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夜は長い

作者: 阿古久曽

「あれ、ここどこだろう。」

ふと辺りを見回すと私はどこかで見たことがあるような街に一人立っていました。時刻は昼、辺りには人っ子一人いません。空には雲が垂れ込めていて、街路樹を揺らす生暖かい風が僕の背中をそっと撫でてきます。

......どこか気味が悪い。

そう感じた私はとりあえず大通りを歩き始めます。歩き始めて数分。周りの風景が何一つ変わっていないことに私はようやく気付きます。見渡す限り白一色で統一された戸建てと、ところどころひび割れたタイルで覆われた町はいかにも殺風景といった感じです。それでもどこかにあるかもしれない変化を求めてまた歩き始めます。しばらくすると、ようやく目新しい物が見えてきました。と、その時私は何か重たいものを肩に感じ、それに気づくころには私は意識を失っていました。

 汗にへばりつく布団の気持ち悪い感覚で私は目を覚ましました。目を覚ましてすぐはっと体を起こします。どうやら夢だったようです。少し安堵して私は思い返します。朝から続く高熱で大学を休んだ私は、一人アパートの布団でカーテンを閉め切って寝ていたのです。私は枕元にあるペン立てに手を伸ばし、温度計を取り出しました。気分は朝に比べてかなり良くなっているような......そんなことを思っているとピピっと音が鳴り体温が計測されました。36.8度。私の平熱と同じくらいです。

 カーテンを開けると日が傾き始めており、私の掛け布団がきれいな山吹色に染まりました。何から始めようかと考えていると、突如としてお腹が鳴りました。そういえば朝から何も口にしていません。とりあえず私はいつもより早い夕食を作り始めることにしました。

 実家から送られてきたお米に冷蔵庫にあった牛丼の素を載せるという簡素な夕食。それを食べながら、私は実家から来た手紙の返事をしていないことに気づきました。タンスから送られてきた手紙を取り出します。内容は私の無病息災を祈る旨や近況を知りたいというようなもの。私自身紙でやり取りするなんて今更古いとは思うのですが、実家がある辺りでは成功して家が比較的裕福なこともあり、スマートフォンという新しい物に手を出すことに両親は抵抗があるようです。

 それから小一時間ほど後、手紙を書き終えた私は一人郵便局へ向かっています。夕焼けを背景に飛ぶアキアカネを見ながら私はポストへ一通の手紙を押し込みました。やるべきことを一つ終えた私の足取りはけれども軽くはありませんでした。

 新潟の比較的裕福な米農家の家に生まれた私は、両親の勧めで東京の大学へと進学しました。最初の一年ほどは自分で言うのもなんですが順調だったのです。しかし、高校までに比べて周りが優秀な人が多く焦りを感じ始めてきた頃から、睡眠が浅くなりつつありました。そして3年になるころにはだんだん友人と出かけるのが億劫になり、今では大学とアルバイト以外でほとんど外出することがなくなって今に至ります。

 手紙には友人関係のことは触れず、明るい面だけを書きました。授業で習ったヴァン・アレン帯が興味深いだのアルバイトをしている精肉店に来る常連の川島さんがしてくれた面白い話だのといった内容です。私ももっと新しいことに挑戦しないととは思っているのですが、その挑戦の先に待っているかもしれない失敗が怖くてなかなか手を出せていないのが現状です。家に着き寝床に入った私は何も考えないようにしながら、それでも頭に浮かぶ数々の不安を杞憂だと決めつけながら眠りにつきました。

 そんなわけで熟睡できるはずもなくかつ病み上がりということもあり、私は次の日の授業を眠い目を擦りながら必死に消化したのでした。そして今、私は最寄りの駅で電車を降りて家への数百メートルを地面を見ながら歩いています。気分を上げるためにふと前を見ると、りょうどその時前を歩いていたおばあさんが転んだのです。不運なことにここは閑静な住宅街で、周りには私一人しかしかいません。仕方なく私はおばあさんに声をかけることにしました。

「あのー大丈夫ですか」

そのおばあさんの顔を見て、私は内心安堵しました。彼女は私が働いている精肉店によく来て話をするまさにその人だったからです。

「まあ、奈央ちゃんじゃないの。どうもありがとうね。やっぱり80にもなると体が痛くてねぇ。ちょうど今日も整骨院に行って足腰を診てもらったところなのよ」

「そうなんですか。......でも川島さんは偉いと思いますよ。だって誰よりも運動していらっしゃるじゃないですか。それより、荷物家までお持ちしますよ」

「そう?助かるわ」

川島さんは笑顔でそう言ってくれて、私自身も少しうれしくなりました。そうして私はおばあさんから買い物袋を渡してもらいましたが、その時私の視界に見覚えのあるものが入りました。

その米の袋には「紅一点」と書かれていました。

「これって......紅一点ですよね?」

「そうよ。このお米もっちりしてて炊きあがった後の香りがすごい良いのよね」

「......実はこのお米、私の父が作ったものなんですよ」

驚きました。まさかこの米が東京にまで売り出されているなんて。毎月私のところに両親からこの米が送られてくるので、自分で米を買いに行ったことがありませんでした。だから気づかなかったのでしょう。

 私はその後川島さんの家へお邪魔し、お茶をいただきながら長い間話をしていました。川島さんは2年前に主人に先立たれ、子供たちも家からいなくなり年に数回しか来ないそう。そのため人と話す機会が減りなおかつ昨今人との対面を避ける傾向が増加したので、私のような若い人と話せる古き良き精肉店によく来てくれるのだそうです。川島さんの独白を聞いたりしているうちに、気づけば私も抱え込んでいた悩みをすべて吐き出していました。友人とうまくいっていないこと、そしてそんな自分が嫌なのに直せないこと。

「......そうなのね」

一通り私の言うことを聞いていた川島さんが口を開きました。

「でもそんなに気に病んでるなら十分だと思うわ」

「どういうことですか?」

十分だと自分のことを勝手に決めつけられてムッとし、とっさに言ってしまいます。

「それに気づけないことが一番いけないことだもの。でも奈央ちゃんはそれに気づけている。人生はまだまだ長いんだしゆっくりと解決策を探っていけばいいし焦る必要はないと思うわ」

「もし何か悩みがあったらまたうちに来るといいわ。私自身何もすることがなくてまいにちたいくつだし何より奈央ちゃんにはない物をもっているもの」

おどけた感じで言う川島さんの言葉はなんとなく私に居場所を与えてくれたような気がしました。

「ありがとうございます」

私はお礼を言って川島さんの家を後にして自分の部屋へと戻りました。

そしてまた新しい便箋を出し、そして枕元に置いてあった金剛打ちロープを乱暴にゴミ箱に投げ入れたのでした。

厚生労働省によると令和3年度の自殺の原因として最も多いのは健康問題を理由としたもので、その中でもうつ病による自殺が最も多いのだそうです。

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