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第1話 一億の借金背負ったら、同級生にお世話係として雇われた


 カバンとケーキを二人に投げつけて家を飛び出し、死ぬ気で走って近くの公園に逃げ込んだ。

 汗を吸って張り付いた服に、秋風がよく凍みる。


 俺は大きく息を吸った。

 深く、深く、吸い込み……そして、吐き出す。


「ふっざけんなぁああああああ――ッ!!!!」


 喉がびりびりと痛む。だが、それよりも頭が痛い。心が痛い。

 バカバカしいほどにあの両親バカを信頼していた自分を、今ここで殴り飛ばしてやりたい。


 働いて、働いて、働いて。

 二人が悪事に手を染めないよう、綺麗なお金をひたすら家計に入れて、その仕打ちがこれか。


「そういえば……」


 あのお兄さんたちから預かった、両親からの手紙をポケットから取り出す。

 一ミリも期待していないが、もしかすればこれからどこへ行くか書いてあるかもしれない。一ミクロも期待していないが、実は返済する手立てが書いてあるかもしれない。


『愛しの息子へ


 これを読んでいるということは、きっと父さんたちはもう家にいないんだろうな。

 もう幸平は気づいていると思うが、とんでもないことになってしまったんだ。

 何とビックリ! 一億の借金ができちゃった!』


 頭に血が昇るどころではない。頭蓋骨をぶち破って噴火しそうだ。


『借金するのも才能っていうだろ?

 いやまさか、大地主の資産家なんて嘘がまかり通るなんてな。父さんの天才マジシャンぶりにはまいったものだ! 母さんを惚れ直させてしまった!』


 口の中に鉄の味が広がる。

 無意識のうちに、唇を噛み締めていた。


『でも大丈夫! 俺たちには幸平がついているから!

 父さんたちは残った五百万を元手に、どこか遠いところでラーメン屋でもやろうかと思っている。最近は次郎系? とか家系? ってのが流行ってるんだろ。俺たち夫婦なら、どこでだって生きていけるさ! じゃあ、あとのことはよろしく!!


 パピー&マミー』


 今目の前に二人が現れたら、たぶん俺は後先考えずにぶっ殺している。


 大体何だ、残った五百万って。九千万以上も無駄に溶かしたのかあのバカどもは! 

 そもそもラーメン屋って脱サラした三十代じゃねえだぞ! 俺がいつも飯作ってたのに、料理なんか出来ないだろ!


「くそ、くそっ……! 何で俺がこんな目に……!」


 手紙をくしゃくしゃに丸めて、その場にうずくまった。

 神様がいるのなら、きっとそいつはとんでもないサディストだ。若者を痛めつけて、弄んで、誕生日に借金を与えるような変態野郎だ。

 

