第九章 5
「――はい、よーし。それじゃあ、コツメ。オレの動きに合わせてゆっくりと動いてくれ」
数メートル離れて向かい合った九郎とコツメは棍棒を握りしめ、
間に張ったワイヤーで天井の角を慎重に切り落とした――。
図書神殿攻略会議を終えた九郎たちはパラシュートを切り裂いて、
長いロープを二本作った。
そのうちの一本をコツメが担ぎ、スバランの魔法で屋上に駆け登る。
そしてロープを垂らし、仲間たちを引き上げた。
上ってみると、神殿の屋上はほとんど真っ平らな造りになっていた。
赤銅色の小石が隙間なくゴロゴロ転がり、
中央広間の天井部分だけが人の背丈ほど一段高く張り出している。
九郎は二本の棍棒の間にワイヤーを張り、片方をコツメに渡す。
それから中央広間の天井の角を二人で斜めに挟み込み、
アタターカの魔法を発動。
炭素鋼のワイヤーを超高速で振動させて、
硬い天井をスッパリと三角錐に切断した。
「……うん。まあ、こんなもんだろ」
九郎は足元に転がった天井の角を見下ろし、満足そうにうなずいた。
するとコツメが感心した声を一つ漏らし、棍棒を返しながら口を開く。
「うむ。これはなかなかの切れ味だ。どうしてただの鉄の糸で、こんなに硬いモノをスッパリと切断できるんだ?」
「ああ、これは別に大したことじゃない。オレの魔法は水分子を振動させて、料理を温めるだろ? それを応用して、ワイヤーを超高速で振動させたんだ」
「ほほう。振動にはそんな効果があったのか」
「まあな。刃物に振動を加えると、切断効果がアップするんだ。さらに、一秒間に数万回ほど振動させると、モノを切る時に摩擦熱が発生する。高温の摩擦熱はモノを溶かす効果があるから、こういうふうに滑らかに切り落とせるんだ」
「ふむふむ、なるほど。つまりこの鉄の糸で、クロは王冠の魔王を倒したというわけか」
「……何だよ、おまえ。起きてたのか」
九郎は思わずじっとりとした目つきでコツメをにらんだ。
するとコツメは澄ました顔でクサリンに目を向ける。
クサリンは軽く肩をすくめて、にこりと微笑む。
その二人の仕草に、九郎は小さく息を吐いた。
「なるほどな。クサリンも知ってたってわけか。まあ、あの時は声を抑えていたけど、けっこう話し込んだからな。目が覚めてもおかしくないか」
「おう、何だよクロウ。何の話だ?」
事情を知らない様子のオーラが、にっかり笑って九郎に訊いた。
「別に何でもねーよ。前に黄金剣を見せたことがあっただろ? あの剣の中に王冠の魔王が隠れていたから、このワイヤーでぶった切ってやったって話だよ」
「おおぉぅっ! マジかよっ! すげぇじゃねぇかっ! 魔王に止めを刺すなんて、剣聖でも難しいんだぞっ!」
「ああ、どうやらそうらしいな……って、おいオーラ」
九郎は首をかしげてオーラを見た。
「おまえ、魔王に止めを刺すのが難しいってよく知ってたな。サザランの最強騎士ですら、クエキの死んだふりを見破れなかったのに」
「そりゃもちろん。魔王のことはけっこう教えてもらったからな」
「教えてもらったって、誰にだよ」
「あたしのお師匠だ。お師匠はでき損ないの剣聖だからな。魔王についてはけっこう詳しいんだ」
「でき損ないって、おまえなぁ、自分の師匠のことを悪く言うのはどうかと思うぞ」
「いいんだよ。お師匠は自分を弱く見せたがる性格だからな。それよりクロウ。さっさと中に入って石板を手に入れようぜ」
言って、オーラは天井の大穴に親指を向ける。
しかし九郎は手のひらを向けて、周囲を見渡しながら口を開く。
「まあ、そんなに慌てるな。見たところ中央広間の天井にはどこにも穴が開いていない。つまり、この方法で侵入するのはオレたちが最初ってことだ。だから中に入る前に状況の確認をしておこう。オレは天井の一部を切断してロープを結ぶから、コツメは周辺の警戒を頼む。クサリンは穴から中をのぞいて、大広間の様子をチェックしてくれ。オーラはクサリンが落っこちないように支えておくんだ」
「おうっ!」
「はい」
「うむ、苦しゅうない」
コツメはすぐに一段高い天井に飛び乗り、周囲に警戒の目を向ける。
クサリンはオーラに抱かれながら穴の中に目を落とす。
