第16話 お世話係の手
小一時間ほどで、カレーとサラダが完成した。
いつものようにテーブルに並べ、いただきますと手を合わす。
しかし、星川はジッと俺を見つめて動かない。ガラス玉のような無感情な瞳に射られ、こちらとしては非常に食べにくく……
「お、俺何か悪いことしたか?」
おずおずと尋ねると、星川は首を横に振った。
「瀬田君は右利きですよね」
「そうだけど……」
「私が食事のお手伝いをしましょうか?」
正直、その提案は予想していた。
数ある簡単な料理の中でカレーを選択したのは、そこに対応するためでもある。スプーンなら右でも左でも関係ないし、サラダだってフォークがあれば問題ない。
「いいよ。左手でも食べれるし」
「そうですか。困ったら教えてください」
星川はすっと引き下がって、カレーを一口食べた。
自分で作った分、いつもより美味しいのだろう。ほっと漏らした吐息には、普段以上に黄色い感情が含まれている。
思い返すと、誰かと一緒にカレーを作ったのなんて小学校でのキャンプ以来だ。
こういう料理も悪くない。
「……あ、あれ」
俺は俺で、左手での食事に苦労していた。
おかしい。想像と違う。
普段、どうやってスプーン持ってたっけ。
諦めて右手で握ってみた。……うん、これだ。しっくりくる。
「いっ……!」
カレーを持ち上げると、ピキッと痛みが走りスプーンごと落としてしまった。
今日明日は絶対に安静に、と医者に言われておきながら、包丁を握ってしまったことで悪化したらしい。
「……」
カレーに沈むスプーンから視線を上げると、星川が今にも泣きそうな目でこちらを見ていた。
あはは、と苦々しい作り笑いを送って、スプーンを拾った。だが、右手の指に力を込めるだけで一苦労である。
「ダメですっ」
俺の皿を強引に奪い取り、眉を僅かに寄せる。
「ちょっと失敗しただけだから、大丈夫だって」
「見ていて辛いんです。私のせいで、そうなったので。どうか頼ってください……」
お願いします、と星川は目を眇めた。
この怪我は、俺からすれば俺自身の失敗だ。
もっと安全に気を配っていれば、こんなことにはならなかった。
しかし、星川の立場で考えれば、確かに俺を見るのは心が痛むだろう。
そうでなくても、怪我人が目の前で食事に苦労していれば、何とかしてあげたいと思うのは自然な心の動きである。
「……じゃあ、頼むよ」
俺は息をついて、スプーンの柄についたカレーをティッシュで拭った。それを星川に渡すと、「わかりました」と深く頷いて俺の隣に移動する。
「ふぅー、ふぅー」
口内を火傷しないよう、カレーに息を吹きかける星川。
何だこれ。意味がわからないくらい恥ずかしい。
思い返すと、こんなシチュエーションは初めてだ。体調が悪くても食事は自分で摂ったし、ああして冷まして貰った経験がない。
「どうぞ」
と、差し出され。
相当な葛藤はあったが、大人しく口を開けカレーを頬張った。星川の顔は真剣一色で、羞恥心が入り込む隙すらない。
「美味しいですか?」
「あ、ああ」
「頑張って作りましたからね」
嬉しそうに少しだけ口元を緩めて、星川はもう一口分スプーンで掬い取った。
楽しいような苦しいような食事は、二十分ほどで終了。
洗い物は明日にでもしておくと水に浸けるよう指示し、ふぅーと息をついてソファに座る。
「あの、次は何を?」
「今日はもういいよ。あとは俺がよくなってからするし」
「わかりました」
そう言って、隣に座り……
おもむろに俺の右手首に触れて、ハムスターを愛でるような力加減で撫で始めた。
「……あのー、ほ、星川さん?」
「あっ。痛かったですか?」
「痛くはないけど、何してんのかなって……」
右手首を両手で優しく包みながら、上目遣いでこちらを見つめた。
瑞々しい甘さがふっと鼻腔を刺激し、ゴクリと唾を呑む。
「痛いの痛いの飛んでけ、です。私もよくやってもらいました」
それも、お婆さんからの教えなのだろう。
科学的な根拠は一切ないと思うが、正直悪い気はしないので何も言わない。
「……ほぉ」
ムニムニ、と。
ただ優しく撫でていただけの手が、徐々に俺の指を弄り始めた。興味深そうに声を漏らして、指の腹を丹念にこねくり回す。
「ゴツゴツしています」
「男だし、そりゃ多少はな。……面白いか?」
「興味深いです」
よくわからないが、おそらく犬や猫の肉球を触ってみたくなるのと同じだろう。自分にないものだから、興味が湧くのも頷ける。
「今まで、色々なお仕事をして来たんですよね。この手で」
「まあ、それなりにな」
「その中で、私のお世話係はどうですか? 嫌じゃないですか?」
そもそも俺は、嫌という感覚をこの仕事に持ち込める立場にない。
星川は恩人だ。お世話係をして欲しいと言われたから俺はここにいるし、やっぱり別の仕事で稼いで返済してと言われても文句はない。
……だが、そんなことを言ったところで、質問への回答としては不適格だろう。
ここはあえて、自分の立場を一旦脇に置く。
「片付けてもきりがないし、何度言っても服は裏返しでその辺に放置してるし。それに、未だにこっそりエナドリ飲んでるのはどうかと思う」
「き、気づいていましたか……」
まずい、と思ったのだろう。声のトーンを落として、少しだけ縮こまった。
「でも、今までで一番楽しいよ。こんな仕事は、あとにも先にも絶対にない。全部、星川のおかげだ」
両の瞳に俺を映して、ぱちりとまたたいた。
気をつけていないと見逃すほどに小さく笑って、再び視線を落とす。
「頑張り屋さんな手なので、しばらくはしっかり休んでください」
そう言って、手首から甲にかけて優しく手のひらを流した。
お読みいただきありがとうございます。
「面白い!」と思ってくださった方は、
ブックマーク登録・評価を(目次下の☆☆☆☆☆を★★★★★)して頂けると励みになります!




