第15話 お世話係は負傷中
「……何してるんだ?」
病院へ行きその足で家に帰ると、玄関先で星川が正座していた。いつもの乏しい表情に、精一杯の申し訳なさを溜めて。
ゆっくりと腰を上げ、深々と頭を下げた。「ごめんなさい」と零した声にはあまり力がなく、むしろこっちが申し訳なくなってくる。
「心配するなよ。手首の打撲で済んだから。一週間くらいで治るってさ」
「ほ、本当に……?」
「医者が言ったんだから間違いない。まあ、見た目は大袈裟だけど」
包帯が巻かれた右手を一瞥し、俺は苦笑した。
正直、重症なのではと覚悟していた。しかしこの身体は、俺が思っているよりずっと頑丈らしい。
「……でも、この怪我は私の責任です。お世話係なのをいいことに、あんな風に使ったから……」
「いや、お世話係とか関係なく、お前が猫を助けたがってたら手伝ったからな。格好つけたい年頃なんだよ、男の子だし」
「じゃ、この話は終わり」と靴を脱ぎリビングに向かう。
とその時、きゅっと星川が俺のコートを掴んだ。子供が親を引き留めるような、懸命な力で。
「責任は、取ります」
「……え?」
「怪我が良くなるまで、私のことを右手だと思って好きに使ってください」
どうぞ、と真剣な面持ちで両腕を広げる星川。
右手だと思って好きに使う、か。……一瞬過ぎったアレな妄想を、頭を振って追い出す。
「なので、晩御飯作り、お手伝いします」
「ちょ、ちょっと」
「さあ行きましょう」
ふんすとやる気たっぷりに鼻息を漏らし、星川は廊下を歩いて行った。
◆
「今日のごはんは何ですか?」
どこにしまっていたのか新品のエプロンを引っ張り出し、三角巾で髪を覆って準備万端の星川。
俺はフッと目を逸らし、どうしようかと思案する。
「……カレー、だな」
「ほう、カレー。いいですね」
本当はラザニアと根菜のミネストローネにする予定だった。
しかし、状況が変わった。
星川が手伝うと言う以上、あまり難しいものを作るわけにはいかない。
カレーなら手料理の定番だし、切って焼いて煮込むだけ。いくら星川に生活力がないといっても、家庭科の時間に何度か作っているから問題ないだろう。
「まず何からしましょう。指示をください」
「じゃあ、タマネギのみじん切りして貰えるか」
包丁で怪我をされては困るため、みじん切り器を戸棚から出した。
星川にタマネギの皮を剥いて貰い、その脇で俺がみじん切り器に入るよう手ごろなサイズにカットする。
負傷したのが手首で助かった。
かなり痛むが、包丁を握れないほどではない。
「すごい、これ楽しいです」
みじん切り器は、容器の中に刃が入っており、紐を引っ張ることでその刃が回転しタマネギを切るという仕組み。ぎゅいんと三回四回と引っ張れば、誰でも簡単にみじん切りが出来てしまう。
星川はそれが面白いらしく、ほえーっと目をキラキラさせながら完成したみじん切りを見ていた。無表情なのが玉に瑕だが、無邪気な言動がとても可愛らしい。
「次はそれを耐熱皿に移して、一分間レンジでチンしてくれ。終わったら、弱火で飴色になるまで炒める。できそうか?」
「よゆーですよ」
耐熱皿を渡すと、星川はうんうんと頷いた。
レンジが回る間、じっと終わるのを待つ背中は、何だか小動物のようで愛らしい。やばい、つい視線を持って行かれてしまう。
これで俺が怪我をしては洒落にならないため、自分の作業に集中する。
ピーラーでジャガイモとニンジンの皮を剥き、キッチンバサミで鶏もも肉を一口サイズにカットした。星川はフライパンと木べらを手にタマネギを炒めており、その横顔は真剣そのものである。
「油なんか出して、揚げ物も作るんですか」
「ジャガイモを素揚げしておくと煮崩れしないんだ。ニンジンも一回煮て青臭さを抜くから、タマネギが終わったら頼んでもいいか?」
「了解です」
二口コンロの前に、二人で立つ。
いつもキッチンには一人で立っているため、肩と肩が触れ合うだけで緊張してしまう。手伝うと言われ正直邪魔だと思ったが……うん、悪くない。というか、大変良い。
「瀬田君はすごいです」
「何が?」
「こんな大変なことを毎日こなして尊敬ですよ」
「仕事だしな。それに、星川にはちゃんと栄養があって美味しいもの食べて欲しいし」
手を抜こうと思えばいくらでも出来る。
だが、俺が楽をして星川に苦を強いるわけにはいかない。受けた恩を仇では返すなんて、そんなことができるほど上等な人間ではない。
「――――でしょうね」
「え?」
タマネギが焼ける音とジャガイモを揚げる音でかき消され、すぐそばだというのに上手く聞き取れなかった。
星川は火に当てられ変色してゆくタマネギを見つめながら、もう一度唇を動かす。
「お婆ちゃんは……全然お手伝いしなかった私を、どう思ってたんでしょうね」
昏く沈んだ瞳でそう零して、すぐさま我に返ったように「ごめんなさい」と呟いた。
星川との生活の中で、一つ気づいたことがある。
それは、彼女の話には徹底して両親が登場しないこと。何か確執があるのは間違いなく、その穴を埋めるように祖母が出て来る。
俺にとって爺ちゃんが特別だったように、星川にとっても相当特別な人なのだろう。
もうどうしようもない過去について憂う気持ちは、痛いほどに理解できる。
「……俺は星川のお婆さんのことは知らないし、部外者だから適当なことは言うべきじゃないんだろうけど」
そう前置きして、横目に彼女を見た。
「作ってる側からしたら、美味しく綺麗に食べてくれることが一番嬉しいんだ。星川って箸の持ち方も食べ方も上品だし、嫌いなものだって何だかんだ残さないし、たくさん食べてくれるし。作り甲斐があってすごく助かってる」
「だから」と続けた。
翡翠の双眼は、微かな光を宿してこちらを見上げている。
「星川のお婆さんも、同じ気持ちだったんじゃないかな。お手伝い云々より、ただ食べてくれることが何よりも嬉しかったと思う」
何の客観性にも基づかない、ただ俺がそう思うから、という自分勝手な意見だ。
でも、きっと星川の祖母は、話を聞く限り誰よりも彼女を愛していただろう。それなら、手伝い程度のことを気に病んでいたとは考えられない。
「そう、ですかね」
自信なさげな、それでいて少し安堵したような表情で呟く。
俺は彼女の頭にぽんと手を置き、「そうだよ」と三角巾の上から優しく撫でた。……と、そこまでしてから、無断で触ってしまったことに気づき手を離す。
「わ、悪い」
「……いえ、ありがとうございます」
そう言って口元に浮かべた笑みは、吹けば飛びそうなほどに儚くて、美しくて。
心臓が、大きく高鳴った。
「それはそうと、箸の持ち方とか食べ方とか、瀬田君は私のことを見過ぎでは……?」
俺は熱を持った頬を隠すように顔を逸らし、彼女からの疑問を無視した。
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