第二話 異世界のマネージャー
「いや待てええええい!」
自分でも驚くほどの大絶叫が広間に轟き、僕はちょっと恥ずかしくなった。
いや、でもちょっと待ってくれ。
「ぼ、僕が勇者なんじゃなかったのか!? どうして詩恵理がその聖剣を抜けるんだよ!」
そう。
異世界のシスターこと、金髪横乳魔法使い、セレーヌさんが確かにそう言ったのだ。
救世主になれるって彼女が言ったから、僕は家族や友人を捨てて異世界までやって来たというのに……これでは話が違うじゃないか。
「私にもさっぱり……賢者様の予言では、あなたが救世の勇者だったはずなのに」
「はずなのに、じゃあ困るって! だって見てくれよ、僕の幼馴染みを!!」
詩恵理の全身からは、なおも黄金のオーラが放出されていた。
もはやどこからどうみてもカタギには見えない。
「あはははっ! ほら見て見て、透路~」
当の彼女はというと、馬鹿みたいに笑っている。
聖剣パーミディオンをかかげて高笑いするその姿は、勇者というより狂人だ。
「あんな天然女子高生に剣なんか持たせたら、世界を救うどころか間違って滅ぼしかねないぞ!!」
「ですから、私にそんなことを言われましても」
セレーヌさんは困惑した顔を浮かべている。
まあ確かに、彼女を責めるのは筋違いか。
糾弾すべきは、ふざけた預言をのたまった賢者サマとやらだろう。早急に見つけ出し、問い詰めるほかない。
と、そう思った時。
「驚いたのう、儂の預言が外れるとは」
老人めいた古風な語り口調が、ホールの入り口から響いた。
そこにいたのは立派なひげを蓄えた老人――ではなく、ちんまりとした赤髪の幼女だった。
大胆不敵な笑みを浮かべる幼女は、背丈にあっていないコートを床で引きずっている。
老齢を思わせる論調は気になるところだが、僕にはそれ以上に気がかりな点があった。
「なあ。今『儂の預言』って言った?」
「うむ、いかにも」
「じゃあ、アンタが賢者サマ?」
「うむ、いかにも」
「トウジ様! 賢者様に何と不遜な言葉遣いを――」
セレーヌさんが僕の態度を諌めたが、そんなことはもはやどうでもよかった。
大それた預言で人を振り回しておきながら、悪びれもせずよくも姿をあらわせたものだ。
賢者だろうが何だろうが、そんな奴には文句の一つも言わなければ気が済まないというものだろう。
まあ。
とはいえ、僕も高校生だ。
ちんまい幼女を縛りあげて折檻するつもりはない。軽く説教するだけにしておこう。
……。
「このクソガキーッ!!」
僕は全速力で幼女へ肉迫する。
せめて馬の鞍に縛って市中引き回しくらいの刑に遭わせなければ、溜飲が下がるはずないだろ。
「勇者になれるっていう条件で異世界に来たっていうのに、この落とし前はどうつけて――」
幼女へ手を伸ばした僕は、その直後に自身の行動を後悔した。
大きく、黒い何者かが僕と幼女の間に立ちはだかったのである。
そして、僕は胸ぐらをわしづかみにされ、軽々と宙に持ち上げられた。
「身の程をわきまえろ、ボウズ」
ゴリラである。
筋骨隆々な人間を指した、いわゆる単なる比喩表現などではない。
僕の倍以上の巨躯をもった、文字通りのゴリラだった。
「うえええっ!」
僕は断末魔のような叫び声をあげてしまった。
突如現れたゴリラに捕獲され、その上目の前のケモノが流暢な人語を口にしたとなれば、僕の驚きは何も不思議ではないだろう。
「偉大なる賢者様を『ガキ』呼ばわりとは……万死に値する」
すごむゴリラは――あるまじきことに――ピカピカに磨き上げられた甲冑をまるで騎士のように着込んでおり、頭頂部の毛にヘアアイロンを当てて前髪のように垂らしている。
世にも珍しい、身なりを整えたゴリラであった。
「離せ、離してくれえ!!」
ともあれ、オシャレなゴリラに万死を宣告された僕は、なんとか逃げまいと必死にもがく。
「すごーい! 喋るゴリラさんなんて初めて見た」
いつの間にか近くまで来ていた詩恵理が、他人事のように独りごちている。
制裁されかけている僕のことなど、まるで見えていないかのようだ。
「詩恵理! 早くっ、早く助けてくれえ」
「いいなあ、透路。次かわってよ」
「お前の目にはじゃれ合ってるように見えてるのか!? このゴリラ、僕を殺す気なんだよ!!」
「手を離すのじゃ」
なんと。
助け舟を出してくれたのは、先ほどまで僕が攻撃対象としていた幼女の賢者だった。
彼女の命令はまさに鶴の一声で、ゴリラは渋った顔を浮かべながらも僕を丁重に地面へと解放した。
「トウジ様……なんと愚かなことを」
