第八章 7
「――はあ? そいつはいったいどういうことだ?」
いかめしい黒衣の将軍に、九郎は思わず眉を寄せて訊き返した――。
天冥樹の入口前に到着した九郎は、気絶したままの三人娘を放置して、
すぐにサザラン軍の駐屯所に足を運んだ。
すると、黒いマントを羽織った、いかつい顔の中年男性と司令官室で対面。
男は、天冥樹ダンジョンの攻略を担当している将軍という。
九郎はハーキーからの命令書を将軍に手渡し、協力を要請。
しかし、命令書に目を通した将軍に協力を拒否されてしまい、
思わず上目づかいでにらみ上げた。
「その命令書は皇帝陛下の直筆だぞ? サインもあるし、印章だってちゃんと押されている。それで何で図書神殿までの護衛を断るんだよ」
「そんなことは決まっておぉるっ!」
将軍は木の机を拳で叩き、声を張り上げた。
「ジャハルキル陛下がぁっ! 将軍をないがしろにしたからであぁるっ!」
「はあ? ないがしろ? そりゃあいったい何の話だ?」
「そんなことは決まっておぉるっ! まだ新参者とはいえぇっ! 忠実に仕えたゴールドバビロン将軍を処刑したことであぁるっ! 忠義に報いてくれぬ皇帝陛下にぃっ! 黙って従えるはずがないのであぁるっ!」
「はひ……?」
九郎は呆気に取られ、口を大きくぽかんと開けた。
すると将軍は鼻の穴を限界まで膨らませて九郎をにらむ。
「よいかぁっ! よく聞けぇいっ! よぉーく聞けぇーぃっ! 国土と国民を守る将軍をぉぉ! 無慈悲にも処刑する皇帝なぞぉぉ! あっ! 皇帝とは到底認められないのであぁるっ! ゆえにぃぃ! この命令書は無効であぁるっ!」
「ああ……そういうことっすか……」
九郎は呆れ果てた顔のまま近くの椅子を引きずって運び、
将軍の前で腰を下ろした。
「えーっと……まあ、あんたの言いたいことは何となく分かった。つまり、ハーキーは最強騎士の将軍をあっさり処刑した。そうすると、同じ将軍の自分もいつ処刑されるか分からない。それが不安だから、皇帝に反発しているってことだな?」
「うぅむっ! まぁさしくぅぅ! あっ! そのとおりであぁるっ!」
(うーむ……そこはあっさり認めるのか……)
九郎は逆に感心しながらじっとりと将軍を見て、ゆっくりと口を開く。
「それじゃあ、将軍。それなら何の心配もいらないぞ。ここだけの話、ゴールドバビロン将軍は処刑されていないからな」
「んなっ!? なぁぁにぃぃ!? ぬぁんだとぉぅっ!? それはいったいどういうことなのであぁるっ!?」
「いやー、それはちょっと話せば長くなるし、ちょっと話せない内容も多々含まれているので、詳しい事情は割愛するけど――あ、ちなみに割愛ってのは、本当はカットしたくないんだけど、時間の都合で残念ながら省略するって意味だからな。えっと、それで実は、ゴールドバビロン将軍はちょっとした事情で将軍をやめたいって、前々から考えていたんだよ」
「おおぉぉぅっ!? なぁんとぉぅっ!? ――それは誠であるか?」
(あ、何か急に嬉しそうな顔で、普通に訊いてきやがった……)
あからさまに表情が和らいだ将軍を、九郎はさらに渋い顔で見つめて言う。
「ああ、もちろん嘘じゃない。それで今回、軍の中でちょっとしたミスが発生して、ゴールドバビロン将軍が責任を負うことになってしまったんだ。それで皇帝陛下は仕方なく、表向きだけ処刑したことにして、ゴールドバビロン将軍の命を救い、将軍はめでたく引退したってわけなんだ」
「おおおおおおおぉぉぅっっ! なぁんとなんとぉぉぅっっ! ――それは誠であるか?」
(何でこのオッサンは、いちいち芝居がかった言い方するんだ……?)
