一、ふらり火(前編)
最近、妙な光景を目撃する。
一見すると普通の老若男女。それこそスーツを着ている者達から、学生服を纏っている人達まで年齢層性別偏りなくそれは腰に差さっていた。
どこをどうみても日本刀がだ。
全ての人間がってわけではないが、人が多い場所におもむくと最低一人、多くて四・五人見掛けたりする。
しかも、その重心具合からどれもが本物。
模造刀やおもちゃなどだと見る人が見れば一目見ただけでそれぐらいの違いは分かるからな。
俺はつい最近、正確には祖父であるクソジジイが亡くなるその日まで真剣を使った実戦式抜刀術を習っていた。
だから、模造刀か真剣かの違いぐらい見ただけである程度わかる。というより何故かわかるようにさせられている。
亡きジジイはいったい俺の人生をどう想定していたのか、競技用でもない抜刀術をひたすら叩き込み、それ以外の武術も満遍なく教えようとしてやがった。
おかげで青春らしい青春は送ってこられなかったし、遊ぶ暇もないから友達といえるような奴を現在も作れてない。
ラノベやゲームなどのインドアの趣味を持っているのでさして支障はないが、なんとなしに青春系アニメとかを見た時に、俺の人生って……とか黄昏る時がなきにしも。
多分だが、打刀を使った殺しの技術を持つ高校生は、この日本、いや、世界で俺より右に出る者はいないんじゃないか?
そんなのが他にいればの話だが……そもそもその想定だって実際に手を汚したことがないのだから冗談の域を出てないよな。
まあ、ともかく、ジジイの件があるから俺以上に物騒な奴が他にもいそうな気がしないでもないのが怖いところだ。
とはいえ。例えそういう連中が他にもいたとしても、ライトノベルの主人公でもあるまいしそんなのが身に付いていてもなんの……いや、多少役立つことはあるにはあるか。
今俺がいるのは通学のために乗っている電車。
朝のラッシュ中でもあるので、人が密着状態といかないまでにも触れるか触れないかぐらいの距離感で密集している。
なので、ふとした拍子に触ってしまうことも無きにしも非ず。
だが、大胆に尻を撫でまわされるのは明らかにおかしなことだよな……というか、またか。
俺は思わず遠い目をしてしまう。
そりゃ見た目がどうにも男の娘。より正確に言えば、細身な体付きに中世的な顔、何故かジジイから切るなと命令されていた腰まで届く黒髪ポニーテールが組み合わさって、どうにも他の連中からは美女に見えるらしい。
学ランを着ていても痴漢を結構な確率でされるのだから、俺自身が違うと思っていても相当女っぽいんだろう。
ちなみにこういう時、声を出して男であることを主張しても逆効果だったりする。
何故なら目立った変声期も来てないので喋っても男とは思われないからだ。
他にも町を歩けば妙な絡まれ方をされ、学校では女騎士様とか言われ、男子トイレに行けば驚かれる。
挙句の果てにこれだ。
男の尻なんて触って面白いんだろうか? 勿論、相手は女だと思っているんだろうから最初は面白いのかもしれんが、細身とはいえ鍛え上げているから俺のは硬いぞ?
そのうち戸惑ったように手が離れて……いかないな……
たまにいるのだ。硬くても美女だからいいかとか思うのかなんなのかしつこい奴が。
で、こういう時ぐらいなんだよな、自分に役に立つのは。
素早く後ろに手を回し、尻を投げている奴の手首を握り、振り返りながら関節を決めようとして、止めた。
「…………先輩。なにしているんですか?」
「ん? いや、可愛い後輩である『刀折 優助』君の臀部を堪能していた」
そこには俺が通っている高校の生徒会長がいたからだ。
ちなみに刀折優助は俺の名前。この人、なんでかいつもフルネームで呼ぶんだよな。
にしても、もうちょっと気配を探っとくべきだったな……生徒会長になってから通学時間がずれたことに油断していた。
彼女、『東影 詩織里』は、中学の時からの先輩後輩の間柄だ。それ以上の関係ではないのだが、妙に俺のことを気に入っているらしくこうしてセクハラをしてくるのだ。
野郎だったら問答無用に技をかけて二度と痴漢ができないように恐怖を味合わせてやるのだが、女性に関しての対応は未だに決めかねている。というか、こういうことをやってくる女は彼女しかいないからってのもあるか。
ため息一つ吐き、決まりかけていた彼女の手を離す。
「なんだ。もう少し握っていてくれてもかまわないのだぞ?」
「勘弁してください。ただでさえ姫だの騎士だの変な名称がついてしまっているというのに」
「いいではないか。実に私達を良く表している」
面白そうに笑う彼女は、学校では姫と呼ばれている。
おっとりとした顔付きと雰囲気に、少したれ目でウェーブのかかった肩までかかった茶色っぽい地毛。
そこに豊満といっても過言ではない身体つきに、尊大な口調を咥えれば説明しなくても姫という単語が浮かぶだろう。
で、俺は通学路が一緒だったり、彼女がこっちを見付けると寄ってくるってこともあり、セットのように騎士というあだ名を付けられてしまっている。
鍛え上げた技術と力で何度か助けてしまっているってのも重なっているか。
飛んできた野球ボールを直前でキャッチしたり、強引にナンパしてきたアホを撃退したり……そこら辺は流石にしないわけにもいかないからどうしようもない。
なので、騎士というあだ名については別にいい。
いいのだが、そこになぜわざわざ女が付くのだろうか?
