第八章 2
「――はいはい、どうも、おはようございまーす。ご機嫌はいかがですかー?」
狭い石の部屋に案内された九郎が、
椅子に座る女性に明るい声を投げかけた。
「……何かと思えば、あなたですか」
女はうんざりとした声を漏らした。
赤茶色の髪を首の後ろでまとめた中年女性は、
不機嫌な表情を浮かべたまま両手をテーブルの上にのせる。
すると、手首にはめられた頑丈な手錠が鈍い音を響かせた。
「機嫌がいいはずありません。この状況を見てそんなことも分からないのですか。だからあなたは頭の悪い小娘と言われるのです」
「おやおや。サザラン軍に拘束されたわりには、意外に元気そうじゃねーか」
九郎は軽い調子で言いながら、黒いローブをまとった女の向かいに腰を下ろす。
九郎を案内してきた兵士は外に出て、分厚い鉄のドアに鍵をかけた。
「さてと。とりあえず、司書さん。図書館が光と化して消え去ったあの状況で、よくもまあ生き残ることができたもんだな」
図書館の地下室で、メイレスに殴られて気絶した女は淡々と口を開く。
「当然です。私が地下室にいることをクエキ様はご存知だったのです。ですから、地上部分だけを消し去ったのです」
「ふーん、なるほどねぇ。それじゃあ司書さんは、あの王冠の魔王を信じ切っているわけだ」
「当たり前です。それと、私の名前はシショビッチです。いつまでも司書などと呼ばないでください」
「いや、それ、ほぼ同じじゃねーか……」
ツンと澄ました司書の女性を、
九郎はじっとりとした目つきで見ながら言葉を続ける。
「まあ、いいか。それじゃあ、シショビッチさん。あんたが軍に捕まっても意外と元気なのは、魔王が助けに来てくれると信じているからだな?」
「何を馬鹿なことを。クエキ様は昨夜、卑怯なサザランの騎士に倒されてしまいました。再び王冠の魔書を使用して復活されるまで、この世のどこにもいらっしゃいません」
「なるほど、そうきたか。あんたもなかなか健気だねぇ」
不愉快そうに横を向いたシショビッチを見て、九郎は小さく息を吐き出す。
「だけど、あんたは魔王が生きていることを知っている。だからそうやって隠そうとしているんだ。いやいや、まったく、まいったね。ずいぶんとまあ、見上げた忠誠心だ。十三魔教のメンバーってのは、みんなあんたみたいに一途なのか?」
「お黙りなさい」
シショビッチは九郎を鋭く見てピシャリと言った。
「何ですか。小娘の分際でその口の利き方は。見下げ果てた知能の低さも大概になさい。だいたい何の証拠があって、クエキ様が生きているなどと断言するのですか」
「ああ、悪い悪い。あいつはたしかに、もうこの世にはいない。昨日の晩、未練がましく幼女をさらいに来やがったから、オレがキッチリ止めを刺して完全に消滅させたからな」
「なっ!?」
シショビッチは驚き怒り、目を剥いた。
「何を馬鹿なことを言っているのですかっ! あなたみたいな小娘にクエキ様が倒されるはずがありませんっ! クエキ様はこの二十年間、幾人もの剣聖や法魔を葬ってきたのですっ! それをたかが街の小娘が止めを刺したなどと、愚弄するのもいい加減にしなさいっ!」
「まあまあ、ちょっと落ち着けよ」
九郎はなだめるように両手を向ける。
「あんたが信じたくない気持ちは分かるけどさ、今の話は事実だから諦めろ。証拠はオレだ。クヨを連れて帰ったオレのことを、魔王が生かしておくはずがないだろ?」
「そっ……それは……」
「それに、あの魔王はクヨを自分の妻にして、永遠に年を取らない魔法をかけると言っていた。さらに、クヨを渡せばオレを魔族に転生させてやるとも言っていた。そんな具体的なこと、あいつと直接話をしない限り、オレの口から出てくるはずがないだろ」
「…………」
九郎の言葉を聞いたとたん、シショビッチは黙り込んだ。
九郎は上目づかいでにらんでくる中年女性に、軽く肩をすくめてみせる。
そして、まっすぐ見つめ返して付け加える。
