第三話 異世界の街
「うわあ、すごいよ透路!!」
痛い痛い痛い。
耳が痛い。
そんな耳元で叫ばなくたって聞こえるって。
とはいえ、僕も彼女の意見にはおおむね同意だった。
確かにすごい。
「本当に……異世界なんだ」
街の大通りは、行き交う人々でごった返していた。
いや、そこにいたのは『人』だけではない。
怪しい骨董品を売る露店商はドラゴンみたいな翼を生やしているし、
体のラインが浮かぶほどの衣装で呼び込みをしている女性はネコミミが生えてるし、
屋台で串物を売りさばいている店主に至っては緑色の皮膚をしたオークだ。
それだけじゃない。
見た目は僕や詩恵理みたいな普通の人間でも、耳がとがっていたり、額から角が生えていたり、どこか『普通』とは言い難い特徴を有している人が多い。こう見ると、僕たちみたいな何の特徴もない人種の方が珍しいのだろうか。
そりゃそうか、異世界なんだし。
僕にとっての『普通』が、ここでは『異常』だとしても何の不思議もない。
「いかがです? 私たちの世界は」
言うことなし、だ。
夢にまで見た非日常がここに広がっている。
こここそが、僕の桃源郷と言っても何ら過言ではないだろう。
「やっぱり僕、異世界に来てよか――あれ?」
僕は背後にいるセレーヌさんを肩越しに見やった――つもりだった。
しかし、
異世界のシスター、美人系金髪お姉さん、横乳魔法使いの異名を欲しいままにするセレーヌさんはそこにはいなかった。
そこにいたのは、
「……どうかしましたか、トウジ様?」
「えっ、あっ……ああっ」
天使だった。
この世の美という美を一点に凝縮させた生命体が、そこにいた。
さっきの大広間では壁面に備えつけられた燭台の明かりしかなかったが、陽光降りそそぐこの屋外にあっては、セレーヌさんの頭からつま先までを余すところなく観察できる。
白魚のような肌はより白くなめらかに、透き通る碧眼はより青く透明に、艶のある金髪はより強い輝きを放っている。
白を基調とするシスターの衣装も相まって、彼女の姿はより清廉潔白な様相を呈していた。
不純なところを挙げるとすれば、その漏れがちな横乳くらいなものだ。
しかし、不純な塊ともいえる漏れ乳でさえ神聖なものに感じさせるほど、彼女は神々しい。
「あの……トウジ様?」
「あああ……え、あああ」
ダメだ。
あまりの衝撃に言語機能が完全に麻痺している。
異世界に転生して早々これでは、我ながら先が思いやられ――。
「痛っ!?」
左腕に激痛が走った。
殴打されたのである。
隣にいた幼馴染みに。
「何するんだよ、詩恵理」
僕を美貌の虜から解放してくれたことには礼を言うけれど、それにしても手加減くらいはあって然るべきではないだろうか。腕がへし折れたかと思ったぞ。
などと僕が文句を言うより早く、詩恵理が口を開いた。
「透路さ。このお姉さんのこと、見過ぎじゃない?」
詩恵理は両手で聖剣を抱きかかえながら、眉間にしわを寄せる。
長い付き合いだけど、こんな表情は今まで見たことがないぞ。
一体どうしたというのだろうか。
「いやいやいや。心を無にして物思いにふけっていた最中、その視線の先に偶然セリーヌさんがいただけであって何も不純な下心から彼女を眺めまわしていたわけじゃない」
僕の経験則上、適当に長文を並べておけばこの天然少女はごまかせる。
それほどまでに、詩恵理の天然は病的なのだ。
「……おっぱい見過ぎ」
前言撤回、おっぱい見てたのがっつりバレてた。
いや、でもさあ。
あんなの見てくださいって言ってるようなものだろ。
セレーヌさんって実は、痴女なんじゃないのか。
「あ、痴女といえばさ……さっきの賢者サマって明らかに幼女だったけど、実際の年齢は結構いってるのか?」
「どういう経緯で痴女から連想したかは気になるところですが……そうですね、賢者様は1000年前の伝承にも名が残っているお方ですから」
