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第六話 根性!サワガニ求めて三千里!

 男は無人の灯台から眼下に広がる暗夜の海を見渡しながら、耳に当てた端末で誰かと話している。遠い月から落ちた数多の光線が水面上で爆ぜ、延々と迫る波によってかき混ぜられている。


 「………はい。重々承知しております。………事を急きましたことをお詫び申し上げます。」


 暗い部屋の中で唯一の頼りとなる光源は、円窓より差し込む月光のみであった。月明りに照らされた男の顔に刻まれた皺が織りなす陰影により、その男がとうに還暦を迎えていると判断するに難くはなかった。


 「………はい。計画に支障が生じぬよう、こちらで速やかに揉み消します。そちらはお送りしました検体の回収に努めてください。」


 「我らが星のため、永遠なる繁栄を。」


 老いた男は端末の向こうの何者かにそう告げると、会話を終えた。今や薄暗い部屋に残るは、さざめく波の音ばかりである。


 汚れた肺の奥から重い溜息を吐き、胸のポケットから取り出した長方形の真白い紙箱から、枯れた香草の詰まった細長い筒の先端に火をつける。


 タバコという3文字は、今や文献の上にしか残っていない。同様にアルコールといったかつての嗜好品の類も、いまや公で嗜むことは人類存続法が許さない。


 酒、タバコ、そして嗜好として生成された肉類および魚肉といった類は、残された人類の長期生存を妨げる毒であると流布され、日の目を浴びることはなくなった。


 それでも尚、劇物と認知された以上のような違法物品を求める旧き人々は、法の手の及ばぬ見捨てられた土地に赴くか、この男のように、人には言えぬ販路で手にした品を、夜中にこそりと彷徨い出る鼠の様に、人目のつかぬ、物寂しい場所にて決め込むのである。


 ほんのりと、かび臭い紫煙をくゆらせながら、男は円窓の縁にもたれつつ、虚ろな面持ちで物思いに耽る。


 その時、男の背後より木の扉を軽くコンコンと叩く音が発せられた。老いた男が一言、入ってよい、と乾いた声で応答すると、夜と溶け合うような真黒い背広に身を包んだ青年が入室した。


 「市長、先の件についてですが………。」


 青年は部屋に充満した煙の淀みを見るなり、やんわりとその不快感を面に出し、口元に腕を被せる。

 

 「悪いが、もう一服だけ吸わせてくれ。これが最後となるかもしれんのでね。」


 「何度目の最後ですか。済みましたらお呼びください。外で待っていますので。」


 恒例となったやり取りに、市長はカラカラと笑った。宣言の通りただ一服分だけ香煙を肺に落とし込むと、灰皿としての用途として用いられた竹筒にその残滓を放り落し、円窓を開けた。


 「ヴァイマン君、それで、障りなく事を進めることは出来たかね?」


 ヴァイマンと呼ばれた青年は、見えぬ煙の残り香が未だ漂うその部屋へと再度入室した。


 「はい、事前マニュアルの通りに。メディアには明朝における臨時用物資射出機(ESカタパルト)の試運転と称させ、一連の動画もガイア教による政府批判を目論むフェイク動画と改めさせました。」


 首尾よく己の瑕疵を補填できていることを知り、市長は安堵の息を吐いた。


 「ESカタパルトか、強ち間違いではないな。」


 市長はそう呟くと、どこか物憂げな雰囲気を残したまま、シニカルな笑みを作った。


 「とにかくありがとう。事後のことに関して、本部には私が伝えておくよ。」 


 それを聞いたヴァイマンは承知した旨を市長に伝えた。


 「それにしても、完成を急いでいるとはいえ、本部も中々無茶な注文を投げかけてきますね。市長殿の心労が推し量られます。」

 

 「本部にとって我々は都合の良い手駒というわけだな。」


 市長がそう鼻で笑うと、ヴァイマンも続けて苦笑いをした。


 「ですが、いよいよファンタジーが現実のものになるのだと如実に実感させられます。人類の新しい未来の、その曙に立ち会えることがうれしく思われます。」


 ヴァイマンは、その平静さを保ちつつも、内に沸き立つ昂りを完全に隠しきれてはいなかった。


 「………そうだな。私も同感だよ。」


 市長はどこか気の抜けた声でヴァイマンに応じた。長年の付き合いの賜物であろう。ヴァイマンは市長が醸し出す雰囲気を即座に察知することが出来た。


 刹那の沈黙が双方を包む。話が止めば、室内に残るは遠く波打つ音ばかりである。


 「………市長は、いえ、あなたはやはり我々の計画を良しとはしないのですか?確かに、これは人類にとって未知数の試みであり、確実性に欠けるとの指摘もいまだ内部では少数ですが存在します。それに、あなた方旧世界の人々が抱いていた倫理的見地に立つならば、受け入れることに困難を伴うのかもしれません。」


 市長は何も言わず、頷かず、ただ窓の外の暗夜を見つめていた。


 「………ですが、そのような批判を交わせるほどの余裕が我々には後どれほど残っているでしょうか?こうしている間にも多くの、せっかくあの災禍を生き延びることが出来た人々が飢えて亡くなっています。」


 「………必要な犠牲であるとはお思いになりませんか………?」


 少しの間だけ、市長は黙っていた。そして、ふとヴァイマンの方を振り向くと、その熱くぶれぬ視線を浴び続けていたことに気付く。


 次に沈黙を破ったのは、市長の側であった。


 「私も古い人間だが、君たちの主張を全面否定するほどには意固地にはなっておらんよ。寧ろ、人類の存続という目的を果たすという意味では至極合理的な意見だ。全く非の打ち所がないよ。」


 説得が届いたのだと、ヴァイマンの表情は一転し、明るさを取り戻した。


 「してヴァイマン君。君はその大義のために人の身を捨てることも辞さないのかい?」


 予期せぬ質問であった。故にヴァイマンは意表を突かれ、常の平常を装った所作が崩れた。


 何故だろうか、ヴァイマンは即座に返答することが出来なかった。自分が作り出してしまった沈黙が首を絞めた。


 「冗談だよ。計画の成就は誠喜ばしいことに違いない。」


 永遠に続くとも思えた苦い間を市長は打破し、結果として、胸中に燻る引っかかりを残しながらも、ひとまずヴァイマンは救われた。


 「さて、明日も早い。今日はもう切り上げよう。」


 そう告げ、市長は円窓を閉めに向かう。先ほどとは打って変わり室内に残留していた煙の痕跡はなくなり、二人の部屋は完全に澄み切っていた。


 円窓を閉めながら、市長は遠い沖に漂流しているであろう本部の研究船に目をやった。こうしている間にも、研究は着実に進んでいるのであろう。


 最後に窓の縁に先ほどの灰殻が残っていないかを確認するため視線を下に向けた。その時、灯台の足元から広がる砂浜に、歩道から発せられる光を背にして黙々と砂を掘るみすぼらしい男の姿が視野に入った。


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