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第九章 9



「――と、いうわけなんですよ、マガクさん……」


 研究室の大きな椅子に腰を下ろした九郎が、がっくりと肩を落とした――。



 図書神殿を攻略した九郎たちは、七つに割れた改ざんの石板を布で包み、

 その日のうちに何とかダンジョンを脱出した。


 そして天冥樹の一階で一泊し、翌朝の日の出とともに馬車で出発。


 途中の村で一泊し、翌日の昼過ぎにようやくイゼロンの街に戻ってきた。


 九郎は宿屋に荷物を置くと、すぐさま魔法ギルド会館に駆け込み、

 マガクに割れた石板を見せながら事の顛末てんまつを説明した。



「それで、図書神殿は何とかクリアできたんですが、肝心の石板が見てのとおりの有様なんです……」


「なるほど。そういうことでしたか。状況はおおよそ理解出来ました。しかし、この石板の文字はどうにも不可解ですね……」


 話を聞き終えたマガクが、ふと首をかしげた。


 巨人は石板の欠片に手を伸ばし、太い指で慎重につまみ上げる。

 そして表面に刻まれた複雑な魔文字をランプの光にかざし、

 じっくりと調べ始める。



 するとその時、隣の部屋からメガネの男性職員が入ってきた。



 以前、九郎のお供で図書館に足を運んだ職員だ。


 大きなトレーを持った職員はテーブルに近づき、

 マガクと九郎の前に湯気の立つカップを静かに置いた。


 そして自分も椅子に腰を下ろしてカップを手に取り、

 九郎に向かって話しかける。



「桃色さん。ハーブティーですが、よかったらどうぞ召し上がってください」


「ああ、メガネさん。ありがとな」


 九郎は暗い表情でカップをつかみ、湯気を吹いて一口すする。


「いやぁ、それにしても桃色さん。あの図書神殿を攻略するなんて、ものすごい偉業を達成しましたねぇ」


「……いや。肝心の石板がこれじゃあ、何の意味もないっすよ……」


「まあまあ、そう落ち込まないでください。マガクさんはとても優秀ですから、きっと何とかしてくれますよ」


「だといいんだけど……」


 言って、九郎はさらに肩を落とす。


 メガネの職員は困った表情を浮かべて頬をかいた。

 

 しかし同じテーブルを囲むマガクは二人のことは気にもかけず、

 ただひたすら石板の欠片をじっくりと調べている。



「それで桃色さんは、これからどうするつもりなんですか?」


「えっ? どうって……?」


 不意の質問に、九郎は反射的に顔を上げた。


 メガネの職員は割れた石板に目を向けて言葉を続ける。


「ほら、先ほどのお話ですと、桃色さんはその石板を使って魔法契約を書き換えるつもりなんですよね? それが上手くいったら、そのあとはどうするつもりなんですか?」


「そのあと? ああ、そうか。これからのことか……」


 訊かれて九郎は考え込んだが、すぐに首を横に振る。


「……いや。正直、まったく分からないな。この石板が使えなかったら、オレはあと六日で死んでしまう。だから今はちょっと、先のことを考える余裕なんてないってのが本音だな」


「それはたしかにそうですよね。すいません。無神経なことを訊いてしまいました」


 男性職員は頭を下げて、言葉を続ける。


「ただ、桃色さんは皇帝陛下に覚えがめでたいご様子でしたので、サザランに仕官されるのかと思いまして」


「えっ? 仕官って、オレがサザランの公務員になるってことか?」


「ええ、そういうことです」


 呆気に取られて目を丸くした九郎に、男性職員は微笑んだ。


「ほら、結果的に桃色さんは、この街から十三魔教を排除したじゃありませんか。あれはサザランという国家に対し、非常に大きな貢献をしたことになります。しかもあの難攻不落の図書神殿を攻略した経歴も加われば、帝国の重要なポストに迎え入れられるのは間違いないと思いますけど」


「……え? 重要ポストって、え? うそ? マジで?」


 九郎は思わずテーブルに身を乗り出した。


「サザランって、公務員試験を受けなくてもいきなり高級官僚になれるのか?」


「普通は試験を受けないと無理ですけど、桃色さんなら大丈夫でしょう。ほぼ間違いなく、どこかのお役所のトップぐらいにはすぐになれると思いますよ」



「役所のトップ……?」



 一つ呟き、九郎はごくりとつばを飲む。



「えっと、ちなみにメガネさん。その役所のトップって、給料はどれくらいなのかなーなんて……?」


「お給料ですか? そうですねぇ……たしか、金貨百枚くらいだったと思います。ひと月に」



「いっ!? 一か月で金貨百枚だとぉぅっ!?」



 九郎の口から脊髄反射で驚愕の声が飛び出した。



「金貨一枚が五万円! 百枚だと五百万! 一年で、ろろろ、六千万だとぉぅっ!?」



「えっと、その円という通貨単位は知りませんが、役所のトップとはすなわち大臣ですからね。お給料は当然高額になります。それに、一か月に金貨百枚というのは表向きだそうです。本当はその何倍もの収入があるという噂ですから」