セレーヌさんが、呆れと安堵の入り混じった表情で僕に駆け寄った。
「でも、セレーヌさん! これじゃあ話が違うよ。僕が異世界の勇者になれるっていうから……賢者がそう預言したってアンタに聞いたから、僕はここまでやってきたんじゃないか!」
「そ、それは……」
セレーヌさんは下唇を噛み、申し訳なさそうに目を伏せた。
……美人ってずるいよなあ。
そんな顔をされたら、どんな悪事をしたとしても許してしまいそうになるんだもの。
だが許さん。
「セレーヌを責めても詮無いことじゃよ。謝罪すべきは儂……済まんかったな、小僧」
たいして悪びれそうな態度も見せずにそう言ったのは、やはり幼女の賢者だった。
「謝って済む問題じゃないだろ。こっちは人生をなげうったんだぞ!」
「……貴様いい加減に――」
「やめんか、メルキオール」
息巻いて僕に迫ったゴリラを、幼女は再度制止した。
っていうかゴリラ……メルキオールっていうんだ。
名前までオシャレだなあ。
「ともかく、じゃ。そこの娘がこちらの世界へやって来ることは、儂にも分からんかった。ましてや勇者としての素質を持っているなど……娘さえいなければ、勇者となっていたのは間違いなく小僧……おぬしだったはずなのじゃよ」
賢者の話を聞く限り、どうやら全ては詩恵理が異世界に来てしまったのが悪いらしい。
詩恵理さえ来なければ、預言通り僕がパーミディオンを抜いていたとのこと。
とはいえ、いくら詩恵理がイレギュラーな存在だとしても、元の世界では彼女もまた『ただの女子高生』なのだ。
そう。
勇者の素質がある、というレベルなら、それは僕と全く同じである。
であれば、賢者ともあろう者が詩恵理の存在を見落とすだろうか。
アンタの怠慢だろ、と思いながらも、僕は一応聞いてみる。
「分からなかったって……高名な賢者なんだよな。そんなアンタでさえ分からなかったていうのか?」
「左様」
「しかし……私の知る限り、賢者様の預言が外れたことなどないはずですが」
割って入るように、セレーヌさんが問いただす。
やはり、彼女でさえ今回のことは想定外だったらしい。
まったく、異世界に来て早々こんな騒ぎを起こすとは……僕の幼馴染みは相当の問題児だ。
今にいたっては、甲冑ゴリラをもの珍しそうに眺めまわしてるし。
なんでこんな天然少女が勇者の素質なんて持っているんだろう。
と思ったけど、それは自称『路傍の石』である僕が言える立場ではないか。
「この娘の存在を予知できなかった理由じゃが……ひと目見て、ピンときたわ」
おっと。
どうやら、このちびっ子には察しがついているようだ。
一体どんな言い訳が飛び出すか、聞いてやることにしよう。
「その娘……儂の力が及ばぬほどの魔力を秘めておる」
おいおいおい。
気でも触れたか、この幼女は。
詩恵理が異世界の賢者でも想像がつかないほどの力を持っているだと?
っていうか、あの黄金のオーラは『魔力』なのか。
それがこの異世界における強さの尺度というわけだな。
「確かに……先ほどの魔力の奔流は信じられないほどでした」
「いやいや、セレーヌさん。仮に僕があの剣を抜いていたとしても、詩恵理と同じくらいの力を手に入れてたんじゃないの?」
「では試してみるがいい」
「え……試す?」
「勇者の素質さえあれば誰でも扱える。ゆえに『勇者の聖剣』なのじゃ」
聖剣パーミディオンはすでに、詩恵理の手によって鞘から抜かれてしまった。
僕はその時点で、剣が詩恵理を持ち主と認識し、他の人間には扱えなくなると思っていた。
アニメとかゲームだと、そういう設定は割とありがちだし。
でも、幼女の話を聞く限りそうではないらしい。
「シエリ様。その剣をトウジ様にお渡しいただけますでしょうか?」
「うん、別にいいよ」
詩恵理は聖剣を鞘に納め、僕に差しだした。
それと同時に、詩恵理の纏っていたオーラが消える。
どうやら、勇者としての力は剣を抜いている時のみ発現するようだ。
「単純な話じゃ。聖剣を抜けばおぬしの潜在魔力が解放される。それがその娘より優れるか否か……その結果いかんで、どちらが勇者に相応しいか判別できるというわけじゃ」
「賢者サマの読みじゃあ、詩恵理の方が優れてるってわけなんだな」
「いかにも」
なめやがって。
見せてやるよ、『路傍の石』の底力。
僕は取るに足らない端役になるため異世界へ来たわけじゃない。
「うおおおおおおおおっ!!!」
「――むうっ!!」
「これは――!!」
この異世界で変えてやる――この、退屈な人生を!!