「すぅー…………はぁっ」


 泣くな、泣いてどうなる。


 何とか気持ちを落ち着けようと深呼吸した。

 冷静になれ、俺。今ここで焦ることが一番まずい。


 一億もの負債だ。警察に逃げ込んだところで、あの手この手で回収しようとして来るだろう。

 それに警察やつらは、俺の両親を逮捕しないような組織だ。正直信用できない。


 ……まあでも、時間稼ぎくらいにはなるか。


「ん?」


 見知った少女が、自販機の前で佇んでいた。


 背中の半ほどまで伸ばした光沢のある漆黒の髪。白磁の肌は人形のように綺麗で、翡翠色の瞳は長いまつ毛に縁取られている。


 校内で誰もが知る可憐な少女、星川雪乃。


 成績優秀で容姿端麗、住まいは駅前の高級マンション。

 当然モテにモテまくるが、どんな男とも付き合わない徹底ぶり。クールな面持ちで劣情を薙ぎ払う様から女子人気が高く、彼女をものにしようと男たちも熱を上げる。


 そんな星川と俺は、何の縁か小学校から高校まで一緒だ。

 しかし、会話をしたのは数えるほど。向こうは元々無口だし、俺も理由がない限り声をかけない。確かに美人で魅力的だが、恋愛感情を持つこととはまた違う。


「何やってるんだ……?」


 そう呟いて、近くの時計を見た。


 時刻は午後十時過ぎ。

 ただの夜の散歩かもしれないが、ならばどうして制服を着ているのだろうか。

 温かい飲み物を買うにしても、一向に財布を出すこともボタンを押すこともしない。


「……っ」


 不意に目が合うと、星川は一瞬驚いたように二重の瞳を見開いた。

 同じ学校に通った年数だけなら、一応十年近い付き合いだ。向こうも俺の顔くらいは覚えているのか、警戒はされていないがエメラルドグリーンの双眼には困惑が浮かぶ。


「いや、何してんのかなと思って」


 下心があると勘違いされてはこちらの気分が悪いため、出来るだけぶっきらぼうな声で尋ねた。

 話しかける気はなかったが、向こうに存在を認識された以上、一声も掛けずに立ち去るのは後味が悪い。


「散歩です」


 凛とした心地のいい、それでいて無感情な声が、端的に状況を説明した。

 

