47 文芸編集者青滝龍子のとある一日
「青滝さーん。ちょっとちょっと見てよ。これ」
む? 冷静沈着なイケオジとして出版界にその名を馳せる編集長が机上のディスプレイを指差し、大騒ぎ。何だ何だ?
「ほらこれ」
「ほうほう」
ディスプレイ上にはネットニュース。そのトップには
「白幡虎威の新作『凍える迷宮』。初版5万部。2週間で完売。出版元の洋和社は『大急ぎで重版をかけるが、早く読みたい方は電子版を』と呼び掛けている」
「やっぱ分かっていないんだよなあ。洋和社は。白幡先生の新作が初版5万部で足りるわけがないだろ」
「まあ」
その辺のやりとりを白幡先輩から聞いていた私は編集長に説明する。
「洋和社の担当編集の佐藤さんも『初版5万部じゃ絶対足りない』と頑張ったそうなんですよ。だけど、営業の方に『今は電子版が主流だから5万部で十分』って言われて押し切られちゃったそうなんです」
「やっぱ洋和社じゃ駄目じゃん。遠慮してないで『凍える迷宮』の出版権も我が社がもらっちゃえばよかったんだよ。青滝さん」
「まあ確かに私が言えば白幡先輩は『凍える迷宮』の出版権も我が社にくれたかもしれませんが……」
ここで私はいったん言葉を切る。
「ただでさえ私は白幡先輩の高校の文芸部の後輩ということで、相当他社に比べて優遇されています。これ以上となると私も我が社も出版業界全体から恨みを買いかねません」
「青滝さんの言うことも、もっともですよ」
副編集長がフォローしてくれる。ふう。助かった。こちらもクールビューティー眼鏡才女として出版界に名を馳せる方だ。
「青滝さんが白幡先生との間に絶大な信頼関係を築いていてくれているおかげで我が社がどんなに救われたか。トイレに花子さんが出ると言われたおんぼろビルから新しい自社ビルに移れたのも白幡先生の作品が売れに売れたからですしね」
「だよなあ。他社には白幡ビルとまで言われているしなあ」
「ということで青滝さん」
満面の笑顔で私の方を向き直す副編集長。
「白幡先生の次回作の出版権もらうのは、今度は我が社の番だよね。もうね、きっちり取ってきてちょうだいね」
むう。さすがですね。副編集長。しっかりしてらっしゃる。まあ、「凍える迷宮」の出版権を和洋社に譲ったこともあって、最近、白幡先輩に会っていなかったし、いい機会だから会ってくるとしますか。
「「おう行っといで。いい話を待ってるよー」」
編集長、副編集長息ぴったりですね。
◇◇◇
「うおおおおー」
「頑張れ頑張れ。翔くんっ!」
「頑張れっ! 翔っ! もうちょっとだっ!」
何事かと思って見に行く。ここの建物は朱野雀美先輩が司書をやっている図書館だ。ということは……
声がするのは図書館の裏の公園だ。そして、私が目撃したのは小学生らしき男の子をゴール直前にぶっちぎってテープを切る雀美先輩の姿。
「くっそー」
「もう一歩もう一歩だったのにー」
「今日こそは勝てると思ったのに―」
次々と上がる小学生たちの悔しさの声。
「ふはははは。まだまだあたしを倒すには修業が足りんぞ。諸君」
ふんぞり返る雀美先輩はまるで悪の女ボス。それに息を整えている様子もない。まだまだ余裕なんだな。
「おやおや。誰かと思えば龍子じゃない」
「こんにちはー。雀美先輩。何をやっていたんですか?」
「もう恒例の小学生8人対あたしの400メートル勝負よ。小学生たちは1人50メートルずつ分担、あたしは400メートル全部」
そうですね。雀美先輩と言えば、文芸部一の元気印ですが、その土台には体力おばけってこともあったんですよね。
「ようし。みんな行くよ。運動した後は読み聞かせーっ」
「「「はーい」」」
本当に体力おばけですね。雀美先輩。そして、その後、驚いたのは疲れも見せず読み聞かせをする雀美先輩も凄いけど、自分たちも疲れているはずなのに誰一人居眠りをせず聞き入っている小学生たち。
雀美先輩の読み聞かせが声優さん張りに気合が入っているというのもあるけど。
◇◇◇
だけど、今や押しも押されぬ流行作家になった白幡先輩も凄いけど、小学生たちにカリスマレベルに親しまれている図書館司書の雀美先輩も凄い。
などと思っていたら、白幡先輩宅に向かう途中の電車内で、もう一人の凄い先輩のことも思い出さされた。
スマホに出ているのは玄田武哉先輩の大人気WEB連載「玄田教授の辛口書評」。一般社会でベストセラーと言われた作品も情け容赦なくバッサバッサと斬りまくる。忖度一切なし。
斬る対象は私がいる出版社の出版物も例外ではない。そのあまりの凄まじさに、ある時、我が社の編集長がこっそり私に「あの。青滝さん。玄田教授にもうちょっとお手柔らかにって言ってくれないかな」と言ってきたこともあった。
