慶安夜話
※活入れの習作です。お目汚しです。
江戸の夜は静かだった。
その静寂の中には、魔性が潜んでいるのだ。
「おぞましや魔性」
蘭丸は静かに言った。着流しの帯に朱鞘を差した男だ。後ろで無造作に束ねられた長い黒髪が、夜風にそよいでいる。絵になる美男だ。
ーーぴちゃ、ぴちゃ
夜の中で蠢くのは人食らう魔性であった。元は人間だったというのに、今は人を食らって餓えを満たす化物だった。
魔性の両目が闇の中で、真紅の輝きを放って蘭丸を見つめている……
「俺を食らえ」
蘭丸は魔性に告げた。彼は両親を失った後は用心棒稼業をしていた。人を斬った事もある。
「俺こそ食らわれるに相応しい……」
自嘲気味な蘭丸の声。それを哀れと思ったのか、魔性は食らっていた浪人の骸から離れた。
そして蘭丸へ跳躍して襲いかかった。たおやかな女の姿だが、魔性の力は人間をはるかに越えていた。
ーーふつ
蘭丸の振るった刃が魔性を断つ。
いつ抜いたかもわからぬ蘭丸の刀は、襲いくる魔性を空中で一刀両断にしていた。
塵になって消えていく魔性を、何の感慨もなく見つめる蘭丸。彼の右手に握られた刀は、刀身に無数の女の姿が刻まれていた。この刀もまた魔性に等しき妖刀であるのだ。
「簡単には死ねないな」
蘭丸は刀を鞘に納めて歩き出した。人斬りであった彼が、どうして魔性を斬る者に選ばれたのか。
それは、あるいは人を斬った償いのためではないのか。
蘭丸は天より召命を得て魔性を斬るのだ。




