3話
平民である義母が貴族である父と結婚できたのは、跡取りである私がいたからだ。
跡取りがいれば、再婚相手として平民を選ぶことが、伯爵家から下の身分では許されている。
……というようなことを、本で読んだ。
(あの人たちの目論見は、私が跡を継ぐまでの間……少なくともお父様がもっと長生きすることが前提で、その間にカトリンに良い縁を結んだり蓄財したり、貴族としての生活を楽しむつもりだったのよね)
今更お父様に文句を言いたいとかそういうことはないけれど、いくら周囲から娘を育てるには女親がいた方がいいとか勧められたにしたってもうちょっと……見る目を……って、私も私でお父様がいなくなるまで素敵な家族だって信じていたんだから同じね。
義母は私を恐怖で縛り付けて、自分の息のかかったどこぞの令息と結婚させ、義妹と令息の間で子どもを作って私をお飾りの当主に据え仕事だけさせて豪遊する……という恐ろしい計画を立てていた。
婚約者なんて名ばかりの人は、義妹と一緒になって私を嘲笑いに来て『好みじゃないけど、まあ閨じゃ灯りを消せば何とかなるよ。今から試してみる?』なんて嗤う男だったので絶対に願い下げだ。
「それにしても、まだ遠いのかしら……」
途中で通りがかった荷馬車の人にはこのまま真っ直ぐ行けばいいって教わったんだけど、全然たどり着く気配がないわ。
乗せていってくれるって言われたんだけど、残念ながら町に行くって言うもんだから……。
(やっぱり、無謀だったのかな)
私の脱出計画では、オルヘン伯爵領の最も大きな町とは反対方向に進み、途中にある小さな村で方角を聞いて隣の領へ。
隣の領は国境ということもあって人の出入りが激しいというのを商人さんから聞いていたから、そこで短期間の仕事を見つけるか、日雇いでもいいから……できたら裏方か何かで長い方がありがたいけど……とにかく、半年を乗り切る。
半年を乗り切りさえすれば、あとは貴族院議会に飛び込めばいい。
あそこは成年でない限り保護者を呼ばれてしまうけれど、成人さえすれば身元の調査が入る……って法律の本に書いてあった。
(町で乗合馬車か何かで移動した方が、良かった……?)
でも乗り方もよくわからないし、義母たちも私がいないと気づいたら乗合馬車や町中を探すはず。
そうしたらすぐに足取りがバレて追いつかれる可能性の方が高い……はず。
(どうか、どうか……上手く行きますように!)
お守りの、小さな鈴を握りしめる。
幼い頃にもらった小さな鈴。
綺麗な色がついていたはずだけど、今じゃすっかり塗装が禿げてしまって見る影もないけど……私の心の寄る辺だ。
このお守りは私の両親が生きていた頃、母方の祖父母のところに遊びに行った時にそこで知り合った男の子からもらったものだ。
なんでも大事なものだって言ってたっけ……音が鳴らないから壊れているのかもしれないけど、そんな宝物をくれたあの子は元気だろうか。
元々は二つでワンセットだったんだけど、片方はあの子が持っている。
(仲良しの証だって渡されたのよね)
顔も思い出せないあの子は、元気だろうか。
気がついたらあの子はいなくなっていて……私も、オルヘン領に戻ってそれっきり。
(もうあの頃いた人たちはみんないなくなっちゃった)
あの頃に戻りたいな、なんて。
時々、この鳴らない鈴を見て思う。
諦めが悪いって義妹には馬鹿にされる私だけど、自分の未来を諦めないことの何が悪いんだろう。
「……でも、助けを呼べたら良かったのにな」
ぽつりと思わずそう呟いた。
だって私は独りぼっちで、心細くて、逃げ出したっていう開放感よりも世間知らずすぎる自分がミスをしていないか、追いつかれるんじゃないか……そうした心配ばっかりが私の胸を占めているんだもの。
まあ、応えてくれる人なんて当然いないんだけど!
頑張って歩くしかないよね!
そろそろ足が痛いけど……それでも歩みを止めている場合じゃないんだから。
そんな私の前方から、一頭の馬が駆けてくるのが見える。
私はそれを避けるために道の端に寄ったのだけれど、何故か馬は私の前で止まった。
それどころか馬上の人がひらりと地面に降り立ち、私の前に跪いたではないか。
「ようやく見つけた」
……誰え?




