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第八章 4



「――おい、おまえ」


 ふと、誰かの声が耳を突いた。



 九郎は、はっと目を覚ます。


 慌てて顔を上げると、目の前に誰かが立っている。

 茶色い髪を短く切った若い女性だ。


 夕焼け空を背にして立つ女は、

 冷静な眼差しで九郎を見下ろしながら淡々と言う。



じきに夜だ。そんなところで寝ると体が冷える。最悪、死ぬぞ」


「……ああ、もうそんな時間か。どうやらいつの間にか、眠っちまったらしいな」


 言いながら、九郎は呆然と周囲を見渡す。


 ばら撒いたパンくずはきれいになくなり、鳥たちはとっくにいない。

 脇には革の水筒と棍棒。

 ローブの上から腰に手を当てると、金貨の入った巾着袋の感触がある。


 その仕草に、若い女性は肩をすくめてぽつりと言う。


「安心しろ。何も盗んでなんかいない」


「ああ、悪い。念のための確認だ。気を悪くしないでくれ」


 茶色いローブをまとった女性に、九郎は片手をわずかに上げた。


「わざわざ起こしてくれてありがとな。それで、あんたは誰だ?」


「私はクンナだ。おまえを探していた」



「オレを?」



 不意に片膝をついた女に、九郎は怪訝そうな目を向ける。



「何でオレを探していたんだ?」


「人に頼まれて探していただけだ。それよりおまえ、もしかして泣いていたのか?」


「うぐ……」


 言われてとっさに横を向き、九郎は唇を尖らせた。


「べ……別にいいだろ。おまえには関係ねーんだから。それより、誰がオレを探してんだよ」


「さっき合図を送ったから、直に来る」


「だから、それは誰なんだよ」


「何だ、おまえ。めそめそ泣いていたわりには、ずいぶんと強気じゃないか」


「はあ? そっちこそ何だよ。ずいぶんと絡むじゃねーか」


 九郎は反射的ににらみ上げた。


 するとクンナも肝の座った目つきでにらみ返してくる。



「私は、外で泣く小娘が嫌いなんだ」



「こっちだって、気づかいのできないオンナは嫌いだけどな」


 九郎は荷物を手にして立ち上がり、すぐに階段の方へと足を向ける。


「だけどまあ、とにかく、起こしてくれてありがとよ。それじゃな」


「待て。どこに行く」


「待たねーし、どこでもいいだろ」


 慌てて隣を歩き出したクンナに、九郎はつっけんどんに手のひらを向けて言う。


「オレを探しているのが誰だか知らんが、そいつを待つ義理はない。もうすぐ陽も沈むから、どっかで風呂に入って体を温める。それから酒場でメシを食う。生きていたら、どんな時でも腹が減るからな」


「何だおまえ。小娘のくせに生意気な口を利くじゃないか」


「うるせーな。さっきから小娘、小娘言ってるけどさあ、おまえだってオレとそう変わんねーじゃねーか」


 九郎は早足で歩きながら、クンナを指さしてにらみつけた。


「見たところハタチそこそこだけどさ、オレから見たらおまえの方が小娘なんだよ。偉そうにすんな、この猿娘」


「誰が猿娘だ。年下のくせに年長者を馬鹿にするな」


「黙れ、猿知恵。オレの見た目は十六歳のスーパーウルトラハイパー美少女だが、中身はおまえより年上なんだよ。そっちこそ年長者をバカにすんな、このボケ。ボケ猿。ボケ猿娘」


「何を訳の分からないことを言っている。おまえが私より年上のはずがないだろう。そうやって背伸びをしたがるのは子どもの証拠だ」


「だから、それは見た目だけだって言ってるだろうが。猿じゃなくて、おまえは馬か? 馬耳東風か? 馬の耳に念仏か? ヒトの言葉をまともに聞けないのは発達障害の証拠だぞ。ラノベやアニメのキャラなら笑って許せるが、現実じゃただの地雷オンナだ。おまえ、そんなあからさまに痛い性格していると、ほんとにマジで結婚どころか彼氏の一人もできねーぞ」



