"The Night We Held Hands and Ran -Part1-"
弦月絃です
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一人――
また一人――と、友が消えていく。いつからか、そんな違和感に気がつき始めた。
それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。
もしかしたら、気づかなかった方がよかったのかもしれない。
気づかずに、ただ穏やかに、何も知らないふりをしていれば。
私はもう少しだけ、長く生きられたかもしれないのに。
私たちが住む小さな国『アリスフィア王国』は別名“記録の神に統治された国”と呼ばれている。
神に記録される者だけが “存在を許される”国。
記録から漏れた者に、未来はない。
国民の1%は、記憶や記録に関する異能を持って生まれてくるとされている。彼らは一般の人と比べて成長過程が著しく、しかし一定の年齢を超えると、外見が変わらなくなる。
――時間に縛られない存在。それが『異能者』だった。
そして『異能者』は国家権力として、尊い存在とされていた。
尊く、しかし、管理されるべき存在。
ここ――〈天の館〉は国の中央に位置し、神に近い場所として、王都とは隔離されている。巨大な白石造りの塔。外界からは厚い霧の結界で守られ、一般の人々が足を踏み入れることは、許されていない。
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[北の山岳地帯] ──────【灰の峰】
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[湖と森]───[中央大聖堂]───[王都エリア]
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《Domus Caelestis》(天の館)
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[結界の谷]〜〜〜〜《禁書の渓谷》
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[平原と村々]───[学園街/演劇の町]
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北の山岳地帯から吹き下ろす冷たい風を背に、
湖と森を越え、王都を経てたどり着く禁断の地。
《Domus Caelestis》――天の館。
そこには、絶対に破ってはならない“秩序”があった。
そこの二階である日、私と“彼ら”は出会った――。
「逃亡? 本気で言ってるのか、それ?」
ユリスの声には、震えと戸惑いが滲んでいた。唇がかすかに引きつっているのがわかる。無理もない。ここからの脱走は、ただの一度も成功したことがない。成功例が存在しないというより、試みすら伝えられてこなかった。
「もちろん」
私は静かに頷いた。
壁にかかる時計の秒針が、無慈悲に時間を刻んでいく。呼吸が苦しくなるような沈黙の中で、私は言葉を続けた。
「私たちがいるのは二階だけど、外に出るには地下一階の記録管理室を通過して、さらに地下にある地下通路へむかう螺旋階段へ行かなければならないの。そこを出たら、古代の石橋がある禁書の渓谷へ出れる。どうせここに至って消されるだけなら、やってみるしかないの」
言いながら、あの橋の光景が脳裏によぎった。霧に包まれた谷。底の見えない暗闇。橋を渡る風が、まるで囁くようにこちらへと誘ってくる。
けれど、その先には“外”がある。まだ誰も知らない、自由が。
「……でも、私たちはここを出たら警報が……」
ミレナがか細い声で不安を口にする。
その声に、私は自然と手を伸ばしていた。彼女の栗色の髪にそっと触れ、震える頭を撫でる。
「大丈夫」
笑顔は浮かべなかった。けれど、その声には確信を込めた。
「そのためにちゃんとフェイクも用意してある」
「フェイクって?」
今度はユリスが身を乗り出し、問い返してくる。瞳は冗談ひとつ許さない色をしていた。
私はその視線から目を逸らさなかった。
逃げてはいけない。これは、私が選んだ道だ。誰か一人が後悔しないために、私は全員を連れて行く。どんなに危険でも、何があっても。
既にいなくなってしまった“彼”のためにも―――。
作戦決行の夜は、呆れるほど静かだった。
天の館は、夜になればなるほど静寂を深める。まるで空気自体が眠ってしまったかのように、全ての音が吸い込まれていく。
しかし、その夜の静けさは、どこか異様だった。
まるで誰かがこの夜を予感しているような、そんな張りつめた緊張が漂っていた。
私はカーテンの隙間から月を見上げた。青白く澄んだ光が、どこまでも冷たく広がっている。
こんなことをしたら、神は私を見放すだろうか。
いや、もうとっくのとうに――私たちは見捨てられている。
――ジリリリリリーー!
突然、静寂が破られた。
耳をつんざくような警報音が館全体に鳴り響く。壁が振動し、空気が震える。
反応は一瞬だった。
白い制服に身を包んだ職員たちが、まるで仕組まれた機械のように廊下を駆け抜けていく。
私は身を低くし、廊下の太い柱の影に身体を滑り込ませた。鼓動が速まる。自分の息が異常に大きく感じられる。数十秒が永遠のように過ぎていき、足音が遠ざかっていったのを確認してから、ようやく動き出す。
「ミレナは?」
私は足音を殺しながら部屋を抜け、人混みの中へと身を投じた。
慌ただしい通路には、警報を聞いた生徒や職員が右往左往している。その隙を縫うようにして、私は早歩きで進んでいった。
薄暗い影の中、ノアの姿が見えた。背中には、小さなミレナがしがみつくようにして眠っている。
「眠ってる。きっと起きた頃には外の世界さ」
ノアはそう言って、いたずらっ子のように笑った。
私はその笑顔にほんの一瞬だけ救われた気がした。
まだ、誰も諦めていない。
「こっちだ」
先頭を行くセリオが、廊下の分かれ道で迷わず右へと曲がった。
その瞬間だった。
――ゴブッ!
鈍く重い音が響き、セリオの姿が一瞬で視界から消えた。
否、消えたのではない。
吹き飛ばされたのだ。何か見えない力に、激しく。
白衣を纏った職員の一人が、獣じみた反射速度で腕を振るい、セリオの頬を的確に捉えた。
鈍く重い音が響き、セリオの身体がふわりと浮き、次の瞬間、床に叩きつけられるように転がった。灰色のコートの裾が宙を舞い、彼の身体が無様に床を滑っていく。
「セリオッ!」