第10話 お世話係の鉄槌
「お、お前、何の用だよっ!」
男子生徒は凄まじい剣幕で唾をまき散らした。その隙にもう片方の腕も取り、僅かでも自由を奪う。
チラリと後ろを見ると、星川は腰が抜けたのか床にへたり込んでいた。「早く逃げろ!」と叫ぶが、足はフローリングの表面をなぞるばかりでどこへも進まない。
「ちょっと、誰か!! 先生呼ん――」
こうなっては仕方ないと教室の外に助けを求めたが、言い切る前に腹部に膝蹴りを食らう。
「瀬田テメェ! 離せクソッ! クソがッ!」
一言発するたびに、力任せに膝蹴りを打ってきた。
特別鍛えているわけでも喧嘩慣れしているわけでもないため、普通に怖いしメチャクチャ痛い。
それでも掴んだ両腕を離すわけにはいかず、どうにか耐えながら星川が逃げるのを待つ。――と、彼女を一瞥した時、両の瞳に涙が浮かんでいるのが見えた。
フツフツ、と。
自分でも血の流れが分かるほどに、頭が熱くなってゆく。
「いい加減にしろッ!!」
一切の手加減なく、俺は相手の股間を蹴り上げた。
柔らかい物を限りなく平らに変形させるような感触。
男の顔は瞬く間に真っ青になり、下腹部を押さえて倒れた。
喧嘩する時は股間以外狙うなと父さんに教わったことが、まさかこんなところで役に立つとは。いや、感謝はしないけど。
「お……ま、えっ、卑怯だぞ……っ」
「女の子を殴ろうとしておいて何言ってんだ。頭おかしいんじゃないのか」
「テメェ……ぜ、絶対に、言いふらしてやるからな。借金のこと、絶対に……っ」
それは非常に面倒なことになってしまうかもしれないが、今はどうでもいいことだ。
「……ごめんな、突き飛ばして」
星川の元へ向かい、まず頭を下げた。お尻を打って痛かっただろう。
幸い怪我はなさそうだが、やはり腰が持ち上がらないらしい。さて、どうしたものか。
「おい聞いてんのか!!」
「聞こえてるようるさいなぁ」
その声に反応したのは、俺でも星川でもない。
教室の反対側の扉を開き、ひょっこりと凜が顔を出す。
「……お前、もしかしてずっと見てたのか?」
「幸平と先輩が取っ組み合ってるとこからね。いやぁ、金的って見てる方も辛いよ。ひゅんってしたし」
いつもの軽薄な笑みを浮かべながら、手に持ったスマホを操作する。
「な、何だよお前。部外者はすっこんでろ!」
「それは出来ない相談ですね。僕、新聞部の部長やってまして。校内の暴力沙汰って記事になると思いませんか?」
主に凜のせいで新聞部がヤバイというのは周知の事実だ。
男の顔は更に青くなるが、「ふ、ふんっ」となおも虚勢を張る。
「だから何だよ! 瀬田がオレに金的食らわせただけだろ!」
なるほど、そう来たか。
俺が手を出してしまったため、そういう言い逃れ方もあるだろう。
だが、凜は嬉々として彼にスマホの画面を見せつけた。
「あ、そう言うと思って動画撮っときました。先輩の方から手を出しておいて、幸平に蹴られて情けなーく倒れちゃうとこまでバッチリと!」
何でこいつは、他人を貶めている時が一番イケメンなのだろうか。
肌艶が凄まじく、目の錯覚かオーラすら感じる。
「あと僕、実は先輩のツイッターのアカウント知ってるんですよ。鍵かけてますけど、前にタレこんでくれた人がいましてね。ダメですよ、お酒飲んだり煙草吸ってる動画を投稿しちゃ。他校の子を殴った自慢もモテませんって」
もはや強がることすら出来ず、彼は凜を見上げて怯えていた。
暴力沙汰なら生徒間の喧嘩と認識され、停学程度で済むかもしれない。しかし、飲酒や喫煙、犯罪の告白はより重い処分が下る。証拠があるなら言い訳が出来るはずもなく、今から消したところで凜は既に保存しているだろう。
「僕は優しいので、先輩に関する一切の情報をひとまず伏せておきます。なので、幸平についてグチグチ言わないでくださいね。僕は手が滑りやすいので」
それで構わないかな、と凜が目配せしてきたので頷く。
相変わらず用意周到。俺もこういう立ち回り方が出来れば、無駄に腹を蹴られなくて済んだかもしれない。
「……俺、星川を保健室に連れて行きたいんだけど」
「そうだね。あとは僕が適当にやっとくよ」
やっとくって、まだ何かするつもりなのか。
まあ、どうでもいいことだ。とことん酷い目に遭えばいい。ろくでなしに気を回しても仕方ないことを、俺は痛いほど理解している。
「どうだ。まだ立てそうにないか?」
「あ、あの、えっと」
「わかったわかった。じゃあ、ちょっとこれ被っとけ」
制服の上着を脱ぎ、彼女の頭に被せた。
立てない以上背負って連れて行くしかないが、他の生徒に顔を見られるのは困る。少々不格好だが仕方ない。
「先輩、実は色々と聞きたいことが――」
早速不穏なやり取りを始める凜を背に、俺は星川と共に教室を出た。
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