表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/106

第八章 3



「――ああ……これはもう、本気でダメかも知れん……」


 街を囲む高い外壁。

 その上で、晴れた空を眺めながら、九郎は死について考えた――。



 サザラン軍の駐屯所をあとにした九郎は、呆然と繁華街に足を向けた。


 どこに行くのか、自分でも分からない。

 ただふらふらと、大通りをゆっくり歩いた。


 すると不意に、どこからか賑やかな気配が漂ってきた。

 見ると、マンイン亭のドアから喧噪が漏れている。


 窓からこっそりのぞいてみると、まだ午前中にも関わらず、

 店内にはかなりの客が入っていた。


 若いカップルから老夫婦まで、みなポテトチップをつまみにして、

 ビールを飲みまくっている。



 そういや、まだハロウィンだったっけ……。



 九郎はぽつりと言葉をこぼし、酒場の前を通り過ぎる。

 

 そのままふらりとパン屋に立ち寄り、ポテトサラダのサンドイッチを二つ買う。

 ついでに近くの井戸で革袋に水を汲み、街を囲む高い外壁に登った。


 そして、南に広がる青い空と大平原を眺めながら、長い息を吐き出した。



「はぁ~……。空が青いのはレイリー散乱、雲が白いのはミー散乱だったっけ……。窒素や酸素分子みたいな小さな物体に光が当たると、波長の短い青い光が強く散乱する。それを発見したのが、イギリスのレイリーさん。湯気や雲の水滴ぐらいの粒子に光が当たると、散乱が光の波長に依存しなくなるから白く見える。それを発見したのが、ドイツのグスタフ・ミーさん。それじゃあなぜ、朝と夕方の空が赤いのかと言うと――」



 言って、九郎は左右を見渡した。



 石造りの外壁の上は十メートルほどの幅があり、

 左右の壁は九郎ほどの高さがある。


 長さは東西と南北に六キロずつ。


 いくら背伸びをして目を凝らしても、人影一つ見当たらない。

 九郎は登ってきた階段を背にして歩き、南門の方へとゆっくり進む。



「――光の散乱は、直角方向で最も強くなる。だから、太陽が真上にあると空が青く見える。そして日の出と日の入りの時は、光が通過する大気層の距離が長くなる。イメージ的には、直角三角形の斜辺を下から上に光が進む感じだ。だから青い光がさっさと散乱されてしまい、散乱されにくい赤い光が強調されて見える――。やれやれ……。せめてこれぐらいは説明しないと、レイリー散乱とかミー散乱とか、それっぽい単語をポンと出されただけじゃ、普通は何のことだかチンプンカンプンだよな……」


 九郎は足を止めて一つため息。

 それからゆっくりと振り返る。


 階段の降り口ははるか後方で、もう見えない。

 人が来そうな気配はない。

 ハロウィンで盛り上がる街の喧噪も聞こえない。


 目に映るのは、陽の光と壁の影。

 そして時折、冷たい風で舞い散る落ち葉。



「……この辺でいいか」



 九郎は石の床に腰を下ろし、壁に背中を預けて前を見た。


 十メートル先の壁には細い切込みが入っている。

 そこから遠くの山がわずかに見える。


 目を凝らすと、白くぼやけた波打つ稜線りょうせん

 その手前には、赤く色づく深い森。

 

 それと、かすかに白い、自分のため息。


 九郎は水を一口飲んで、もう一口飲んだ。

 それから、サンドイッチをゆっくり食べる。



「さすがはじゃがいもの産地。新じゃがのポテトサラダ、美味いじゃないか……」



 言ったとたん、涙がこぼれた。



 慌てて手の甲で頬をぬぐう。

 サンドイッチを口の中に放り込む。


 アゴを動かす間にも、滴は次々にこぼれ落ちる。

 二度、三度と、ローブの袖で目元を拭き取る。


 しょっぱくなったサンドイッチをごくりと飲み込む。

 赤くなった潤んだ瞳で、乾いた空をまっすぐ見上げる。



「……こうして昼飯を食えるのも、あと十回か」



 一つ呟き、膝を抱える。



 すると不意に、どこからか白い鳥が二羽飛んできた。


 九郎は残りのパンを細かく千切り、石の床にばら撒いた。

 鳥たちは身を寄せ合って一心不乱につつき始める。



「そうだよな……。生きていたら、腹が減るよな……」



 自分を無視する鳥たちに、九郎はそっとささやきかけた。


 

 それから膝に顔を埋めて、一人静かに涙を流した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