「何だとっ! 子どもが生意気なことを言うなっ!」



 クンナは唐突に目を怒らせ、片手で九郎の肩を突き飛ばした。



 九郎もよろけながら目じりを吊り上げ、茶色いローブの肩を押し飛ばす。


「おまえ、ふざけんなよ。歩きながら突き飛ばしたら危ねーだろ。転んでケガしたらどーすんだよ」


「突き飛ばされるようなことを言ったおまえが悪い」


 クンナは言って、今度は平手で九郎をはたく。

 九郎も反射的にクンナの肩を張り飛ばした。


 二人はそのまま早足で歩きながら、叩き合い、突きまくる。


 さらに牙を剥いてにらみ合い、

 すぐにこぶしを握って殴り出した――直後、何かにぶつかって足が止まった。



「……おやおや。二人とも、ずいぶんと仲がよさそうだねぇ」



「あぁん!?」



 九郎は怒気を吐きながら前を見た。


 突然聞こえたのんきな声に、クンナも怒りの眼差しを投げつける。


 直後、九郎はふっと息を吐き出し、クンナは鋭く息を呑んだ。


 二人がぶつかった相手はインバネスコートを着た男だった。


「やぁ、クロちゃん。こんばんはぁ」


「何だ、メイレスか」


 赤茶色の長い髪を頭のてっぺんで括った男に、九郎は気の抜けた目を向けた。


 メイレスは軽く片手を上げながら、九郎の隣に顔を向ける。


「クンナもご苦労様。もう行っていいよぉ」


「…………」


 クンナは口を固く閉じたまま、こくりとうなずく。


 それから九郎をじろりとにらみ、顔を近づけてさらににらむ。


 そしてにらみ返してきた九郎から顔を背け、

 数十メートル先の階段を降りていった。



 九郎は歯を剥いて茶色いローブの背中を見送り、

 そのままメイレスをにらみ上げる。


「おいこら、メイレス。あの猿娘はおまえの仲間か?」


「まぁねぇ」


 メイレスはにっこり微笑み、肩をすくめる。


「彼女は人探しや情報収集がとても得意でね、ライブラ・サーティーンの下っ端を見つけてきたのも彼女なんだよ」


「何だ、ずいぶん仕事が早いと思ったら、そういうことだったのか。それじゃあ、次からはおまえじゃなくて、あの猿娘に仕事を依頼した方がいいかもな」


「はは。そいつは手厳しいねぇ」


 九郎は壁に寄りかかり、アゴを上げてさらに訊く。


「それで、あいつにオレを探させたのは、おまえってことでいいんだな?」


「ま、そういうことだねぇ」


 メイレスも隣に背中を預け、赤く染まった空を見上げる。


「クロちゃんはもう、サザランの皇帝を暗殺するつもりがないみたいだからさぁ、お別れを言いに来たんだよぉ」


「何だ、ラッシュの街に戻るのか。だけど、わざわざ挨拶に来る義理なんてないだろ」


「まぁねぇ。それはたしかにそうなんだけどさぁ、一応、伝説の魔王と一緒に戦った仲だからねぇ」


「あっそ。そんじゃあ餞別せんべつ代わりに教えておくけど、白金魚しろきんぎょの魔書とクヨは、予定どおりハーキーに引き取ってもらったから。ハーキーのヤツはあっさり保護するって約束してくれたし、クヨも駄々を言わなかったから、万事丸く収まったってわけだ」


「なるほどねぇ。そいつはよかった」


「ああ、でも」


 ふと思い出し、九郎は指を一本立てて言葉を続ける。


「あの黄金剣はいきなり消滅したからもうないぞ。こっそり売り払って儲けを独り占めしたわけじゃないから、そこんところは勘違いすんなよな」


「ああ、はいはい、大丈夫、大丈夫。ボクはそんなこと気にしないから。でも、あの剣はなかなか見事だったから、正直ちょっと残念だなぁ。やっぱり魔王が死んじゃうと、一緒に消えちゃうんだねぇ」


「まあな。たぶん、そういうことだろ」


 九郎は素知らぬ顔で小さく言った。


「それでクロちゃん。魔法研究者の方はどうだった? 魔法契約の解除方法は見つかった?」



「ああ、その件か……。それが実は――」



 訊かれたとたん、一つため息。


 九郎は壁の影に目を落としながら説明した。



 紫色に変化した空を眺めながら、メイレスは黙って耳を傾ける。

 そして話が終わると、おもむろに口を開く。



「……ふぅーん、なるほどねぇ。つまりアルバカンの国王がいないから、普通の方法では魔法契約の解除はできない。それに、魔法契約を一方的に解除してくれるアサイン法国やその派遣団、そしてマータ以外の大賢者のところに行く時間もない――ってことかぁ」