「……あれ」
結果。
豪炎のような魔力を立ち上らせていた詩恵理とはうって変わって、僕の魔力は残り火のごとく小さく揺らめくだけだった。
大気が震えたり、衝撃波が発生したりもしない。
とにかく静かだった。
「はい没収ー!!」
元気いっぱいに静寂をやぶった幼女が、僕から強引に聖剣を奪いとった。
それをそのまま詩恵理へと返す。
「まあ、予想通りといったところじゃな。のう、セレーヌ」
「え……あ、いえ。まあ」
歯切れ悪いな。
いっそ笑ってくれ。
僕には勇者の素質がなかった、と。
「とはいえ賢者様。今のを見るかぎり……勇者の適正において、トウジ様は比類ない才覚をお持ちです」
フォローありがとう、セレーヌさん。
でも詩恵理ほどじゃないって言うんだろ。
「そうじゃな。さっきも言うたが、この小僧は異世界最強の勇者になりえた。この娘さえおらんかったらな」
ほらね。
ふと見ると、詩恵理は幼女賢者の話そっちのけでゴリラの腕を撫でている。フサフサの毛並みは相当手触りが良いらしい。
僕の異世界無双ライフをぶち壊しておいて、よくもまあ平然といられるものだ。
あれ、待てよ。
「っていうかさ、詩恵理は詩恵理で勇者になるとして、こいつと同じく僕も勇者になればいいんじゃないのか?」
「無理じゃ。勇者になるためには聖剣が必要で……肝心のそれはこの世界にたった一振りしかないからのう」
「そうじゃなくて、僕には最強の勇者になれるだけの素質があるんだろ。 だったら、聖剣がなくたってこの世界じゃトップクラスの戦闘力を持ってるってことにはならないのか?」
「残念ですが、それはあくまで『勇者になった場合』という条件付きです。今のトウジ様は、元の世界にいた頃とお変わりございません」
……。
まあいいさ。
僕は最初から路傍の石。主人公ではなくエキストラが関の山の男だ。
期待が大きかった分ショックも大きいけど、それでも異世界に転生してきたという事実は変わりない。少なくとも、『平凡で退屈』ということはないだろうしな。
勇者じゃなくても、この夢のような世界を満喫してやるぞ!
「しかし、この小僧はどうするべきでしょう?」
手鏡でずっと前髪をいじっていたゴリラが、久しぶりに口を開いた。
どうするって、どういう意味だ?
「そうですねえ。勇者になれない以上、何か違う職業に就いていただくしか」
「え? 違う職業って……何で僕が働かなきゃならないんだ?」
当然のようにそう質問すると、詩恵理をのぞく二人と一匹が僕を凝視した。
怪訝というより、不思議そうな顔を浮かべている。
何か変なことを言ってしまったのだろうか?
「おぬしの世界では、働かなくとも生きていけるのか?」
幼女が小首をかしげている。
それにつられて、僕も首をかしげた。
でも僕、高校生だし――。
あ。
そうだ。そうだよな。
僕はようやく気が付いた。
この世界には、家族も友人もいない。僕を養ってくれる人間など一人としていないのだ。
これからは、自分の面倒を自分で見なければならない。
人脈も土地勘もないこの異世界で、何のスキルも知識も持っていない僕は一人きりで生きて――。
――え。
待てよ、これ結構やばいんじゃないのか。
僕はこめかみに冷や汗が流れるのを感じた。
「……あの、どこか働き口とかある?」
「そうじゃな。セレーヌ、おぬしの所で雇ってやれんのか?」
「えっと……そうですねえ」
セレーヌさんはとんでもなく困惑していた。
視線を上へ下へと泳がせている。
嘘だろこの人。
僕を異世界に呼んでおいて、まさか野垂れ死にさせないよな?
