第14話 お世話係と猫
十一月中旬。
残暑を引きずり続けた地球もようやく季節を思い出し、一週間前から急激に冷え込みコートが欠かせなくなった。
星川との生活も半月が経過。食事を作って、掃除をして、洗濯をして。最初は慌ただしかった日々も、最近はパターン化されている。
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい、瀬田君。また学校で」
こうして俺が先に家を出て、五分ほど置いてから星川が出るという、言わずと雰囲気で決められたルールに従い今日も学校へ向かった。
今日の最低気温は10℃を下回る。
息を吐けば白い尾が引き、無意識に両手をポケットに入れてしまう。
学校に着くと、クラスはいつもより賑やかだった。
……あぁ、そっか。今日はマラソン大会だ。
全学年一斉スタートで、十キロのコースを走るイベント。今日は通常授業がなく、例年昼の三時には解散すると担任が言っていた。ちなみに、ゴールした者から順に豚汁が振る舞われるらしい。
「おはよう、幸平」
「おう。おはよう」
凜と挨拶を交わし席に着く。
彼の様相がいつもと違うことに、俺は「あれ?」と首を傾げた。
「お前、マラソン大会出るのか?」
中学の時もマラソン大会はあったが、凜は一度も走っていない。
毎年都合よく当日の朝に捻挫し、参加しないのだ。
理由は単純に、走ることが嫌いだから。
そりゃそうだ。誰だって寒空の下、息を切らして疲れたくない。
「うん。仕方なくね」
「だ、大丈夫か? お腹壊したとか? もしかして、変な宗教でも信じ始めた?」
「……僕が学校行事に参加するのは、そんなに大ごとかな」
「いやだって……」
どれだけ嫌でも、この手のイベントは誰だって何だかんだで参加する。
しかし、凜は本当にやらないのだから流石だ。褒めているわけではないが。
「新聞部で好き勝手やってるから、先生に色々言われるんだよね。だから、余計なとこで目立つのはやめようと思って」
「大人になったんだな、お前も」
「いやむしろ、子供を続けるための努力かな。今度の期末も、一応そこそこの点数取れるように頑張ってるし」
……き、期末?
完全に忘れていた。そうだ、マラソン大会が終わったらすぐにテスト期間じゃないか。
まずい、という感情が顔に出ていたのだろう。凜は悪い顔を作って、「点数、勝負しよっか」と勝利を確信した声音で言った。ふざけるなと俺は息をつき、椅子の背に体重を預ける。
「そうそう。前に絡んできた先輩だけど、あれからちゃんと静かにしてるみたいだから安心していいよ」
「ああ、そっか。悪いな、世話焼かせて」
「僕の趣味だから気にしないで。それにあの人からは、面白い話も聞けたし」
「……」
軽薄な笑みは今日も絶好調。
悪事の証拠で揺すって、別のネタを吐かせる。……本当にいつか刺されそうで心配になってきた。
◆
マラソン大会が始まり、二十分ほど経過した。
最初は一個の生き物のようにかたまっていた生徒たちも、一キロ、二キロと進むごとに少しずつばらけていった。最初から全力で手を抜いて走っていた俺の周りには、もう既に誰もいない。
「……あれ?」
十メートルほど先に、星川が立っていた。
クラスが違うため、彼女の体操服姿を見るのは体育祭以来だ。髪を後ろで括っており、いつにも増して清涼感がある。
疲れて休んでいるのだろうか。……しかし、こちらに向けられた彼女の瞳には、不安気な色が浮かんでいる。
「……」
流石に無視出来ず、俺は足を止めた。
周りに誰もいないことを確認し、「どうしたんだ?」と尋ねる。
「猫さんが、木の上から降りられなくなっていて」
言いながら、すぐすばの木の上を指差す。
そこには、首輪の付いた子猫がいた。こちらを見るなり「なぁー」と鳴いて、細い枝の上で震えている。
「せ、瀬田君……」
どうしましょう、と緑の双眼が揺らめく。
俺は息をついて頭を掻いた。
……さて、どうする。
誰かを呼びに行くにも、あまり時間をかけると落ちてしまうかもしれない。向こうは動物、こちらが忠告しても大人しくはしないだろう。
「登るにしても、ちょっとこれはなぁ……」
木に取っ掛かりがあれば何とかなったかもしれないが、残念ながら真っすぐで立派な木だ。俺は猿でもボルダリングの選手でもないため、流石にこれは登れない。
「私が瀬田君を肩車する、というのはどうでしょう。それで手が届きます」
「そんなところ、誰かに見られたらどうするんだ」
「サッとやれば大丈夫ですよ」
「そういう問題じゃ……まあでも、逆ならいけるか」
俺は木の傍で腰を落とし、肩に乗るよう指示した。
どふっと、星川の全体重が首周りに乗った。前に経験したおんぶよりはマシだろうと思ったが、これはこれでまずいかもしれない。劣情をひたすらに刺激するじっとりとした温かさに心臓が高鳴る。
「ほ、星川……早く、早くしてくれ……」
「ちょ、ちょっと待ってください。手が、もう少し、届かなくって……!」
ただ手を伸ばしているだけ。それだけの話。
……と、頭では理解しているが、身をよじるたびに「んっ」「あっ」と上擦った声を漏らすため、もう色々限界だった。
「瀬田君。私の足、持ち上げてください」
「は? いや、それは危ないって」
「もうちょっと、もうちょっとなんです!」
切羽詰まった声に押され、俺は足場を作るように星川の両足の底に手を添え持ち上げた。彼女は思い切り膝を伸ばして、「捕まえました!」と嬉しそうに叫ぶ。
瞬間、星川の重心が大きく右へ逸れた。
下はアスファルト。このままでは身体を強打してしまう。
落下の寸前、どうにか彼女と地面の間に右腕を滑りこませた。それによって、頭を打つことだけは回避させたが……
「あぁああああっ!!」
俺の右腕は、無事では済まなかった。
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