「何で制服着てるんだ?」

「今、家に着れるものがこれしかないので」


 突っ込みどころ満載な返答に待て待てと言いたくなるが、単純に話しかけられたくなくて適当に答えているだけかもしれない。


 そう思いかけて、あることに気づいた。

 彼女の足元、学校用と思しきローファーから覗く靴下が、右と左で柄も長さもまったく違う。一瞬そういうデザインかとも思ったが、それにしても間抜けに見えて仕方がない。


「くしゅっ」


 星川はくしゃみをして、ずるずると鼻をすすった。

 今日は一段と冷える日だ。街でもコートを着ている人を何人か見かけた。


「温かい飲み物を買おうとしたのですが、小銭を自販機の下に落としてしまいまして。それで、どうしたものかと……」


 彼女の右手には、どこかで拾った木の棒が握られていた。取り出そうと努力したらしい。


「代わりの小銭出せばいいだろ」

「お財布を家の中で失くしました。あれが手持ちの全財産です」


 「困りました」と無表情のまま首を捻る星川は、台詞も相まってかなり奇妙に映った。

 実はこいつ、俺をからかっているのだろうか。だとしたら、反応に困ることこの上ない。俺と星川との間に、ギャグを挟めるような余裕はないはず。


「ぶぇっくしゅっ!」


 美貌に似合わない一際大きなくしゃみをすると、透明の鼻水がだらんと垂れた。

 それを恥じらいもなく服の袖で拭こうとする星川。「ちょっと待て!」と声を張り、ポケットからティッシュを取り出した。その際、チャリンと小銭が一緒に落ちる。


「これ、使っていいから」


 ティッシュを星川に押し付け、地面に落ちた小銭に視線を移す。

 コンビニでケーキを買った時に出たおつりだ。あとで財布に入れようと、ポケットにしまっていたのを忘れていた。


 ちょうど、百五十円ある。

 財布が入ったカバンを投げつけたため、これが手持ちの全てだ。


「はぁ……」


 バカだなぁ、と思いつつ。

 自販機に落ちた小銭を全て入れ、温かいお茶を購入した。


「ん」

「え?」

「やるよ。風邪引くぞ」


 きっと俺は、もう高校には行けない。星川に会うのも最後になるだろう。彼女に対して特別な感情はないがが、会えないと思うと寂しくもなる。

 こんな硬貨をじゃらじゃらさせていて、借金返済には到底足りないし、電車で遠出できる金額ではないし、一度の食事で消えてしまう。


 最後なのだから、こういうお金の使い方もありだ。


「……では、お言葉に甘えて」


 やや遠慮しつつも、白く小さな手でペットボトルを包む。


「ありがとうございます」


 口元に浮かぶやわらかな笑みには、百五十円以上の価値があった。

 初めて他人に奢ったが悪くない気分である。


 用は済んだ。そろそろ逃げよう。

 まず警察に駆け込んで、事情を話して。それでもダメなら、北でも南でも、地の果てまで逃げ続けてやる。


「やっと見つけた。手間かけさせんなやクソガキ」


 唐突に力強く肩を掴まれ、心臓が縮み上がった。

 ギゴギゴと錆び付いたロボットのような動きで振り返ると、そこには息を切らしたあの二人が立っている。


「あっ。……ど、どうも」


 愛想笑いでどうにかならないかと思ったが、「へらへらすんな!」と恫喝されてしまった。


 やばい。マジでやばい。

 格闘技でもやっていればどうにかなったかもしれないが、残念ながらそんな特技はない。


 何より心配なのは、星川のことだ。

 まさか彼女にちょっかいを出すとは思えないが、俺の関係者だと勘違いして何か言い出すかもしれない。俺の親の不祥事で不快な思いをさせるのは避けたい。


 今すぐここから離れるよう、目で訴えた。


 それが通じたのか、星川はコクリと頷いて――。

 なぜか、一歩二歩と前進した。


瀬田(せた)君が何かしたんですか?」


 いやいや、いやいやいや!!

 何で話しかけてるんだお前! そうじゃないんだよ!


「あぁ? 何だお嬢ちゃん、こいつの彼女か?」

「同級生です。それで、瀬田君が何か?」

「こいつの親が、オレたちから金借りてとんずらこきやがったのよ。んで、息子から借りたもん返してもらおうってお話してるわけ」

「なるほど。おいくらでしょう?」

「一億や。何や、やけに首突っ込むな。こいつの代わりに払ってくれるんか?」

「払ってもいいですよ」

「どだい無理な話や。さっさと失せろ」

「だから、払ってもいいですって」

「あのな星川、これは俺の問題だからお前は――」

「私が払いますよ、一億」

「「「……は?」」」


 語気を強めて吐いたその台詞に、俺は借金取りたちと顔を見合わせた。


「おい。あの女、頭イカレとんのか」

「い、いや、どうでしょう……」


 表情が乏しいため真剣そうには見えないが、しかし冗談を言っているとも思えない。 


「現金がいいですか? それとも振り込みですか?」

「ま、待てや」

「現金なら、後日知り合いに持って行かせます。受け渡し場所を教えてください」

「冗談もたいがいにせえ! あんま舐めとると痛い目あわすぞ!」

「お金が届かなかった時は、私を捕まえて売り飛ばしてください。少なくとも、瀬田君よりは高く買われる自信がありますし。心配しなくても、逃げたりしませんよ」


 その物言いは胆力に溢れており、強靭な男気を前に二人は口を噤む他なかった。

 何の根拠も信頼もないはずだが、本当に一億用意しそうな凄みがある。

 二人はヒソヒソと何やら相談し、「一週間待ったるからここにもって来い」と一枚の紙を星川に渡した。彼女がそれを受け取ると、二人はそのまま踵を返し去ってゆく。


「……え? え?」


 まったく状況が掴めず、俺の頭上が疑問符で埋まった。

 「本当にいいんですか!?」と呼び戻そうとするが、一向に戻って来る気配がない。


 何だこれ。どういうことだ。


「ほ、星川、一億だぞ? ゲームとかの話じゃないんだからな?」

「安心してください。お金ならあります」


 住まいがあんな立派なマンションなのだ。そりゃあ親は金持ちだろう。

 だが、一般人の生涯賃金の三割近い大金を、娘の知り合い程度でしかない男のためにポンと支払えるのだろうか。俺だったら絶対にできない。


「それに、タダではありません。瀬田君には働いてもらいます、私のために」

「星川の、ために……?」

「私一人暮らしなのですが、家事をするのが苦手で。なのでお世話をしてください。一億円分ですから……えーっと、三、四十年くらいですかね」

「……」

「部屋が余っているので一緒に住めば家賃はタダですし、食費や光熱費などはこちらが負担するので、悪い話ではないと思いますが」

「……いいとか悪いとかじゃなくってだな。あのー、ほ、星川さん? 自分が何言ってるかわかってます?」

「はい。復唱しましょうか」


 ダメだ。話が通じない。

 本当の本当に払ってくれるとして、俺のどこにそんな価値があるんだ。一緒に住むというのも意味がわからない。ありがたいが、どうしたって何か裏があるのではと勘ぐってしまう。