「トウジ様は、初級治癒魔法は……使えますか?」
いや出来るか。
擦り傷にばんそうこう貼るのがやっとの人間に何を求めているんだ、この横乳。
そう僕が目でサインすると、セレーヌさんは助け舟を求めるかのようにゴリラへ向きなおした。
「メ、メルキオール。あなたのところはどうですか? トウジ様は男児ですし、武器や防具の加工ならもってこいではないでしょうか?」
「確かに。鍛冶業界は慢性的に人手不足だから、ウチに来てくれれば助かるな」
なんと。
甲冑を着込んでいるから騎士かと思ってたけど、鍛冶屋の亭主だったのか。
それに、さっきまでは僕に敵意を示していたはずなのに、なんか快く雇ってくれそうな流れだ。
出会いの印象は悪かったけど、幼女賢者のことを尊敬している辺り、意外に人情味溢れるゴリラなのかもしれない。
これからは僕もゴリラと――いや、メルキオールさんと良い関係を築けるよう努力するべきかもしれないな。
「なあボウズ。素手で鋼鉄を曲げられるか?」
ふざけるなゴリラ、出来るわけないだろうが。
「すみません、無理です」
今の質問で分かったのは、少なくともこのゴリラは素手で鋼鉄を曲げられるということ。
だから僕は、余計なことを口にはしなかった。
このゴリラの怒りを買わないように。
「だったらさ、どこかファミレスとかで一緒に働こうよ! 私、バイトなんてしたことないから楽しみだなあ」
こいつはこいつで、やっぱりまだ状況を飲みこめていないらしい。
「この世界にファミレスなんてないぞ。それに、お前は勇者をしなきゃならないんだから」
「勇者? さっきから言ってるけど、それ何?」
「要は、お前はこれから悪いやつらを倒さなきゃならないってことだ」
「? ……ああ! 警察官ってことかあ」
だめだ、話が通じない。
とは言え、説明するのも面倒だしなあ。
「でも、透路とはこれからも一緒にいられるんでしょ?」
「ああ、いや、それは――」
お?
おおっ。
おおおおおおっっ!
それだ!!
「僕、詩恵理のマネージャーするよ!!」
「まねえ……じゃあ? 何でしょうか、それは?」
誰も彼も、ポカンと口を開けている。
この世界にはマネージャーって役職はないみたいだな。
「何って、特定の人物の仕事を管理したり、スケジュールを調整したり……つまりは秘書ってことだ!」
「秘書じゃと? それじゃったらこっちの世界にも有能な者たちが――」
そう来ると思ったぜ。
「甘い!! たとえこの異世界にどれだけ頭のキレる人間がいても、こいつの天然についていける者なんて一人として存在しない!!」
「えへへ、ありがたいなあ」
詩恵理が何に対してありがたみを感じているかは、もはやこの僕にも理解できないけれど、なんにせよこれならいけるぞ!
モンスターと争乱渦巻くこの異世界にあっては、勇者という職業が食いっぱぐれることなどあるはずがない。それ即ち、勇者のマネージャーも一生安泰ということだ。
救世の勇者にはなれなかったけど、僕は彼女の付き人として輝かしい功績をうちたててやる!
「ふうむ。勇者の側近ともなれば、経験豊富な者をつけるのがベストだと俺は思うがな」
「儂も同感じゃ」
くそ、まずいな。
っていうかこいつら、僕から勇者になる機会だけでなく、職業選択の自由すらも奪いとろうというのか!? 何というゲスだ!
「……良いのではないでしょうか?」
おおっ!
「ただでさえ知らない世界にやって来たというのに……見知った二人を引き離すというのはあまりに可哀想です」
ようし!!
こっちには天然勇者と横乳天使がついている。
対する向こうは喋るゴリラと賢者(笑)の二人。民主主義においては多数決の原理が絶対の法則なんだよ、これを機に学べゲスども!!
「僕と詩恵理は小さい頃から一緒に育った、いわば兄妹みたいなものなんだ! どうか、僕たちを引き離さないでくれ!」
素手で鋼鉄を曲げるゴリラに喧嘩を売るのは怖いので、僕はあくまで深々と頭を下げた。
「えっ、私たち兄妹だったの!?」
もう黙ってて。
「……まあ、しょうがないかのう」
渋い顔をしながらも、幼女の賢者は僕の提案をのんだ。
横のゴリラは賢者に絶対的服従を誓っているらしく、それ以上意見することはなかった。
「話もまとまったところで、セレーヌ。この者たちに外の世界を見せてやってくれぬか?」
「はい。それでは、トウジ様、シエリ様。参りましょう」
僕と詩恵理は、彼女の後ろをついていく。
「楽しみだね、透路!」
詩恵理は度を超えた天然ではあるが、それでも長年付き合ってきた仲だ。こいつのペースに合わせて二人三脚は死ぬほど大変だろうけど、きっとなんとかなるさ。
でもやっぱり、
僕も勇者になりたかったなあ。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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