くっ! ああ、それもわかっているさ!
先輩曰く、俺の容姿が美女は美女でもカッコいい系だからだと。
「なんだまだ女と付くことを気にしているのか? 我が騎士よ」
「先輩が悪乗りしているのも原因の一端だと思うんですけどね?」
「はっはっは、よいではないか。まさしく刀折優助は私のナイトなのだから」
「そう思うのなら痴漢は止めてもらいたいんですがね?」
「ふむ? これは部下の体調をチェックする上司の務めなのだがね?」
「……きっと俺が訴えたら勝てますよ?」
「おお、それは怖い」
ニヤッと笑う彼女に俺はため息を吐くしかない。
慣れというのもあるが、どうにも彼女に対して本気で怒る気にはなれないんだよな。
別にそういう趣味があるってわけじゃないし、野郎だったら躊躇はしないんだが……
「ん? ついたな。では行こうか我が騎士よ」
「はいはい」
扉が開き、俺の隣をすり抜けて行く先輩。
彼女の背中を見ながら、視界の隅で俺はそれを確認する。
実は彼女も差しているのだ。
刀を。
セーラー服に刀というのはある意味では似合ってなくもない。そういう作品も結構見るからな。
後を追いながら電車から降りつつ、周りを観の目で確認する。
こういう一点を注視せずに周辺視野で全体を見る技術は相手に気付かれずに見る時に便利だな。
今朝確認できたのは、先輩を含めて三人。
一人はいわゆるギャル。制服からして同じ高校生だとは思うが、金髪で星とかハートとかのシールを頬に張っていたりしているのを見ると、どうにもお近付きになりたい感じはしない。
顔は可愛らしい感じで、発育の良い体付きをしているだけに残念とかちょっと思ってしまうのは俺を男だと再認識せる。
別に周りから女女と言われて自己認識が揺らいでいるわけではないが。
もう一人はくびれたサラリーマン。頭部が見事なバーコードハゲで今時珍しい分厚い眼鏡なんかもしていた。
なんというかちょっとでも危ない地域とかに行くと即オヤジ狩りとかに遭いそうな雰囲気を醸し出している。
二人共どう見ても刀とかコスプレとかには興味も縁もなさそうだが、しっかりその腰には打刀を差していた。
先輩は当然として、この二人はほぼ毎日見る。
見えるようになってから毎日変わらずに差しているのはどうにも時代錯誤というべきなんだろうか?
勿論、この三人以外も目撃するので、多分だが百人ぐらいは俺の行動圏内にいるのだろう。
なんかのイベントか? とも思ったが、そもそもだとしたら真剣であることがおかしい。
真剣をそれと分かる状態で持ち歩いているのも非常に不自然だが、不審に思ってよくよく観察していると、余計におかしなことに気付く。
差している刀が人や服、建物などなにかに触れると、まるで幻かのようにすり抜けることに。
これはあれか? ジジイが亡くなったことがショックで幻覚を見ているとか? ん~……その割にはバラバラに見えるし、いつまで経っても治らない。
かといって、現実かというと、周りがなんの反応もしていないことが確信を持たせない。
例えばの仮定として、いつの間にか日本刀が普通に持ち歩けるパラレルワールドに迷い込んでいる。とか思ったりもして色々と調べてみたが、少なくともそういう法令はないし、そういう人達がいるって話も見付からなった。
どうにもわけがわからず、かといって先輩に直接聞くのもあまりにも不自然であることも重なって躊躇っていた。
もし本当に幻覚を見ているのであれば、彼女に頭がおかしくなったと思われるのはどうにもよくない。
別に姫の騎士であるつもりはないが……
そんな風に悶々とした日々を過ごしている中、それは起こった。
★☆★
殺してやる。
そう何度思ったことか。
「えーマジでぇ?」
「マジマジ。あのクソマジでパクられてやんの」
「ウケるー」
店前にはアホ丸出しの糞共がこちらを気付きもせずに無駄な呼吸を何度もしながら生きてやがる。
俺は揚げ物を揚げ、接客しながらでも気付いたというのに、奴らにとってかつて苛め抜いた奴なんて路上の石と変わらない。まさにそう思っている証拠だ。
何で生きてるんだ? さっさと死ねよ。どこか知らないとこで、誰にも迷惑かけずに、ただただ死ねよ。