「そうだな。ここまで話しても信用できないと言うのなら、とっておきの秘密をバラそうか?」
「秘密……?」
「ああ、そうだ。クエキの不死身には、とっておきの秘密がある。オレはそいつを見破って、あいつを倒した。それを世界中にバラしたら――」
「おやめなさいっっっ!」
シショビッチは声を張り上げ、手錠をテーブルに叩きつけた。
「その薄汚い口を今すぐ閉じなさいっ! それ以上口にしたら、のどを噛み千切って殺しますっ!」
「まあまあ、落ち着いてくれよ、シショビッチさん」
九郎はテーブルに身を乗り出し、穏やかに微笑んだ。
「オレはあんたにケンカを売りに来たわけじゃない。あんたと取引をしに来たんだ」
「……はい? 取引?」
シショビッチは怪訝そうに顔をしかめる。
そして不審な眼差しを九郎に向けながら、両手を膝の上にゆっくり戻す。
「そうだ。取引だ。あんたは魔王が生きていて、自分を助けに来てくれると信じていた。だけど現実はそうはいかない。魔王は既にこの世にいないからな。だったら、自分がこれからどうなるのか、それぐらいは想像できるよな?」
その瞬間、シショビッチは鋭く息を呑みこんだ。
「……私は、死を恐れたりしません」
「あんたならたぶんそう言うと思ったよ。たしかにあんたは近いうちに処刑される。聞けばあんたは、十三魔教の中でもかなりの上級幹部だそうじゃないか。昨日の戦闘ではサザランの兵士にもかなりの死傷者が出たから、幹部であるあんたの処刑は絶対に避けられない。……だけどな、シショビッチさん。あんたが死んだら、クエキはどうなるんだ?」
「……はい?」
シショビッチは眉を寄せて、小首をかしげた。
「私の処刑とクエキ様に、どういう関係があると言うのですか」
「簡単なことだよ。あんたが死んだら、クエキの復活は遠くなるんじゃないか? どうやらあんたは、クエキの復活にずいぶんと骨を折ったそうじゃないか。だけど他の十三魔教の幹部たちは、あんたほど熱心にクエキを復活させようとするのかな?」
「そ……それは……」
シショビッチの顔が一瞬で強張った。
その表情の変化を見て、九郎は内心でほくそ笑みながらたたみかける。
「だってさ、魔王って十三人もいるんだろ? あんたはクエキがお気に入りらしいけど、他のヤツらは別の魔王を復活させるんじゃないのか? オレはよく知らないけどさ、今月は聖杯座なんだろ? 聖杯の魔王なんて、名前からして人気がありそうだと思うけど」
「……聖杯の魔書は、まだ発見されておりません」
「へぇ、そうなんだ」
不機嫌そうに言ったシショビッチに、九郎はにこりと微笑みかけてさらに言う。
「まあ、そちらの内情は知らないけどさ、人間が十人いれば、考え方は十通りだ。あんたがクエキを復活させたように、他の幹部は間違いなく別の魔王を復活させる」
「どうしてそんなことが言い切れるのですか」
「当たり前だろ? だって、もう一度クエキを復活させたら、クエキはあんたを取り立てる可能性が高い。しかし他の魔王を復活させれば、復活させたヤツだけが大幹部になれるからな。つまり、あんたがここで処刑されてしまえば、クエキの復活は確実に遠くなる。こんなことは、あんただって分かっているはずだ」
「……教団の方針は、教団全体で決めます。私一人で決めるわけではありません」
「それはまあ、そうだろうけどさ」
言いながら椅子に寄りかかり、九郎は石の天井に目を向ける。
「オレはクエキ以外の魔王を知らない。そしてクエキのヤツは、たしかに人間を殺すことに迷いのない恐ろしい魔王だったけど、話がまったく通じない相手じゃなかった。根本的な価値観はまったく違うが、あいつは人間の命を無駄に奪うようなヤツじゃないと思う。だからさ、どうせ復活させるなら、他の魔王よりあいつの方がマシだと思うんだよね」
「……だから、何ですか」
「だからさ、そこで取引だ」
九郎はテーブルに身を乗り出し、シショビッチをまっすぐ見る。
