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第8話 お世話係の困惑

 食事を終えると、鷹峰さんは足早に帰って行った。これから会社で仕事を片付けないといけないらしい。

 帰国したばかり、と言っていたため、ついさっきまで海外にいたのだろう。それから星川の頼みを聞いて、直で別の仕事か……頭が下がる思いだ。


「私、砂糖とミルクたっぷりでお願いします。苦いのは飲めないので」

「はいよ」


 案の定、全て食べることは出来そうにないため、適当なところで冷蔵庫に入れデザートに移る。

 エナドリの代用品として、コーヒーを用意した。カフェインさえ摂取しておけば、ひとまずは落ち着くだろう。コーヒーも飲み過ぎはよくないが、エナドリよりは幾分かマシである。


 ……それにしても、何だこの家は。

 コーヒーミルなんて、元バイト先の喫茶店でしか見たことが無い。しかもこれ、相当高価な物だし。ドリッパーやサーバーも一般家庭では手が届かないような価格帯の逸品である。


 当然のように、コーヒーカップも高級品。ひとセットで数万円はくだらないだろう。

 これ、俺が洗うんだよな……。

 せっかくあるのだから使わないと勿体ないし、仮に割ったとしても星川は怒らないと思うが、緊張で胸が軋む。


「星川の親って、コーヒー好きだったのか?」

「お婆ちゃんの趣味です」

「さ、先に言ってくれよ。もう色々触っちゃったぞ」

「むしろ再び日の目を見て、お婆ちゃんも喜んでいると思います。私には扱えないので、好きに使っちゃってください」


 ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、これは流石に傷を付けられないぞと息を漏らす。

 慎重にカップに注ぎ、砂糖とミルクを入れてテーブルまで持って行く。


「コーヒーは淹れ慣れてないから、あんまり期待しないでくれよ」


 早速カップに口を付ける星川に対し、俺は予防線を張った。

 ここまで設備を充実させていたお婆さんなら、それはもう美味いコーヒーを出すのだろう。俺も喫茶店のマスターに一通り教わったが、何度か試しに淹れたが実戦経験はない。


 星川は唇を濡らす程度にコーヒーを含み、朱色の舌で上唇を軽くなぞって、こくっと小さく喉を鳴らした。鉄のように固まった頬にほんのりと熱が灯り、蝋のように口元がゆっくりと溶ける。


 美味しいとも不味いとも言わないが、控え目に浮かぶ笑みには言葉以上のインパクトがあった。

 俺もコーヒーを一口飲み、次いでフォークを手に取りショートケーキに意識を向けた。まず念願のチョコレートを――とフォークを伸ばしかけて、「待ってください」と星川の声に顔を上げる。


 瞬間、パーンとクラッカーが鳴った。

 広い室内に響く、一個のクラッカーの破裂音。無表情で紐を引っ張る様は想像以上にシュールで、悪気はないと思うが嫌々やらされているように見える。


「ハッピーバースデーも歌いましょうか?」

「い、いや、気持ちだけ受け取っとくよ」


 星川の生歌は聞いてみたいが、これ以上シュールな空間を作りたくない。


「どうぞ、食べてください」


 満足したようで、ようやくGOサインが出た。


 苺やスポンジよりも、まずはチョコプレートを口へ運ぶ。

 半分齧って、じっくりと舌の上で転がす。……うん、美味しい。味自体は普通のチョコレートだが、それ以上に特別感が味蕾を刺激する。


 これが誕生日の味。


 不意に、爺ちゃんと手を繋いでケーキ屋へ行った記憶が浮上した。しわくちゃな手、垂れた瞼。俺の頭を撫でながら、どれがいいかと優しく聞いてくれて……。

 あぁやばい。何か最近涙もろいぞ、俺。


「はい」


 と、星川の声。

 彼女は自分のケーキに乗っていたチョコプレートを摘まみ、俺の口元に差し出していた。わざわざ手皿まで添えて。


「え?」

「早く食べてください。溶けてしまいます」

「あ、ああ」


 言われるがまま、それを半分ほど齧った。星川はもう半分を自分の口へ放り、溶けて指に付着した残りを丁寧に舐め取る。


「……お、お前なぁ」

「あ、すみません。無断でチョコ食べちゃいました」

「そうじゃなくって。……よく平気でいられるな」

「何がですか?」

「いや、今の」

「食べさせるくらい普通です。私もよく、鷹峰さんとやっていますし」


 同性と異性は違うと思うのだが……。

 何だか俺だけ一方的にやられているみたいで癪だ。


「ほら」

「へ?」


 俺は自分が半分食べたチョコを手に取り、同じように星川に差し出した。

 翡翠の瞳がぱちりとまたたいて、困惑色の視線が俺とチョコを交互の間を何度か行き交う。数秒してようやく意図を理解したのか、瑞々しい唇をゆっくりと開く。


「……」


 ピタリと、星川は動きを止めた。

 もう一度俺を見やり、白磁の頬に紅を垂らす。

 しかし後に引けないのか、はむっとチョコを咥えてそのまま俯いた。髪で表情を隠しながらも、モグモグと咀嚼している。


「な、わかるだろ? もうやるなよ」

「……はい」


 そう言って、星川は恥ずかしそうに縮こまった。


お読みいただきありがとうございます。


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