そう思って、結局はただの呪詛にもならずに俺の中で降り積もっていくだけ。
ああ、なんでこの世界は思うだけで人を殺せないのか。
どうして完全犯罪という物が存在しないのか。
何故俺に力がないのか。
不毛なことを考えながら、ただただ揚げ物を揚げる。
結局、現実とはそういうもの。ファンタジーも奇跡もなく、ただ理不尽を飲み込んで死ぬまで生き続けるだけ。
納得もなにもできないまま、ただただ目の前で上がっていくコロッケのように自分の内を焦げ付かせるしかない。
「あ? なにこれ?」
「ん? どうした?」
「え~なにこれ? ウイルスって奴?」
「魔法陣じゃん? なにお前厨二病って奴かよ引くわー」
「違うって、こんなの知らないってマジで」
「マジかよ」
「マジマジ」
なんて声が聞こえてきたので、チラッと店先を見ると女の方がスマフォを片手にギャアギャア言っていた。
うるさいことこの上ないが、確かにその画面には魔法陣のようなものが映っている。
ウイルスざまあ! だが……なんだろう? なにか嫌な予感がした。
「マジ最悪なんですけどー」
「近くにショップがあったろ? 文句言おうぜ」
てめえらが対策しなかっただけだろうがクズが!
そう思いながらようやく消えたゴミ共に思わず息が漏れようとした時。
「痛って! なんだこれ!?」
「え? なにいってのんの? 馬鹿?」
「んだと! ここに見えねえ壁があるんだよ!」
「頭大丈夫? なんも見え……ホントだ。なにこれ? ガラス?」
ここは駅地下の商店街だ。出るためには店の近くにある階段から上に上がればいいだけだが、その前で奴らはなにやらパントマイムをしていた。
マジで壁があるのか? うんな馬鹿な? 出勤した時はそんな物はなかったはずだし、なにも見えない。
なんだ? なにが起きているんだ?
そう思いながら、俺は本当に階段前に見えない壁がるのか確認するためにコンロの火を消して店の外に出た。
★☆★
いつも通りの帰り道。
電車を乗り継いで降りた先は地下街と繋がっている駅。
一昔前に流行ってはいたが、今は隣町にできたモールに客を取られているため寂れつつある場所だ。
チラチラとシャッターが下りている場所もあり時間帯によってはあまり利用したくないが、丁度帰り道にあるのでなにかしらの用がある時は便利に使っていた。
本日の要件は親が不在なため夕食の購入だ。
ここでやっている総菜屋が美味いから、家族共々よくお世話になっていたりする。
さて今日はなにを食べようかな? メンチカツか、クリームコロッケか。あるいは各種全盛りで揚げ物丼祭り? くっ若さにかまかけた胃袋が爆発するぜ!
そんな風に思いながら地下街を歩いていると、ふと違和感を覚えた。
なにかこう……なんだ?
いまいちその正体がわからずに、ただ漠然とした違和に襲われて眉を顰める。
周りになにか変化があるわけではない。
普通に見慣れた地下街が……ん?
今気付いた。いくら客が取られているからといっても、駅に直結している利便性から夕方にはそれなりに人がいる。
なのに、今は誰一人としていない。
念のためスマフォで時間を確認してみると午後六時なのは間違いなかった。
が、代わりに別のおかしなことを見付けた。
電波が届いてないことを示すマークが出ている。
今までこの地下街で使えなかったことなんてないので、これも明らかにおかしい。
まるでここだけ別の空間になったかのような……
ぞわっと背筋が寒くなる。
ジジイはよく言っていた己の感覚に従えと。
この場所はいけない。
その感覚に従って地下街を出るために小走りになる。
心情的には全力で走り出したいが、なにが起きるかわからない現状で咄嗟に別の行動を取り難い。だとすれば、極力音を立てずかつ回避以外の行動もとりやすい今の走り方と俺は判断した。
傍から見ると音もなく早歩き以上の速度で動いている姿は不気味かもしれないが、どうせ人がいないのだから問題ない。
もっとも、それはそれで大問題だが。
通り抜けながら各店を確認するが、そこにはやっぱり誰もいなかった。
よく行く総菜屋のディスプレイには旨そうな揚げ物とかができたって感じで並んでいるのが、直前まで人がいたことを示唆している。
って、ホラー映画か!