「ま、そういうことだ。だから、大賢者に匹敵する十三魔王に頼ろうと思ったんだが、いま復活しているのは二人しかいないらしい。しかも一人は覚醒していないクヨで、もう一人は十三魔教も行方がつかめていないって言うんだから、ほんとにもう、完全に打つ手なしのお手上げ状態ってわけだ」


「だから、こんなところで黄昏たそがれていたんだねぇ」


 沈みゆく太陽を眺めながら、メイレスがふと呟く。



「だったらさぁ、今からでも、サザランの皇帝を暗殺するかい?」



「アホか、おまえは」


 九郎は力なく首を振る。


「オレはウサギや鴨でさえ殺せないんだ。それなのに、顔も名前も性格も知っちまった人間を殺せるはずねーだろ。それに、ハーキーのヤツはサザランっていうでかい国を導く責任をしっかりと背負っている。国のためなら実の妹すら犠牲にする覚悟さえある。サザランの人口が何百万だか何千万だか知らないが、体を張って国民を守るヤツとオレの命、どっちが重いかなんて悩むまでもねーだろ」


「でもさぁ、国を率いるからって、別に偉いとは限らないと思うけどなぁ」


「国のトップは偉いに決まってんだよ」


 言いながら、九郎はメイレスの顔に指を向ける。


「そりゃあたしかにアルバカンの国王はクズだったけど、それは立場じゃなくて性格の問題だ。ハーキーだって自分の悪い噂を流して裏切り者をあぶり出し、皇帝の座を守ろうとしたんだから、品行方正とはとても言えない。だけど、その行動が私利私欲のためなのか、国土と国民を守るためなのか、あいつと少しでも話せばすぐに分かる。おまえが言う『偉い』っていう基準が何なのかは知らないが、ハーキーは偉いとオレは思う。そしてこの街にいるヤツらもそう思っている。そうでないとオヤカタやミルちゃんが、命がけで魔王に立ち向かうはずがないからな」


「それはつまり、国民に慕われている王は偉いってことかな?」



「国民を守るヤツが偉いってことだ」



 九郎はきっぱりと言い切り、さらに言う。



「いいか? どこの星のどこの国であろうと、国民ってのは感情で動く生き物だ。そして自分たちの国のトップが、自分の立場を守ろうとしているのか、国民全体を守ろうとしているのか、それが分からないほどバカじゃない。国のトップが体を張ってくれるなら、国民はそいつについていく。サザランがアルバカンと戦争して連戦連勝したのは、そういうことだとオレは思う」


「そうすると、サザランの皇帝が国民を大事にしているから、国民も皇帝を支えているってことかい?」


「それと、アルバカンのアホな国王が国民を大事にしなかったから、アルバカンのヤツらもやる気が出なかったんだろ」


「ははは。それはたしかに、そうだねぇ」


「だろ? 国土面積はサザランの方が大きいらしいが、国力にそれほど大きな差はないって話だ。つまり、戦争の明暗を分けたのは国民のやる気だ。ハーキーは国民のやる気を引き上げ、アルバカンの国王は国民のやる気をいだ。そういうことだ」


「ふーん、なるほどねぇ。だとしたら、アルバカンはもう立ち直れないってことかぁ」


「いや。方法さえ間違わなければ、意外とあっさり立ち直れるだろ」


 言って、九郎は南の地平線を指し示す。


「今は平和に見えるけど、戦争状態はまだ続いている。だからハーキーはアルバカンと和平交渉をして、さっさと戦争を終わらせたいと思っている。その心理が、アルバカンにとっては狙い目だ」


「狙い目?」


「ああ。相手の望みを見極めれば、交渉がやりやすいからな」


「なるほどねぇ。でも、具体的にはどうすればいいのかな?」


「そうだな……。まず、アルバカンはできるだけ早く新しい代表を決めて、サザランとの和平交渉を締結ていけつする。おそらく、敗戦国として莫大な賠償金を請求されるが、そんなものは長期の分割払いにして、いざとなったら踏み倒せばいい」


