五、小豆洗い(前編)
すねこすりを倒して翌日。
死体が見つかったことによって休校になったのを利用して、東影 詩織里先輩は俺の家にやってきていた。
学年も違う上に、騒動もあったので接触するタイミングが昨日はなかった。
いや、なくされたというべきなのだろうか?
刀人刀が自身に関することを嫌うのであれば、ありえる話だろう。
そして、実際、こうして向かい合っているというのに……喋ることができなかった。
刀人や混沌のことを口にしようとすると、携帯が鳴る、親が乱入してくるなどの外部的な妨害が起きることもあれば、俺や先輩が妙なタイミングで咳したりくしゃみしたりして言葉にすることすらできない。
「だから言っただろう?」
先輩が苦笑と共にそんなことを口にするが、んん?
「……なるほど。それぐらいは許されるわけですか」
「直接的な物でなければある程度はな。流石にほとんどを防いでしまうと、色々と問題があるからだろう」
「夢幻だと下手すれば疑うでしょうからね」
「あれだけの経験をしても、現実がこうである以上はな。ん~」
「いや、そこで、なんで俺のベッドにダイブしますかね?」
「これが私の現実だ!」
「キリっと一瞬だけ顔をこっちに向けられても。しかも、そのまま顔を枕に埋めないでください!」
「ふがふがふが!」
「いいじゃないか減るものじゃなしにじゃないでしょうが! とにかく、枕から離れてくれませんかね? このままだと枕カバー洗わなくちゃいけなくなるじゃないですか」
「待ちたまえ、もう少し刀折 優助のスメルをたんの痛い痛い! 頭を鷲掴みにするな!」
俺のベッドから先輩を無理矢理引きはがすことを試みつつ、盛大にため息を吐いておく。
これで学校では姫といわれているのだから、ぜひそんなことを言っている連中にこの姿を見せたいものだ。
まあ、見た目は間違いなくプリンセスなのだから、そこだけしか見れん奴らからしたら真実っちゃ真実か。
そんなことを思いながら流石に頭を掴むだけでは退けられなかったで……というかどんだけ必死にしがみついてんのよこの人…………別にそんなに匂わないよな?
「心配しなくても良い匂いだ。これだけでご飯が何杯もいける」
「……それは先輩がそういう癖だからでしょ?」
「失礼な。私は匂いフェチではないぞ。強いて上げれば刀折優助フェチだ!」
「はあ」
「むっ! なにを残念な女を見る目で見ている!」
「とにかく退いてください。十分堪能したでしょう」
「む? いや、どうせだったら私の匂いもつけておいて、是非夢に見てくれたまえ!」
「……遠慮しときます」
「騎士は夢に見るほど姫に恋すると相場が決まっているのだぞ?」
「はいはい」
しょうがないので、ごろんと横に転がしてお姫様抱っこしてやった。
「か、刀折優助!?」
「自分からセクハラするのは平気な癖して、いざこっちが積極的になるとへたれるってのはどうなんでしょうね?」
「だ、だって、ゆー君が!」
ぼっと火が付いたかのように赤面し、普段の雰囲気をかなぐり捨てる先輩。
そんな彼女に俺は苦笑しつつ、いつも言っているセリフを言う。
「……俺はお勧めしませんし、応えることはないですよ?」
俺はどうせまともな人生を歩めない。
性分からして人のために危険に飛び込む質が俺にはある。
それを見越してジジイは俺に武術というか、死なないための術と考え方を教え込んだのだろう。
もしそれがなければ、きっと俺はふらり火で焼かれた人達を助けようと無謀な行動に出てしまっていたかもしれない。
とはいえ、それはただ死に難くなったというだけであって、少なくとも一人の女性すら幸せにできるはずはなかった。
だからこそ、先輩の好意を断っていたら……変な感じに湾曲してしまったわけだが。
そんなことを思いながら黙っていると、いつものセリフにむくれていた先輩がプイっとそっぽを向いた。
「私の勝手だもん!」
普段の尊大な口調はどこへやら、子供ぽい言動は本来の彼女……なんだろうか? 少なくとも外では見たことがないな。
というか、久し振りに見たな。よし、可愛いのでお姫様抱っこの系は継続だ!
「で、確認は済みましたけど、それだけの要件で来ていただいたわけじゃないですよね? 電話でも済むはずですし」
先輩を抱えながら椅子に座ると、なにか言いたそうな顔になったが勿論無視。
普段やられっぱなしの意趣返しも兼ねてると思ってくれ。別に惚れてるとかじゃないからな!
