"The Night We Held Hands and Ran -Part3-"
その言葉に、私の心も大きく揺さぶられた。
でも、信じたい気持ちが口を開こうとする。
「ちょ、ちょっとセリオ待ってよ。なんでアザリエルって…――」
“言い切れるの? わからないじゃん”――そう言いたかった。
でも、言えなかった。
だって、見てしまったのだ。アザリエルの表情を。
抵抗もしない。言い訳も、反論もない。
ただ、困ったように眉を寄せ、まるで何かを諦めたような目でセリオを見ていた。
彼は、嘘をつけない男だった。その顔が、すべてを語っていた。
アザリエルはそっとセリオの手を振り払う。
そして、乱暴にならないように慎重に、彼の肩に手を置いた。
何かを呟いたけれど、その声は風にかき消され、私たちには届かなかった。
アザリエルは、私たちの方を一度も振り返らずに、ゆっくりと職員たちの方へと歩いていった。
その背中が、あまりにも静かで、あまりにも遠かった。
喉の奥が詰まり、顎が震えた。全身から冷や汗が吹き出し、足元が急に心許なくなる。
その時、誰かの声が、まるで死刑宣告のように響いた。
「すまないね。こうなったからには消えてもらうしかないんだよ」
ぞっとした。声を発した職員が、静かに右手を掲げる。
その掌には、あの紋章があった。破滅を刻む、禍々しい印。
「やめてっ!」「やめろッ!」
叫んだ。祈った。叫ぶよりも速く動きたかった。
でも、間に合わなかった。
掌から放たれた光は、稲妻のように空を裂き、まばゆい閃光となってミレナとノアの方へ一直線に伸びる。
次の瞬間、ふたりの体が光に包まれ、消えていった。
その消え方は、あまりにもあっけなかった。
塵のように、音もなく、存在そのものが塗り潰されるように。
パラパラと、記憶の底で何かが崩れるような音がする。
『またどこかで会おうね……。絶対、――きっと覚えておいてくれるって、信じてるから』
風に乗って、ミレナの声が耳元をかすめた。
幻聴かもしれない。だけど、たしかに聞こえた。
ミレナとノアが、消えた。
跡形もなく、光の中へ。
「――いやだ……いやだ、いやだ! そんなのッ…―!」
気づけば私は叫んでいた。声が嗄れるほど、全身の奥から震え上がるように。
――私の友達を、奪わないで……。
涙が頬をつたって落ちた。熱いのか冷たいのかも、もうわからなかった。
――私の、友達を、奪わないで!
「ᛟᚢᚱᛟᛒᛟᚱᛟᛋ!」
心の底から噴き上がる感情が、異国の響きを持つ呪文となって喉を突き破った。
その瞬間、世界が軋んだ。
空が、裂ける。
青白い紺色の空が一瞬、金の色へと染まる。
夜の帳に覆われていた天が、まるで神々の吐息のように柔らかく揺れ、光に包まれる。
その場にいたすべての者が、その異変に瞳を閉じ、再び開いた時――。
空を割って、降りてきた。
それは巨大な輪を描いて天と地を繋ぐ神獣――ウロボロス。
黄金と黒を織り交ぜた美しい鱗を持ち、その身体は永劫を語るように堂々としていた。
咆哮が大気を震わせ、地が揺れる。
風が巻き上がり、職員たちの白衣が舞う。魂までもが震えるような、荘厳な気配。
ドクンッ、と心臓が悲鳴を上げた。
体の奥底からなにかが引き裂かれるように疼く。
足元の感覚がふっと抜け、私はその場に膝をついた。
「イリーシア!」
誰かが叫ぶ声が遠くで聞こえた。
視界が揺れて、霞む。
――大丈夫、これはただの代償。
大きく息を吸い込む。
塔の中で嗅いだこもった空気とは違う、外の、まだ自由が残る空気が肺に満ちていく。
背中にぬくもりが触れた。
誰かの手。彼の手。私の存在を確かめるように、そっと撫でる。
「無理をするな」
低く、優しい声が頭の奥に届いた。
「お前がそんなことしなくても俺の異能でなんとかなるっつーの」
セリオの少しぶっきらぼうな言葉に、私は黙って睨みを返す。
今の私にはその強がりすら、泣きたくなるほど愛しかった。
「立てる?」
ユリスがそっと声をかけてくれる。
私は息を整え、小さく頷いた。
身体はまだ重い。でも――気持ちは、もう前を向いている。
「ここから出るには、あの石橋を通るしかないんだよね」
振り返ると、咆哮を繰り返すウロボロスが、幾人もの職員を吹き飛ばしていた。
その尾が空を切るたび、稲妻のような衝撃が走り、白衣の人影が空へ舞う。
けれど、数は減らない。
あの紋章の光が再び放たれれば、私たちはまた、大切な誰かを失ってしまう。
「……正面突破しかないね」
静かに、でも確かに、そう言った。
もう、他に選べる道はない。
失うためにここに来たんじゃない。取り戻すために来たのだ。
「行こう。走るんだ」
“彼”が、私に手を差し伸べる。
血の通った、確かな温もりを帯びた手。
私は、その手を掴んだ。
走る。
燃え尽きたはずの心に、また火が灯る。
踏みしめた地面が、未来へ続いていくと信じて――。
この光の先に、必ず、希望があるから。