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銀は成らずして好手あり



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 十兵衛は父の宗矩を相手に将棋を指していた。

「これもまた世の真理を現しているかもしれぬ」

 宗矩は一人言のようにつぶやいた。

「どのようにでありますか」

 隻眼の十兵衛は宗矩に問う。

「上様は王将」

 父はパチリ、と駒を盤上に置いた。

「そして伊豆殿や局殿が王将の側近たる金将」

「……父上はいずこに」

「わしのごときなど…… さて、國松様と風魔の忍び、更に江戸城御庭番が飛車と角」

「左様でございますか」

 十兵衛も知る國松と風魔の忍びは、江戸城近くの九段にて染物屋を営んでいる。

 普段は染物屋の彼らだが、その実態は、江戸の治安を守るために命を懸ける実戦部隊だ。

 國松は染物屋の大旦那にして、風魔の強大なる統率者である。

 あとは与力が桂馬、同心が香車、岡っ引きが歩のようなものだと宗矩は言う。

「人間を駒に例えますか」

 十兵衛の言葉は僅かに怒気を帯びていた。

 幕府隠密として命を懸けてきた十兵衛は、宗矩の言葉が引っかかる。

 父の宗矩は、人間を何だと思っているのか。

「わしは天の指す駒の一つにしか過ぎぬ。わしの代わりは十兵衛、そして左門と又十郎だ」

 宗矩の言は十兵衛には理解しがたい。父たる宗矩は、三代将軍家光の治世を支えた一柱ではないか。

 それが駒の一つでしかないとは。

「昨日の敵は今日の友…… また、歩といえど敵陣深く斬りこめば、金と成る…… 将棋とは不思議なものよ。十兵衛、銀は成らずして好手ありという。お前は銀将だ」

「なんですと?」

「――王手、そして詰みだ」

「……恐れ入りました」

 十兵衛は宗矩に降参した。宗矩は飛車角抜きで十兵衛に勝利した。

 十兵衛が宗矩に将棋で勝つには、金将も抜いてもらう必要があるだろう。

「己の使命を全うするのだ、十兵衛よ。お前は何をする者だ」



 十兵衛は宗矩の部屋を辞した。

 そして自室にて瞑想する。

 己の使命とは何か。

 人は運命という盤上の駒の一つにしか過ぎぬかもしれぬ。

 が、命を懸けて何を成す?

(……俺は人々を守るのだ)

 十兵衛の脳裏に閃く刃――

 紫電一閃の光景は、様々な死地をくぐり抜けた証だ。

 だが刀槍の刃よりも厄介なのは、人間の邪な心であった。

 それを知りつつ尚、十兵衛の脳裏には江戸で見かけた幼児らの姿が思い浮かぶ。

(強くなれよ、優しくなれよ)

 瞑想する十兵衛の口元が優しく歪む。父の宗矩もまた同じ気持ちだったのではないか。

(死しては仏法天道の守護者たらん)

 そう願わずにはいられない十兵衛であった。

 そして彼は妖しい気配を感じて、庭に裸足で飛び出した。

「おお――」

 十兵衛は見た。

 夜空にかかる巨大な蜘蛛の巣を。

 巣の表面に蠢く魔性を。

 それは丸みを帯びた女性にょしょうのようだ。

 その魔性は巣の表面から、十兵衛の頭上へと飛びかかった。

「面白い!」

 十兵衛は叫んで、空中からの魔性の蹴りを避けた。

 そして庭の植木へと駆けた。魔性は十兵衛の後を追う。

「はああ!」

 烈火の気迫と共に、十兵衛は木の幹を蹴った反動で魔性へと襲いかかった。

 十兵衛の繰り出した三角蹴りが、魔性に炸裂した――

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