「な……何倍ってあんた……。最低の二倍だとしても、一億二千万だぞ……」


 言ってぽかんと口を開けて、九郎は背もたれに寄りかかる。


 メガネの職員は軽く微笑み、話を続ける。


「まあ、お給料についてはあくまでも噂ですから。それに、大臣になれるかどうかは桃色さん次第なので、今のは仮定の話にすぎません」


「ま……まあ、そりゃそうだよな」


「ですが、桃色さんさえその気なら、知り合いに話を通しておきますよ?」


「へ? 知り合い? メガネさんって、サザランの偉い人に知り合いがいるのか?」


「ああ、いえいえ。私の知り合いにそういうコネを持つ人がいるんです。その人は同じ村の出身で、サザランの魔法使いなんですよ」


 軽く手を振る職員に、九郎は納得顔でうなずいた。


「ああ、なるほど、そういうことか。メガネさんは魔法ギルドで働いているから、魔法つながりの知り合いがいるんだな」


「まあ、そんな感じです。別に今すぐどうのこうのという話ではないので、その気になったら声をかけてください。知り合いには、いつでも紹介できますから」


「そうか、それはマジで助かるよ。オレはハーキーもクリアちゃんも嫌いじゃないから、サザランの公務員になるってのは悪くない。別に大臣じゃなくても、安定した生活さえ確保できればじゅうぶんだからな。これで何とか生き延びることができたら、たぶんマジで頼みにいくよ。その時はよろしくな」


「ええ、それはもちろん。私は大抵このギルド会館にいますので、いつでも顔を見せに来てください」


 両手を合わせて頭を下げた九郎に、男性職員は嬉しそうに微笑んだ。


「よーし。何だかちょっと元気が出てきたぞ」


 九郎は目に活力を取り戻し、ハーブティーを一口すすってマガクを見る。


「どうかな、マガクさん。石板の修復はできそうかな?」



「そうですね……」



 マガクは気のない声をぽつりと漏らした。



 それから、割れた石板をジグソーパズルのように並べ直し、

 じっくり見下ろす。

 

 すると不意に、欠片の一つを手のひらにちょこんとのせた。

 

 そしてそのまま握り潰して粉砕した。



「うぎゃあああああああああああああああああぁぁぁーっっ!」



 その瞬間、九郎は目を剥いて絶叫した。



 しかしマガクは気にも留めず手のひらの粉をテーブルに落とし、

 次の欠片を握り潰す。



「ぎいやああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁーっっ!」



 石の部屋に再び甲高い悲鳴が響き渡った。



 直後、九郎は白目を剥いて背もたれに倒れ込んだ。


 それでもマガクは欠片を次々に粉砕していく。


 すると六つ目の欠片を砕いた瞬間、「む」と声を漏らして顔をしかめた。


 そして、こぶしのまま粉を落とし、慎重に手を開く。



「……やはりそうでしたか。クロウさん。これを見てください」



 マガクが九郎に手のひらを差し出した。



「……え? 何だそれ? 指輪?」



 九郎は、はっと我を取り戻し、身を乗り出して眉を寄せる。


 巨人の手のひらには、鈍い黄金色の指輪が転がっていた。


「マガクさん。その指輪はいったい……?」


「はい。おそらくこの指輪が、改ざんの石板の中心核です」


「中心核?」


「そうです」


 マガクは複雑な魔言が刻まれた指輪を九郎の前に置き、

 最後の欠片をつまみ上げる。


「この石板の表面には複雑な魔言が刻まれています。一見すると、大地の魔法を応用した変化形の魔法です。ですがよくよく調べてみると、この魔言には魔法の発動に必要な部分がすっぽりと抜けているのです」


「抜けている? それってつまり、その石板だけでは魔法が使えないってことか?」


「そうです。しかも石板に刻まれている魔言は、あってもなくてもどうでもいい、お飾りにしか見えません。ですので、ほぼ間違いなく――」


「石板はただの入れ物で、この指輪が本体ってことか……」


「はい。そういうことになります」


 九郎はとっさに指輪をつかみ、巨人に向けて差し出した。


「それじゃあ、マガクさん。この指輪で魔法契約の書き換えが可能かどうか、ちょっと試してみてくれないか?」


「分かりました」


 巨人は黄金の指輪を受け取り、メガネの男性職員に目を向ける。


 するとメガネの職員は、テーブルに置いていた金属製の筒を開けた。

 そして二枚の紙を取り出し、九郎に見せる。


「これは魔法ギルドで保管している古い魔法契約書です。契約内容はすべて失効済みですので、好きなように書き換えて大丈夫です」


「悪いな、メガネさん。わざわざそんなものまで用意してもらっちゃって」


「いえいえ。これぐらいは大した手間ではありませんから」


 職員は軽く肩をすくめ、二枚の紙を巨人に差し出す。


 マガクは契約書を横に並べ、片方を指さしながら口を開く。


「それではクロウさん。今からこの契約書の一文を、『所有権を放棄する』から『所有権を放棄しない』に変更します」


「なるほど。オレの契約も『ハーキーを倒さないと死ぬ』から『ハーキーを倒さなくても死なない』に変えないといけないから、似たような感じだな。よし。それじゃあ、マガクさん。早速やってみてくれ」