「オレは今から、あんたにある質問をする。あんたはそれに答える。そしたらオレは、あんたをここから釈放させる――。そういう取引だ」
「質問?」
シショビッチは膝の上で手を組んで、眉間にしわを寄せながら九郎を見据える。
「それがどのような質問かは分かりませんが、その前に、あなたみたいな小娘に私を釈放できる権利があるとは思えません」
「ああ、それなら大丈夫だ。ちゃんとハーキーのヤツから許可をもらってきたからな」
「ハーキー?」
「あ、そうか。皇帝だよ。えっと、ジャハルキル・サザランだ」
「嘘はおやめなさい」
シショビッチは呆れ顔で息を吐いた。
「昨日も、しきりに皇帝がどうのこうのと言っていましたが、あなたのような頭の悪そうな小娘が、皇帝から許可を取り付けることなどできるはずがありません」
「いやいや、ほんとほんと。――ほら」
九郎はローブの内側から書類を取り出し、テーブルに広げた。
それはシショビッチの釈放命令書だった。
署名欄にはたしかに皇帝のサインと印章が押されている。
シショビッチは思わず目を見張り、九郎を上目づかいでじろりと見た。
「あなた……いったい何者ですか?」
「ただの一般人だよ――って言っても信じてもらえないと思うけど、オレは本当にごく普通の一般人だ。だけど、この書類は間違いなく本物だ。偽造なんかしてないから安心してくれ」
「私はこれでも司書です。この命令書が本物だということぐらい、一目見れば分かります」
「ああ、そっか。あんたは書物の修復もするって言ってたから、鑑定能力もあるんだな。だったら都合がいい。これでオレの質問に答えてくれるよな?」
「……いいでしょう。ただし、答えられない質問には何があっても答えません」
シショビッチは釘を刺すような目つきでにらむ。
九郎は目元を和らげて一つうなずき、口を開く。
「ああ、それでいい。それじゃ、契約は成立だな。えっと、質問ってのは他でもない。クエキを復活させるのって、どれくらい時間がかかるんだ?」
「……はい?」
聞いたとたん、シショビッチはきょとんとまばたいた。
「いや、だからさ、クエキを復活させるのにどれくらいの日数がかかるかって話だよ。あと十一日以内に、何とか復活させられないかな?」
「十一日って……あなた、それは何の冗談ですか?」
「いやいや、ほんと、冗談じゃなくて、マジで時間がないんだよ」
九郎は慌てて両手を振る。
「実はその、オレの精神体にちょっと面倒な魔法契約をかけられてさ、そいつを何とか解除したいんだ。でも、一番近くの大賢者マータには連絡が取れないし、他の大賢者のところに行く時間もない。ついでに言えばアサイン法国も遠いし、派遣団もどこにいるのか分からない。だからさ、大賢者並みに魔法を極めた魔王に解除してもらいたいんだ」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
シショビッチは呆れ果てた顔で九郎を見つめた。
「自分でクエキ様を倒しておいて、すぐに復活させたいだなんて、あなた、頭が悪いにもほどがあるでしょう」
「うう……はい……おっしゃるとおりです……」
九郎はぐうの音も出ないほどがっくりと肩を落としてうつむいた。
「……でも、ほんとに困っているんだよ。オレの場合、アルバカンの国王が死んじまったから、普通のやり方じゃ解除できないんだ。それで大賢者にも頼れないとなると、あとはもう、魔王に頼むしかないんだよ。だからさ、クエキじゃなくてもいいから、誰か復活している魔王がいたら紹介してくんないかな?」
「それは無理です。今現在、復活なさっている魔王様は、クヨ様を除けばおそらくお一人だけで、あの御方は消息不明です。それにクエキ様を復活させるには、夜空に王冠座が輝く時期でないと不可能です。つまり、一月にならないと無理という話です」
「一月って……マジっすか……」
九郎は半分、白目を剥いた。
「あ、でもさ、それじゃあ十一月の魔王を復活させるってのは――」