私は即座に答えた。
「それは無理です」
「武哉先輩は、たとえ相手が総理大臣だろうが、アメリカ大統領だろうが、自分の考えは絶対曲げません」
「そんなこと言った日にはこう言いますよ。『ほほ。龍子ちゃんがそんなこと言うとはね。ふふ。意外だわあ。失望したわあ』と」
「もうね。それを静かに言うんですよ。凄い迫力で。怖い。考えただけでも怖い」
私の言葉は伝わったのだろう。編集長はその後、二度とそのことは言わなくなった。
◇◇◇
その「玄田教授の辛口書評」に書いてあったことは
「みんな知っていると思うが、私は忖度が大嫌いだ。そのため随分恨みも買ったが、今更その性分は変えられないし、『辛口書評』というタイトルにそぐわなくなってしまう。
ましてや白幡虎威が私の高校時代、文芸部で一緒だったことは多くの人が知っていることだ。
いつもに増して『辛口』にやらねばと思って、読んでみたら、なんてことだ。『凍える迷宮』というこの作品。文句のつけようがないではないか。
くそ。白幡虎威め。私に『辛口文芸評論家』を廃業させるつもりなのか」
この後は武哉先輩一流のありとあらゆる角度からの絶賛の言葉が続く。その一つ一つが全て説得力を持ち、冗長でなく、読んでいて引き込まれて、飽きることがない。さすがは武哉先輩というしかない。
武哉先輩の今回の「辛口書評」に対するコメントも見てみた。何しろ武哉先輩は忖度なしの辛口だから、普段は自分の好きな作家や作品が厳しく評されると感情的になるコメントも散見される。
なので、今回は「『辛口』の玄田教授。お友達には『甘口』ですね」といったコメントが出てくるのではと予想したのだ。
ところが驚いたことにそういうコメントは見られなかった。これは武哉先輩がいつもに増して、丁寧に説明したからだろう。
◇◇◇
到着した白幡先輩宅でインターホンを鳴らす。反応はない。しかし、しばし待つ。
しばし待った後、「ふぁーい。青滝さん。いらっしゃーい」と声がした。
「あ、白幡先輩。ごめんなさい。だいぶお疲れのようで」
「そうだねえ。他社の編集さんなら後日にしてもらいたいけど、他ならぬ青滝さんだからね。まあ入って」
◇◇◇
応対してくれた白幡先輩はパジャマに髪の毛ボサボサ状態。この状態なら編集者でも私しか会えないというのは分からなくもないけど。しかし……
「大丈夫ですか? 白幡先輩。『凍える迷宮』の紙本が売れたからインタビューとか随分来ているんじゃないですか?」
「うーん。まあ来ているっていえば来ているけど、その辺は今、和洋社の佐藤さんが交通整理してくれている。あの人なりに初版印刷部数を少なくされちゃったから、この事態を招いたって責任を感じてくれているみたいね。私が疲れているってのは、むしろこっちを一気に仕上げたからなのよ」
そう言って白幡先輩は数枚の紙を見せてくれる。え? これって?
「次回作のプロット。今回は青滝さんに待ってもらっちゃったから、次回はお願いしちゃうね」
白幡先輩―。かたじけなさに涙こぼるるとはまさにこのことですよー。ありがとうございますー。
「これで何日か休んだら、『凍える迷宮』のインタビューも受けないと、ずっと佐藤さんに止めてもらっているのも悪いしね。青滝さんから、このプロットってOKって話になったら、書き始めるよ。目途としては一週間後くらいの執筆開始かな」
「白幡先輩―」
私は有難く思いながらも懸念を口にする。
「執筆頑張ってもらうのは、本当に有難いお話なんですが、どうか無理されないように。お体を労わってください」
「あら」
意外そうな顔を見せる白幡先輩。
「好きなものを書いて書いて書いて書いて、それで死んだら、神界の白虎に会えるじゃない」
背筋がぞっとした。「情念」とはこういうものをいうのだろう。この人を一流作家たらしめているのは、そういう一面が大きく寄与していることは間違いない。
「ふふ。でも心配してくれてありがとう。大丈夫。青滝さんに次回作を渡すまでは死なないから」
やっぱりこの人は、いや、高校文芸部時代の三人の先輩たちはみんな凄い人たちだ。伊達に神様たちに気に入られていない。
◇◇◇
帰宅した私はパソコンのスイッチを入れた。白幡先輩のおかげで社内でも一目置かれている私だが、それだけに甘えているわけにはいかない。コンテストに応募された作品を一つ一つ丁寧に読む。
やっていこう。自分の天職であろう編集者の仕事を。胸を張って、神界で待つ青龍に会えるように。