「はい。では、始めます」


 マガクは黄金の指輪をつまみ、契約書の上にかざす。

 それから指輪に刻まれた魔言を目で読んでいく。



 直後、指輪が淡い光を放ち始めた。


 

 光は瞬時に細い光線と化し、契約書の一文に焦点を合わせて照射する。

 さらにそのまま素早く横に移動しながら、二枚の文章を一瞬で書き換えていく。


「おおっ! すげぇ! なんだそれ! レーザー彫刻みたいじゃないか!」


 九郎の口から感嘆の声が飛び出た瞬間、書き換えは終了し、

 指輪の光はすぐに消えた。


「むう、これはすごいですね……」


 巨人がいかつい顔をさらにしかめて指輪を見つめる。


「表面の魔言を読むだけで発動する魔道具は初めて見ました。しかも使用者の思ったとおりに書き換えるとは、とてつもない仕組みです。どうやら図書の賢者とは、人知を超えた魔法使いだったようですね」


「まあ、そりゃそうだろ。あんな趣味の悪い罠を仕掛けるヤツなんて、頭の中が相当ぶっ飛んでいるに決まっているからな。だけど、これで何とか死なずに済みそうだ」


 九郎はマガクから改ざんの指輪を受け取り、嬉しそうに微笑んだ。


「それじゃあ、マガクさん。オレは早速、ジンガの村に出発するよ。早いとこオレとマータの契約書を書き換えて、一安心したいからな」



「――ああ、それなら、マガクさんも桃色さんについて行ってあげたらいかがですか?」



 不意にメガネの職員が横から言ってきた。



 九郎は思わずきょとんとして訊き返す。



「へ? 何で?」


「いえ、一応、念のためです。精神体に刻まれた魔法契約の変更には、かなり難しい魔法が必要になりますからね。マガクさんが同行すれば、万全かと思いまして」


「ああ、なるほど、そういうことか。たしかに、ケイさんが必ず診療所にいるとは限らないからな」


「それもそうですね」


 巨人も低い声で同意し、九郎を見つめる。


「それでは私も、一緒にジンガの村に向かいましょう」


「え? ほんとにいいの?」


 九郎が呆気に取られた顔で訊くと、マガクは重々しくうなずいた。


「ええ、かまいませんよ。ここのところ研究室にこもり切りでしたので、ちょうどいい気分転換になります。それにジンガの村までは、馬車で四日ほどなので、それほど遠くないですから」


「いや、たしかにマガクさんが一緒に来てくれると助かるけど、オレ、何のお礼もできないし」



「逆ですよ、クロウさん」



 マガクは首を横に振る。



「クロウさんはガインの命の恩人です。先日も言いましたが、私の方こそお礼をしたいと思っていたのです」


「いや、だからあれは、オレがオヤカタを巻き込んだんだから、礼を言われる筋合いじゃないんだけど……。って、そう言えば、オヤカタの具合はどうなのかな?」


「ええ、おかげさまで、もうすっかり治ってピンピンしています。今ごろはいつもどおり、陛下の護衛についているはずです」


「そ、そうっすか……。腕が切れて腹に穴が開いたってのに、ギガン族ってすごいっすね……」


「私たちの体には、細胞レベルでいろいろな魔法が刻まれていますから、生きてさえいれば大抵の怪我はすぐに治ります。とは言え、クロウさんが魔王に立ち向かっていなかったら、おそらく止めを刺されていたでしょう。それを思えばジンガの村まで同行するぐらい、大したことではありません」


「……そうですか。そう言ってもらえると、本当に助かります」


 九郎は丁寧に頭を下げた。


「それじゃあ、マガクさん。急で悪いけど、出発は明日の朝でもいいですか?」


「もちろんです。それでは明日の朝八時に、軍の駐屯所で落ち合いましょう。私の体は少々大きいので、軍用の馬車を用意しておきます」


「あ、そっか。すいません、いろいろと気を遣ってもらっちゃって。それじゃあオレは、ちょっと鍛冶屋に行って武器の修理をしてきます。今日は指輪を見つけてくれて、本当にありがとうございました。メガネさんも、いろいろ協力してくれてありがとな」


 

 九郎はもう一度頭を下げて席を立つ。



 そして二人に笑顔を見せて、研究室をあとにした。




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