そして、天井に小さな穴を開けてロープを結び始めた九郎に、
中の様子を話し始める。
「……えっと、クロさん。とても残念なお知らせですが、広間の中にも、あの木が一本生えていましたぁ」
「だろうな。たぶんそうだと思ったよ」
作業を終えた九郎はワイヤーを巻き戻し、
クサリンの横から広間の中を見下ろした。
(……なるほど、大広間はこういう造りか。一辺が一八〇メートルの正方形で、ほぼ中央に三段ほど高い祭壇があり、その上の台座に石板が置かれている。そして中央より少し南側の床に、あの太い木が一本植えられている。四方の壁沿いは、三階建ての書棚。それで、角度の関係で全部は見えないが、一階の東西南北にはでかいドアがある。それと、一階の角にでかい石像があるから、おそらく同じモノが広間の四隅に置かれているはずだ。うーん、だけどなんだろ……? たしかに半端じゃない数の本があるけど、図書館というより、何だか体育館みたいな構造だな。それと、やはり気になるのが、あの謎の木だが……)
「……なあ、クサリン。あの木は、他の四本よりもずいぶんと細くないか?」
九郎が尋ねると、クサリンも見下ろしながら小さくうなずく。
「そうなんですよぉ。葉っぱの付き具合を見ると明らかに同じ樹木なんですけど、幹の太さが半分以下なんです。なんでしょ? 床に植えると発育が悪くなるのでしょうか……?」
「うーん、天井と床で発育に違いが出るとは思えないんだが……。なあ、コツメ。あの祭壇に罠が仕掛けてあるか、ここから分かるか?」
「うむ。苦しゅうない」
言って、コツメは九郎の背後に飛び降りる。
そしてすぐさま足下の小石を拾い上げ、祭壇に向かって投げつけた。
赤銅色の小石は床からせり上がった祭壇に命中。
とたんに硬い音が広間中に響き渡り、同時に九郎の顔面が青く染まった。
「ふむ。どうやら罠はなさそうだぞ」
「どうやら罠はなさそうだぞ、キリッ――じゃねぇーだろぉぅっ!」
九郎は目を三角にして怒号を上げた。
「バカかぁーっ! おまえはバカかぁーっ! バカなのかぁーっ! なんで石とか投げるんだぁーっ! この大バカむすめぇーっ!」
「それはもちろん、罠がないかどうか調べるためだ」
「アホかぁーっ! おまえはアホかぁーっ! アホなのかぁーっ! オレはここから見て罠があるかどうかを訊いたんだーっ! あの小石で罠が発動したらどうすんだーっ! この超天然のアホむすめぇーっ!」
「む」
その瞬間、黒髪暗殺者の頬がぷっくりと膨らんだ。
直後――コツメはいきなり足元の小石をまとめて拾い上げ、
広間の中に投げ込み始めた。
小石は次から次に硬い床に当たって激しく跳ねる。
石の雨の大合唱は広間を超えて神殿中に轟いた。
甲高い音は天井の穴からも飛び出し、周囲の森まで響き渡った。
「――どうだ。クロ。やはり罠はなさそうだぞ」
再び静まり返った屋上で、コツメが自慢げな顔で淡々と言った。
しかし九郎は半分白目を剥いて固まったまま、何も聞いていなかった。
その横でオーラとクサリンは肩を震わせて笑っている。
すると不意に、広間の中で不気味な音が鋭く走った。
「――はっ! やばい! 全員っ! 戦闘態勢だっ!」
九郎は瞬時に顔を引き締め指示を飛ばし、広間の中をのぞき込む。
コツメは素早く肩掛けカバンを放り捨て、
オーラはナックルガードをスライドさせる。
九郎とクサリンは音の発生源に目を凝らす。
それは、広間の隅に置かれた巨大な人型の石像だった。
見ると、九郎たちの対角線上に鎮座していた石像に
無数の亀裂が走っている。
石像はさらに全身から激しい軋み音を発生させながら、
ゆっくりと立ち上がって動き出した。
「……なぁ、コツメさん」
壁に向かって歩き出した巨人像を見下ろしながら、
九郎は淡々とコツメに言う。
「何だかものすごく強そうなヤツがウェイクアップしちゃった様子なんですが、あれはいったい何なんですかねぇ?」
「うむ。あれはどうやら、罠のようだな」
「あれはどうやら罠のようだな、キリッ――じゃねぇーだろぉぅーっ!」
黒髪暗殺者の澄まし顔に、九郎は鼻の頭を押しつけながら全力で怒鳴った。
