付き合うのはしんどいかもしれませんが、理性を鍛えましょう。


人死にが出て当たり前の活動と、人死にが出たから活動を辞めろという主張では、妥協点が見出だせません。


平和活動では人死には出ないという初歩的な論理の誤りにより、平和活動を許せなくなって、完全に関係のない人を憎む未来しか、私には予想出来ません。

勘違いで人を憎んでも、それは端的に言えばただの冤罪です。

冤罪では、相互的な憎しみのループ以外産まれはしないのです。

冤罪事件、許し難いですよね?


繰り返します、初歩的な勘違いによる冤罪です。

無知による罪です。

冤罪は、憎しみの数を倍加し、社会を破壊するきっかけになります。

人の死に慣れて居ない、知識のない状態では、人は政治そのものを見誤ります。


どう見ても、辺野古転覆事故は平和活動や、その他の組織に責任は波及しないのです。

調べれば調べるほど、船長や高校側の当事者のモラルハザードにしか帰結しないでしょう。

裁判も、当然そのように進むと予測されます。

もし、平和活動が罪に問われないその時は、平和活動に加えて、裁判所まで冤罪で憎むのでしょうか。

怒りの拳の下げ先は、自身の無知な頭に叩き込むべきです。



では、再び皆さんに問います。


平和活動において、人死にが避けられないという事実は、本当に知らない知識でしたか?


私の書いた事例は、大人なら、多少は知っている知識ではないでしょうか。


仮に知識に反して平和活動人死にが出ない物だと決めつけたなら、バイアスがかかっています、恐らくはイジメ問題でも話題になる、公正世界仮説的なバイアスです。

世界は行いに対して正当な事しか起こらないバイアスです。

変なバイアスですよね。


もし、平和活動と人死には矛盾していると感じた人がいたなら、本記事をきっかけにして、一度、自身の内面と向き合って欲しいと思います。

自身の内面に問いかけ、知識を蓄え、考えを変えるだけの余力に自信を持ってください。

多くの人が考える余地を残す事は、あなた自身や、民主主義社会をより良く変える力になるのだと私は断言します。


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