「だから、聖杯の魔書は発見されていないと言ったでしょう」
「そうでした……」
九郎はほとんど白目を剥いた。
そしてそのまま呆然と背もたれに寄りかかり、脱力して動きを止める。
するとシショビッチがため息混じりに訊いてきた。
「まったく。どこまでも頭の悪い小娘ですね。そもそも、あなたの魔法契約とは何ですか? 何がそんなに問題だと言うのです」
「……なんかさ、オレの精神体に刻まれた契約書に、あと十一日以内に条件を達成しなければ、オレは死ぬって書いてあったんだよ……」
「それはつまり『何々を達成しなければあなたは死ぬ』と、あなたの精神体に刻まれていたのですね? だったら、その条件を達成すればいいだけの話ではないですか」
「それができたらこんなに苦労してねーよ……。オレはさ、自分が助かるために人を殺すつもりでここまで来たけど、いざとなったらやっぱ無理だったんだ……」
「何を意気地のないことを。クエキ様を倒しておいて、今さら何を言っているのですか」
シショビッチは頬を膨らませて九郎をにらむ。
「いや、あいつはオレを殺そうとしたから、しょうがなかったんだよ。オレだって本当は殺したくなかったから、クヨが自分で結婚相手を選べる年齢まで待ってくれって頼んだんだけど、あいつは聞き入れてくれなかったんだよ」
「当たり前です。クエキ様は、とびきり若い娘を好まれる御方です。あなたはそんなことも知らないのですか。まったく。無知とは本当に嘆かわしい罪です」
「……はいはい、さーせん。育ってきた環境が何億光年も違うから、魔王様の好き嫌いには死ぬほど疎くて、ほんとさーせん」
九郎は意気消沈し、石の床を見つめながら口を開く。
「だけどさ、シショビッチさん。何かいい方法ってないかな? たとえば、魔王特製の魔道具とかで、魔法契約を解除できるヤツとかあったりしないかな?」
「そういった魔道具はないこともないですが、今は使えません。魔王様がお造りになられた魔道具のほとんどは、魔王様の消滅と同時に効力を失います。金枝の魔王様の魔道具に、魔法契約解除の杖がありますが、あれも今は使えません」
「やっぱそうか……。そう都合のいいモンなんか、なかなかないよなぁ……」
「当たり前です。あなたが本当にクエキ様を倒したというのなら、その魔法契約は天罰です。潔く諦めて、さっさと死んでしまいなさい」
シショビッチは憎々しげに吐き捨てる。
その言葉に、九郎は重々しくうなずいた。
「まあ、あんたには恨まれても仕方ないか……。オレにとっては正当防衛だけど、あんたにとっては命よりも大事な魔王様の仇だからな」
「当たり前です。あなたさえ現れなければ、このような憂き目に遭うことはなかったはずです」
「それは、あんたたちが図書館の利用者を無理やり追い払ったせいだろ。……とは思うけど、まあ、今さら言っても仕方ないか」
言って、九郎はゆっくりと立ち上がり、鉄の扉をこぶしで叩く。
すると廊下に立っていた衛兵が、すぐにドアを押し開ける。
九郎は釈放命令書を衛兵に渡し、シショビッチを指さしながら淡々と言う。
「それじゃ、衛兵さん。あの人を釈放してあげて。それ、皇帝陛下の命令書だから」
「えっ?」
シショビッチは思わず目を丸くして顔を向けた。
「ちょっと、あなた。どうして私を釈放するのですか?」
「そりゃそうだろ。あんたは約束どおり、オレの質問に答えてくれたからな」
「質問って、私の答えは何の役にも立たなかったはずです」
「それとこれとは話が別だ。オレはさ、自分の望んだ結果にならなかったからと言って、約束を破るようなことは絶対にしない。だからあんたはこれで自由だ。ああ、でも、あんまり目立つようなことはしないでくれよ。釈放したオレが怒られちまうからな」
九郎は気の抜けた声で静かに答える。
それからシショビッチに別れを告げて、石の部屋をあとにした。
一人残されたシショビッチは呆気に取られて固まった。
そして、開け放たれた鉄のドアを、しばらく呆然と眺め続けた。