「あのバカでかい石像が動き出したのは、どう見てもおまえが石を投げたからだろうがぁーっ! どーすんだよぉーっ! このボケぇーっ! このスーパーウルトラハイパーミラクルボケナスむすめぇぇーっっ!」
「ふむ。案ずるな」
コツメは九郎の顔を両手で挟んで押し返す。
「あの石像の巨体では書棚の階段は上れない。ここまで来ることは不可能だ。ならば、対策を考える時間はじゅうぶんにある」
「そうですねーっ! それはたしかにそうですけどねーっ! オレが言いたいのは寝た子を起こすような真似をすんじゃねーってことだぁーっ! このアホバカマヌケっ! ボケむすめぇーっ!」
「……あのぉ、クロさぁん」
ふとクサリンが、広間を指さしてぽつりと言った。
「あの石像が、壁を登り始めているんですけどぉ」
「にゃんにゃんにゃんにゃんっ!? にゃんですとぉーっ!?」
九郎は反射的に目を向けた。
するとたしかに石像が壁にへばりついていた。
しかも壁の本棚に巨大な指を突き刺してよじ登り、
あっという間に天井にぶち当たった。
さらに岩のような拳で天井を粉砕し、そのまま屋上に這い上がってくる。
「……うわーお。なにあれ? 勝てる気がぜんぜんしねぇー」
九郎は呆然と呟いた。
およそ二五〇メートル先の対角線上で、石像がのっしりと立ち上がった。
その巨体の表面からは石の外殻が音を立てて剥がれ落ち、
鋼鉄の鎧をまとった巨人が姿を現した。
鎧の隙間から見える肌は、石のような深い灰色。
髪の毛のない頭の上には、苗木のような植物が生えている。
「クロさんっ! あれは石像じゃありませんっ! ギガント族の戦士ですぅっ!」
ゆっくりと歩き出した巨体を指さしながら、クサリンが声を張り上げた。
「え? ギガント族ってたしか、ギガン族の二倍くらいじゃなかったっけ?」
「そうです! だけどあれは二倍どころか五倍近い大きさですぅっ!」
「五倍ってことは一〇メートル以上かぁ。うーん、たしかにあのでかさだと、マンション三階分ぐらいはあるよなぁ……」
九郎は呆然と呟きながら、中央広間の天井を回り込んでくる巨人を眺めた。
「おい! クロウ! あいつはどうやって倒すんだっ!?」
オーラが拳を構えながら鋭い声で訊いてきた。
しかし九郎は白桃色の棍棒をゆっくりと組み合わせながら、
気のない声で言葉を返す。
「いやぁ、あれはちょっと、さすがに勝てる気がしないだろ。人間型である以上、首の後ろの神経を切断すれば、まず間違いなく動きは止められる。だけどあいつは鎧の襟で首をがっちりガードしているし、こっちには立体的に機動攻撃できる装備なんてないからなぁ……」
「それじゃあ、クロさん。屋上から突き落とすのはどうですか?」
「たぶん無駄だろ」
クサリンの提案に、九郎は首を横に振る。
「あいつの身長は一〇メートルで、この神殿の高さは三〇メートルだ。地面に叩き落としたところで大したダメージは与えられない。さっきみたいにまた這い登ってくるだけだ。――とは言っても、現実的には、それしか他に方法はないか」
言って、九郎は素早く周囲に視線を飛ばす。
そしてすぐに足下のロープを広間の中に蹴って垂らし、コツメに言う。
「よし。それじゃあコツメは、オレの合図と同時に広間に突入だ。石板をゲットしたら、スバランを使って戻ってくれ。念を押すが、魔法は戻る時に使うんだ。何かやばいと感じた時もすぐに戻れ」
「うむ。分かった」
「あの巨人はオーラとオレが引きつけて、屋上の端から地面に落とす。倒せなくても時間稼ぎにはなるからな。クサリンは、コツメがスバランを使う直前にマシマシをかけてくれ。石像は他にも三体あるはずだし、そいつらが動き出す可能性はかなり高い。さすがに四体同時に相手をするのは厳し過ぎるからな。コツメが戻ってきたら、すぐに全員で脱出だ」
「おうっ!」
「はい!」
「うむ。いつでもいいぞ」
「よーし。それじゃあ全員、気合いを入れろよぉ。図書の賢者の予想を超えた番狂わせを始めるからな。文字どおりのジャイアントキリングだ」
九郎はゆっくりと迫りくる巨人をにらみ上げる。
そして両手で棍棒を握りしめ、屋上の端に向かって駆け出した。