「私、瀬田君には大きな借りがあるんです」


 頭を抱えていた俺は、その声におずおずと視線を上げた。


「さっきのお茶か?」

「違います。ずっと前のことです」


 見惚れるほどに美しい、頬に僅かな朱が滲む無表情。サディストな神様は、きっと彼女に対してだけは優しいのだろう。


 それを隠すように、星川はふっと背を向けた。艶やかな髪が空気を撫で、梨のような甘く瑞々しい香りに心臓が跳ねる。


「今日のところは帰ります。明日学校に来る時、必要なものを全て持って来てください。放課後、そのままうちへ案内するので」


 遠ざかる背中には、こちらの話を聞き入れそうな雰囲気がない。俺は伸ばしかけた手を下ろして、小さくため息を漏らす。


「何がどうなってるんだよ……」



 ◆



「それはまた、妙なことになったね」


 昼休みの教室。

 友人の宗方(むながた)(りん)に昨日の出来事を話すと、彼は菓子パンを食べながらふぅむと唸った。

 この男とは中学校からの仲で、俺の家庭事情を知る数少ない一人だ。


「だろ。俺も意味がわからねえんだ」


 あのあと言われた通り部屋に戻り、一晩じっくり考えた。

 しかし、やはりわからない。星川が俺を助けた理由が。


「でもよかったじゃん。もうご両親の面倒も見なくていいし、借金だってなくなるんだろ?」

「い、いや、でもな凛、絶対裏があるから。俺、絶対よくないことに巻き込まれるって!」

「幸平は考え過ぎだよ。素直に喜べば?」

「一億だぞ、一億! そんなの肩代わりするやついないだろ!」

「自分の子供にそんな大金押し付ける親も相当珍しいから、代わりに払ってくれる同級生がいたって不思議じゃないけどね」


 それは一理ある。

 あんな道徳を履修していない男女が夫婦になるなんて、この日本においては隕石が頭に直撃するくらいの確率だろう。とすれば、星川のような人間と巡り合う可能性も否定できない。


「それにさ、怖い人たちに追いかけられるか、星川さんみたいな可愛い子に雇われるかだったら、僕は後者を選ぶよ」

「た、確かに……」

「まあでも、星川さんっていつも無表情で何考えてるかわからない感じするからなぁ。目とか、正直ちょっと怖いし。一億円分の拷問とかされるかも」

「お前は俺を安心させたいのか不安にさせたいのかどっちだよ!?」

「僕はいつだって面白い方の味方だよ」


 と言って、へらへらと軽薄な笑みを作った。


 凛は面の良さこそ一級品だが、中身はゴシップ好きの悪い意味で人間臭いやつだ。

 新聞部の部長を務めており、校内新聞をゲスい娯楽情報誌に変えてしまうほどの快楽主義者である。教頭の生徒へのセクハラをすっぱ抜いたりサッカー部の部長の恐喝を取り上げたりと、何かと黒い話題に事欠かない。


「明日、生きて学校に来られたら何があったか聞かせてね」

「不吉な言い方するなよ!」

「大丈夫、死んでも記事にはするから」

「絶対に化けて出てやるからな!」

「いいね。ホラー特集が組める」

「お前、そんなこと言ってたらいつか誰かに刺されるぞ……」

「別に構わないよ。何だかんだ、みんな流血沙汰って好きだし。痛いのは嫌だけど、面白いなら仕方ないね」


 ……。


 親も、凛も、星川も。

 どうしてこうも、俺の周りは変なやつばっかりなんだ。


お読みいただきありがとうございます。


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