「踏み倒すって、それはさすがに無理だと思うけど」


「いや、サザランと軍事同盟を結べば、返済はいくらでも引き延ばせる。それさえ結んでしまえば、他の国はアルバカンとサザランに手出しができなくなるし、それがハーキーの真の狙いだ。サザランだって、東西南北が敵だらけという状況は避けたいからな。だから、アルバカンの代表がそこをきちんと押さえて交渉すれば、実際の賠償金はかなり低く抑えられる。そうやって復興の土台をきっちり固めれば、アルバカンはきっとすぐに立ち直るはずだ。よその国に逃げた国民だって、何だかんだ言っても自分の生まれ育った土地が好きだからな。故郷が再建に舵を切れば、すぐに戻ってくるだろ」


「それはたしかに、そうかも知れないけどさぁ……」


 メイレスは太陽が沈んだ彼方の山を遠目に眺め、重苦しい息を吐き出した。


「現実は、そう上手くいかないと思うんだよねぇ」


「まあな。それが最善だと分かっていても、アルバカンの人間にだってプライドがある。国の看板を背負って交渉するヤツは、なおさら簡単には頭を下げられない。人間ってのは、どうしても感情で動く生き物だからな。だからさ、だからオレも、こんなところで、こんなことをしてんだよ……」



 言って、九郎の瞳がわずかに揺れた。


 九郎は深く息を吐き出し、顔を上げる。


 すると、藍色の空に一番星がまたたいた。



「……まあ、途中から変な話になったけど、とにかく、オレの方は大丈夫だ。残り時間はまだ十一日もある。タイムリミットまでに別の方法が見つかるかも知れないし、ジンガの村にいるケイさんが、マータを元に戻してくれる可能性もあるからな」


「そっか……。クロちゃんは強いねぇ。さすがは救世主。それに今の話も、なかなか面白かったよ」


「そうか? あんなもん、誰でも思いつくことだろ」


「いやいや。クロちゃんは知らないと思うけどさぁ、そういう中立の視点で政治の話ができる人なんて、この辺には大賢者ぐらいしかいないからねぇ。だから、お礼を兼ねてこれをあげるよ――はい、どうぞぉ」


 メイレスはコートのポケットから取り出した小物を九郎に手渡した。


「何だこれ? 小銭入れか?」


 九郎はきょとんとしながら目の前に掲げてみる。


 それは赤茶色の革製品だった。


 手のひらサイズで、わずかに厚みがある。


「鏡だよ。ボクの故郷じゃ、棺桶の中に手鏡を入れる風習があるからねぇ」



「ざけんなコラ。縁起でもない」



 九郎はとっさにメイレスの足を蹴り飛ばした。


 それから二つ折りの革製品を手帳のように開き、中の鏡をのぞき込む。


「……むぅ、暗すぎてよく見えん。だけどまあ、こいつは小さくて便利だから、もらっておくよ」


「おやおや。てっきり突き返してくるのかと思ったよ」


「まさか。もらえるモンはもらっておくさ。人の好意を受け取るのも思いやりだって、オレの仲間も言ってたからな」


「へぇ、それはいい言葉だねぇ」


 メイレスは壁から背中を離し、九郎にまっすぐ体を向ける。


「さてと。それじゃあ、クロちゃん。ボクはそろそろ街を出るよ」


「え? こんな夜に出発するのかよ。もう一泊して、明日の朝にすればいいじゃねーか」


「そうしたいのはやまやまなんだけど、ちょっと急ぎの用が入っちゃってね。それにもう、馬車も用意してあるから」


「そっか。仕事なら仕方ないよな」


 九郎も壁から体を離し、メイレスをまっすぐ見上げてこぶしを突き出す。


「そんじゃ、メイレス。いろいろ世話になったな。オレが生きていたら、またどっかで会おう」


「そうだねぇ。それじゃあ、クロちゃん。頑張ってねぇ」


 メイレスは九郎のこぶしにこぶしを合わせ、にこりと微笑んだ。

 

 そしてすぐに背中を向けて、階段を降りていく。



「そうだな……」



 再び一人になった九郎が、風の中で呟いた。



 そして星空に顔を向けて、もう一言ぽつりとこぼす。



「……とりあえず、風呂に入ってメシでも食うか」




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