誰に対する言い訳なのかそんなことを思いつつ語ってくれるのを待つ。
「刀折優助は……これからどうするつもりだ?」
なんだか色々と諦めたというか、悟って表情になって高慢口調に戻る先輩。
「どうもこうも……なにも変わりませんし変えませんよ」
「そうか……」
顔を俯け、しばらく固まる先輩。
僅かな間を開け、俺へと見上げるが、なにかの言葉を発しようとした口は一言目で固まった。
それは刀人刀に邪魔されたのか、それとも自分で止めたのか。
幾度かゆっくりと口を閉じ開かせた後、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「無理を……無理をするな」
「わかってますよ」
「違う、いつも以上に無理をするな……」
そう真剣な面持ちで口にした彼女は、スカートのポケットから一枚の紙を取り出した。
「これは?」
「ふふ。私が教えられることは限られているのだよ」
「じゃあ、どこまで教えてくれるんです」
「それは勿論、手取り足取り色々とお・し・え・て・あ・げ・る」
「…………この状態だとこっちが教える立場になりそうなんですけどね?」
「にゃっ!? にゃにゃっ!?」
もはや言語すらダメになりますか……人にセクハラする癖に本当にこちらから攻めると弱い人だな。
先輩の言語が戻るまで待った後、帰宅するという彼女を送るために一緒に家を出た。
もう少しからかってやろうかと思ったが、時間は既に日が暮れ始める頃なのであんまりやり過ぎると家族がニヤニヤし始めるだよな。
ふむ。今日の俺はちょっとどうかしているんだろうか? 自重しないと変に期待を持たせてしまう。
……すでに手遅れかもしれないが、まあ、先輩ならわかるだろう。わかるよな? お勧めしないってはっきり言ったし。
そんなことを思いながら先輩の後を付いていって辿り着いたのは、河川だった。
正確にはその土手で、遠くに橋が見える。
先輩を家まで送ることは何度かあったが、ここを通ることなんてあったか?
その不自然さを問うより早く、先輩は立ち止まり周囲を見回す。
「刀折優助は、ここのことを知っているか?」
「知っているもなにも……ただの川にしか見えませんけど?」
何度見回しても川辺だ。
特になにかあるというわけでもない。
「ここは昨年、少年グループの一人が集団暴行にあった末に溺死した場所だ」
「……ああ、そういえばそういう事件がありましたね」
「そういう場所には近寄らないように」
「いや、今近寄っていますよね?」
「万が一の時は私がいるからな」
「普通は逆ですよね? いや普段は? ……なるほど」
刀人刀が伝えた混沌の発生タイプの中にその注意と重なる発生があった。
生きている存在の感情が呼び水となって生じたふらり火やすねこすりと違う、物や場所などに向けられる情念が蓄積されることによっても生じる。
てっきり自殺の名所や呪われた品などの、もっとそれらしいところや物体かと思っていたが、なるほどこういう一見してなんの変哲のない場所でもありえるわけか。
まあ、俺が経験した二体と違って、このタイプは次元の不安定さとかも関係あるぽいのでそういう場所だからといって簡単に起こるわけではないらしい。
先輩もそれを承知でここに来たのだろう。
とはいえ、次元の不安定とかどうしたって人間じゃわからないからな。なにより、巻き込まれる順番があるのなら、発生しても必ずしも混沌に襲われるわけではない。
現に俺はふらり火に遭遇するまであんな目に遭った覚えはないからな。
……単に記憶できていなかった可能性もあるが。俺が助けた女の子みたいに。
なんにせよ。あんまり注意し過ぎてもな。
そう気楽に思おうとしていると、それを先輩が察したのか厳しめの表情で別の言葉を口にした。
「注意して欲しいのは、私達は巻き込まれやすく襲われやすい。そのためにある」
刀人刀が嫌う言葉を避けているのか、それだけ聞くとなんのことやら分かり難い。
だが、それを混沌関連で考えれば、刀人刀を持っている者がということなのだろう。
「もう一度言う。無理をするな」
そして、刀人刀は自分の身を守るためにあるってことか。そのために与えられたってことか?
誰に? どうして? という疑問がわくが、ここで聞いても答えられないだろう。
もしかしたら、混沌に刀人刀を持つ者が喰われるとなにか不味いことでもあるのだろうか?
わざわざ襲われている瞬間に妖域を破って降ってきたぐらいだからな。
あの時のことを改めて考えてみると、もし人を守るために刀人刀が送られてきたのならタイミングがおかしい。
死んだ六人が襲われている時に俺の前に現れていれば、救えた可能性もあるのだから。
なにより、人を救えという刀人刀は訴えなかったからな。己が身を守るためにとは言っていたような気がするが。
「刀折優助は他人のために無理をする傾向があるからな。一見して自分の身の丈をわかっているように振舞ってはいるが、届くと思えば躊躇なく動く。そして、その範囲は普通ではない」
「まあ、鍛えていますから」
「それが心配なのだよ……人はいくら強くなっても、弱い。あっさり死ぬ。刀折優助の御爺様だってそうだっただろ?」
「確かにあのジジイが死ぬとはだれも思わなかったですからね」
先輩もジジイとの面識はある。葬式にも来てくれたからな。
だから、どうして死んだかも知っている。
火事で取り残された子供を助けるために燃えている家に入り、落ちてきた壁に挟まれてそのまま。
助けた子だけは外に投げ捨てて助けているのだから、流石といえば流石だが、らしくないといえばらしくない最後だった。
とはいえ、まともな死に方はしないと昔っからよく言っていたからな。
実際にその通りになり、で、こうも言っていた。
お前は俺によく似ている。間違いなく俺と同じでまともな死に方をしないだろうな。
と笑いながら。
嫌なことをいうジジイだな。と思ったものだが、混沌のことを知った今はある意味では現実味が帯びてきた。
……もしかして、混沌に殺されたのだろうか?
「現実でさえそうなのだから……だから、より一層無理をするな。約束してくれ」
彼女も同じ連想をしたのか、酷く心配そうに俺を見ている。
なんと言うべきか……
迷いながら口を開こうとした瞬間、不意に俺の身体が落ちた。
シャラシャラシャラシャラ。
そんな静かだが妙に耳に残る音が聞こえると共に、水の中に着水じゃない!? 水の中にいる!?