「すごいな。まさに異世界の住人って感じだ」
自分の失言を忘却へと追いやるため、僕は矢継ぎ早に切り返した。
あんなちびっ子が、少なくとも1000歳以上の超高齢者ということか。
元の世界ではまず有り得ないことだけど、今後はこういう非現実的なことに慣れていかないとな。
「セレーヌ・エヴァレンテ!!」
通りの喧騒をかき消すほどの怒号が、僕の背後から聞こえた。
セレーヌさんを呼ぶその声が悪意に満ちていることは、もはや男の顔を見るまでもなく感じとれた。
「てめえのせいで俺がどんな目に遭っているか分かるか!? この偽善者め!」
男は驚くほど高い鼻と長い耳を有しており、まるで物語に出てくるエルフのような見た目だった。また――それ以上に驚くべきことに――彼の手には鋭い小剣が握られていた。
そして――。
「詩恵理っ!?」
男は詩恵理を人質にとっていた。
小剣の刃は、彼女の首筋まで5センチと離れていない。
「と……透路ぃ」
さすがの天然少女と言えど、この状況には一抹の不安をにじませている。
当然、通りの人々も我先にと逃げだしていた。
っていうかあの男、セレーヌさんのことを呼んでたよな。
一体どれほどのことをすれば、人をここまでの狂気に走らせるんだ?
「あなたは確か……悪徳魔法医ですね。一体何を怒っているのですか?」
「何を怒ってるか、だと? ふざけやがって。てめえが無償で治癒なんてやってやがるから、こっちは商売あがったりなんだよ!!」
「いい加減な治癒を施し、恫喝まがいに代金を請求するあなたよりマシでしょう?」
検討はついていたけど、エルフの男に非があるのは明白なようだ。
しかし、挑発するのはやめてくれ。
今は幼馴染みの命がかかっているんだ。
「セレーヌさん……事情はどうあれ、詩恵理の安全を最優先に考えてくれ」
僕が小声でそうささやくと、セレーヌさんは眉をひそめた。
「シエリ様の安全、ですか? ご存知とお思いですが、彼女は今や最強の勇者なのですよ」
「そうだろうさ。でも、今のあいつは戦い方なんて知らない。剣の振り方どころか、人を殴る方法だって知らないんだ」
「そのようなことを知っている必要はございません。だってほら……トウジ様の腕がそれを雄弁に物語っています」
腕?
僕の腕が何だと言うんだ?
僕は右手を見る。
当然、何もない。
次は左手……あれ?
左手が動かない……?
あれ。
っていうかこれ、
「おっ、お、おれおれ……折れてるぅっ!?」
「先ほど、シエリ様があなたを軽く小突いた時に折れていましたが、痛みはなかったのですか?」
いや痛かったけどさ。
まさか骨折しているなんて思わないだろ。
っていうか気付いてたなら言えよ。
「何を話してやがる! なめてるとこのガキを殺すぞ!!」
「うぅ……とうじぃ」
そうだった。
今は僕の骨折なんてどうでもいい、詩恵理を早く助けなきゃ――。
……。
あ、待てよ。
軽く小突かれた僕がこうなったということは、だ。
もしも詩恵理が恐怖のあまりに暴れようものなら、あの男ヤバいんじゃないか。
どう考えても怪我どころじゃ済まないぞ。
「おいアンタ! 早くそいつから手を離すんだ!」
「何を言ってやがるクソガ――」
恐らく男は、僕のことをクソガキと罵るつもりだったのだろう。
しかし、男がその四文字の罵声を言いきることはなかった。
魔の手から逃れようと身をよじった際、詩恵理の肘が男の脇腹に入ったのだ。
男は宙で数回転すると、勢いそのままにレンガ造りの建築物に突っこむ。
いや、死んだだろ……あれ。
数日後。
か弱い少女が身じろぎひとつで暴漢を半殺しにした事件は、街から街へと広まり、一週間もたたず国全体に知れ渡った。
そしてその事実は、彼女が救世主になりえる存在であることも同時に知らしめたのであった。
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