内心のため息を顔ににじませながら、九郎は一つうなずいた。
「そりゃそうだろ。こんな作り話がスラスラ出てくるヤツなんていないからな。ああ、でも、今のはここだけの話にしてくれよ? さもないと、あんたまで処分されるかも知れないからな」
「うぅむっ! 分かったのであぁるっ! そういう事情なら話は別なのであぁるっ!」
将軍はさっぱりとした表情を浮かべ、分厚い胸をごつい拳で強く叩く。
「お、そうか。それじゃあ、図書神殿までの護衛をしてくれるんだな」
「うぅむっ! もちろんであぁるっ!」
「ぃよっしゃぁーっ!」
将軍の力強い言葉に、九郎も思わずこぶしを握りしめた。
しかし次の瞬間、将軍が元気いっぱいに言い足した。
「――ただぁしっ! 護衛任務の開始はぁっ! 今の話の確認が取れてからであぁるっ!」
「……はい?」
そのとたん、九郎のこぶしが垂れ下がった。
「確認……?」
「うぅむっ! 確認であぁるっ! 今からイゼロンまで馬を走らせっ! ゴールドバビロン将軍の現状を確認するのであぁるっ!」
(こ……コノヤロー、そうきたか……)
九郎は思わずごくりとつばを飲み込み、
顔に焦りをにじませながら口を開く。
「あー、悪いけど将軍。ゴールドバビロン将軍はもうイゼロンを出ていったから、どこにいるか誰にも分からないんだ。だから、本人に確認を取るのは、ちょーっとばかり難しいかなー、なんて……」
「うぅむっ! 案ずるでなぁぁいっ! 草の根分けても探し出すのであぁるっ! それがっ! あっ! それこそがっ! あっ! 確認であぁるっ! んであるからしてっ! あっ! キッチリ確認が取れるまでぇぇっ! あっ! いつまでも待ち続けるのみであぁるっ!」
「いやいやいやいや、ちょっと待って? とりあえず、ちょっと待って?」
(むぅ、これはいかん……。腕力では絶対勝てないと思うけど、とりあえずグーで殴りたくなってきた……)
九郎は般若顔でギリギリと奥歯を噛みしめた。
(……まあ、この胸のムカつきはひとまず置いといて、問題はその確認にどれだけの時間がかかるかということだ。ミルちゃんはたしか、自分が女だってことを隠して将軍をやっていたと言っていた。一昨日は堂々と魔王を蹴っ飛ばしていたけど、あの時は鎧を着ていないから平気とか言ってたからな。ということは、いくら本物のミルちゃんを見せても、この素直系頑固オヤジは絶対に納得しないような気がする。もしも仮に納得したとしても、この天冥樹から普通に馬を走らせれば、イゼロンまでは往復四日。オレに残された時間はあと十日。ここからマータのいるジンガの村までは、馬車でおよそ六日の距離。つまり、このオッサンの確認を待っていたら、確実にタイムアップでオレは死ぬ。そうすると、このオッサンを説得できるかどうかが生死を分かつ分水嶺ってわけか……)
九郎は心を落ち着けて呼吸を整えた。
そして黒衣の将軍を見据えながら全力で頭を回転させる。
(よーし、ならばいいだろう。ここからの交渉次第で運命が決まるというのであれば、オレは全身全霊の口先をもってして、この無駄に頑固なオッサンを何としてでも説得してみせる。こっちだって伊達に何年もサラリーマンをやってきたわけじゃねーからな。今までの人生で培ってきたボキャブラリーとプレゼンテーション能力のすべてをここでぶちまけてやる。
なーに、こんな中世ファンタジーのオッサン思考を誘導するぐらい、
大して難しい問題じゃない。
要するに、図書神殿までオレを護衛した方が得だと思わせればいいんだ。それにはまず、相手の弱点を分析して、アメとムチの両方を把握することが先決だ。となると、今までの会話内容から察するに、このオッサンの最優先事項は自分の立場を守ることだ。そして、ミルちゃんが処刑されたわけじゃなく、自ら引退したと知って喜んだということは、自分が処分される危険性がなくなった上に、あわよくばイゼロン駐留軍のトップに昇進できるかも知れないと思ったからだ。
つまり、このオッサンは出世願望がかなり強い、典型的な高級官僚だ。
だとしたら、オレに協力すればハーキーにとりなして、出世させてやると言えばイチコロに決まってる。逆に協力しなければ、ハーキーに告げ口して左遷させると脅せばパーフェクトだ。よーし、これでアメとムチの把握は完了。あとは話のもっていき方だが、あまり露骨に脅したら、逆に反発して意固地になる可能性は否定できない。ということは、そこら辺の言葉づかいには注意が必要ということだ。しかし、なーに、このオッサンは将軍まで昇り詰めた軍人だ。こういうエリートなら、政治的な駆け引きぐらい心得ているに決まっている。軍人と政治家には必須の『ブラック忖度』スキルぐらい、標準装備でレベルマックスのはずだ。
軍人ってのは結局のところ、ただの国家公務員だからな。
しかも組織の中で出世して、さらに出世を望むヤツに遠慮なんてする必要は欠片もない。他人を蹴落としても、それが社会のルールだと一言で切り捨てて、自分以外はどうでもいいと本気で思っているタイプの人間に何を遠慮する必要がある。そんなヤツを口先三寸でだまくらかして、都合のいいようにこき使うのはむしろジャスティス・ファイアーだ。
だからオレは、このオッサンに容赦はしない。
容赦はせずに、あえてへり下って話を進める。
そしてアメとムチを使い分けて、オッサンの思考を操作する。相手を持ち上げて契約書にサインさせるのは、どんなビジネスでも常識中の常識だからな。よーし、これで材料とレシピは整った。あとは慎重に料理して、このオッサンをオレの支配下に置くだけだ――)
九郎は三秒で考えをまとめた。
そして静かに息を吐き出す。
それから瞳の奥に力強い光を宿らせながら、
黒衣の将軍をまっすぐ見つめて口を開いた。