無理矢理心の中でツッコミを入れて冷静を維持しつつ、ジジイ直伝の呼吸法を行う。
これをすると精神統一がしやすく、身体がいつも以上に動けるようになる不思議な技なんだが……これもなんか変だな。いつもより軽く感じる?
原因不明な身体の好調に困惑しながらT字路目前まで到達し、一番近い出口へ行くために角を曲がろうとした。
が、俺はそこで歩みを止めて壁に背を付ける。
人の気配がしたからだ。
ホラー映画じゃないにしても、こういう異常な状況下で安易に接触するのは真っ先に死ぬアホなキャラがやることだろう。
ああいうのって作品で必要なのはわかるんだが、どうにも不自然でイラってするんだよな。
とにかく、そういう最初の犠牲者になる気はないので、向かい側にある店のガラス通して誰がいるか確認する。
一口近くにある唐揚げ店の店員さんや、いかにもヤンキーといった感じのカップル、買い物袋を持った恰幅のいいおばちゃんトリオ。
計六人がなにやら出口前で空中に手をかざしていた。
まるでパントマイムの壁をやっているかのような……
一見すると風変わりなパフォーマンス集団とか、フラッシュモブか? とか思わんでもないが、聞こえてくる言葉がそれをあっさり否定する。
「おいっ! どうなってやがるんだ! なんででれねぇえんだよお!」
「ひっ! ぼ、ぼくにそんなこと言われもなにがなんだかっ!」
ヤンキーオスが唐揚げ店員に喰って掛かっている。
二人とも、いや。その場にいる六人全員がパニック寸前で、下手に出て行ったら余計なトラブルに巻き込まれそうだった。
どうしてああいうヤンキーは頭の悪い行動しかしないんだろうな? まあ、ああいうことをするのはあの手のばかりじゃないが……それにしても、出られない?
嫌な予感が余計に増す言葉に気を取られた時、またしても異常な現象が起きる。
「なっ!?」
それを見た時、気配を消すことを一瞬忘れて声が漏れてしまった。
何故なら、T字路の真ん中にいきなり小さな女の子が現れたからだ。
意識を向けてはいなかったが、視界はずっとその方向を捉えていた。
それに加えて俺はジジイのせいで人の気配にも鋭い。
人が密集しているような場所でなければ、セクハラされる前に先輩に気付くしな。まあ、それをわかった上であの人は満員電車とかでやらかすわけだが……なんにせよ。そんな俺がこんなほとんど人がいないような場所で気付かないなんてことあるか? まして年端もいかない小さな女の子だ。瞬間移動でもしない限りまず無理だ。
なんてことを思わず頭の中でグルグル考えて固まっていると、女の子は周りを見回し一拍置いて目に涙を浮かべ始めた。
こ、この状況でそれは勘弁願いたい。
「うぇえええええっ! ママーママー!」
案の定泣き出したことに、角に隠れながら俺はちょっとおろおろ。
いや、どうにも子供は苦手なんだよな。遠慮なくお姉ちゃんと間違えてくるし。
女の子が泣き出せば、流石に騒いでいる六人も気付き振り返る。全員が全員、一様に驚いているが、特にヤンキーオスが気になることを叫んだ。
「うお! またかよ!」
また? つまり、あそこにいるのは同じように現れた。だとすると俺もか?
ふと思うのは、デスゲーム的な話だ。なにかしらの力によって閉鎖空間に飛ばされあるいは閉じ込められる展開は今の状況に近いように思える。
もしかして、一定の人数が集まったらなにかが?
確証も根拠もない予測だが、現象だけは確実に非日常だ。
より一層警戒を強め、感覚を研ぎ澄ませる。
それによってこの場の誰よりも真っ先にそれに気付く。
不自然に気温が上がっていることに、しかも、それは唐揚げ店の方からだ。
油が引火した!? こんな状況でそんなことになったら!?
「おい! 燃えているぞ!」
慌てて火事を伝えようとした俺より早く、ヤンキーオスが声を上げた。
「うわっ! 嘘だろ!? 火はちゃんと消したはずなのに!?」
唐揚げ店員が慌てて店に戻ろうとした。
これで少なくとも消火できるだろう。
ほっとしながらも、念には念を入れて泣いている子を避難させようと角から出ようとした。
だが、
「うわっ! なんだこれ!? なんだこれええええぇあああああああつつうううあああ、消して! 消し――」
店員の絶叫で俺だけでなくこの場全員の動きが止まり、視線のみ唐揚げ店に注がれる。
そして、現れたのは、燃える人型を咥えた化け物。
人の二倍はある大きさを持った頭は犬、身体は鳥の炎に包まれたそれを見た時、頭に浮かんだのはどこかで見た妖怪事典だった。
「ふらり火!?」