第七章 13
「――えっ? それは本当ですか? 何かの間違いではなく、本当に本当の話ですか?」
白銀に輝く城塞神殿の最上階に、美しい声が凛と響いた――。
アンラー・ブール大陸から大海を隔てた東の果てにある大陸――ヒーズロ。
その南東の肥沃な大地を治める
カヤコスジーマ統制国の神都アークヘルスにおいて、
秩序の女神オルタルが、不意の知らせに耳を疑った。
「……とてもにわかには信じられない話です。もう一度、報告を繰り返しなさい」
「は、はいっ!」
女神に白い指を向けられた年若い女官は、
白銀の床に片膝をついたまま声を張り上げる。
「ご報告申し上げます! つい先ほど、神殿魔法団の特務監視班より重大緊急報が届きました! 王冠の魔王の生存反応が完全に消失! 間違いなく、王冠の魔王が何者かにより討ち滅ぼされたとのことです!」
「何と……」
オルタルは呆然と声を漏らし、神座の椅子に背を預けた。
「……王冠の魔王クエキは、無限に復活する不滅の魔王。倒すことが出来た者は何名か存在するが、完全に討ち滅ぼした者は伝説の剣聖ただ一人……。その報告が真実であるならば、かの大英雄に匹敵する剛の者が、この時代に生まれ育っているということですか」
「はいっ! 自分には分かり兼ねまぁすっ!」
再び声を張り上げた女官に、美しき女神は優雅に片手を向けて一つうなずく。
「今のはあなたへの質問ではありません。分からなくて当然ですので、気にする必要はありません」
「はいっ! 恐れ入りまぁすっ!」
「それより、かの黄金の魔王を討ち取った者の素性は分かりますか?」
「はいっ! 現時点では分かりませぇんっ! 現在、確認中とのことでありまぁすっ!」
「そうですか。それでは、今の時点で分かっていることは何ですか?」
「はいっ! 王冠の魔王はおそらく、アンラー・ブールの中央北部、サザラン帝国領内で消滅したとのことでありまぁすっ!」
「なるほど。サザランですか――」
オルタルは椅子から立ち上がり、祭壇を降りて東側の壁に足を向けた。
壁際には、見上げるほど高い白銀の柱が整然と並んでいる。
オルタルは柱の間を通り抜け、青空の下の広い露台に歩を進める。
そして、昇ったばかりの朝日を眺め、憂いと希望を静かにこぼす。
「――我が国の保管庫から王冠の魔書が盗まれて、およそ二十年。秩序を守る女神の面子は丸潰れ。さらに、復活を果たした魔王への討伐隊はことごとく返り討ちされ、恥の上塗り。もはや手の施しようがなく、放置せざるを得ませんでしたが――どうやら、潮目が変わってきたようですね」
「――はいっっ! そのとおりでありまぁぁすっっ!」
唐突に、若い女官の声が背後から飛んできた。
秩序の女神は眉をピクリと跳ね上げた。
そしてポツリと小声で呟く。
「今の言葉は、あなたに言ったのではありません」
「――はいっっっ! もうしわけございませんでしたぁぁっっ!」
「ですから、いちいち、はいはい言わなくていいのです」
「――ふぁいっっっっ! もーっしゃっけあーりゃしぇしたぁーっっっ!」
「何ですか。その言い方は。若い娘ともあろう者がはしたない」
「――ふぁぁいっっっ! むぅわっことにぃっっっ! もーしゃっしぇーっ! しゃしゃしゃしぇっししゃぁーっっっ!」
もはや超音波のような女官の声。
オルタルは思わず頭を押さえ、深い吐息を静かに漏らす。
「……まあ、よいでしょう。とにかく、これは千載一遇の好機です」
美しき女神は気を取り直し、広間に戻って女官の頭を優しく撫でる。
それから祭壇の椅子に腰を下ろし、女官に問う。
「それで、現在の戦況はどうなっていますか?」
「はいっ! オルフリン正義国は、相変わらず我が国の西部に侵攻中でありまぁすっ! また、正義の女神アイラスが神都アルコホルンを出立し、最前線に再び出向いてくるとの情報が入っておりまぁすっ!」
「またですか……。まったく。総大将が最前線に何度も出向いて来るとは、我が方もずいぶんと甘く見られたものです。……ですが、それを討ち取れないのもまた事実。残念ながら、勢いはあちらにあるようですね」
「はいっ! そのとおりでありまぁすっ! それもこれも向こうの将軍がちょー有能で、我が方の将軍がものすごぉーく微妙だからでありまぁすっ!」
「あちらが有能で、こちらが微妙ですか……。あなたは本当に、歯に衣着せぬ物言いをしますね……」
「はいっ! 恐れ入りまぁすっ!」
「恐れ入ったのなら黙っていなさい」
秩序の女神は顔を伏せている女官の頭を軽くにらみ、さらに訊く。
「それより、竜獄ダンジョンからの連絡はまだありませんか?」
「はいっ! 封神武具の捜索隊を送り込んでから二十日が過ぎましたが、何の連絡も入っておりませぇんっ!」
「そうですか……。それではやはり、新たな対策を講じなければなりませんね――」
言って、女神は目に力を込めて顔を上げた。
そして再び、凛とした声を広間に発する。
「よろしいでしょう。それでは――カヤコスジーマ統制国を治める主神にして、秩序の女神であるオルタルの名で命じます。ただちに神殿魔法団を招集しなさい。最優先事項として、特別任務を担当している者以外、すべての人員を集合させるのです」
「はいっ! かしこまりましたっ!」
女官は即座に立ち上がり、顔を伏せたまま女神に伺う。
「それでオルタル様っ! 場所はどちらに致しましょうかっ!」
「それはもちろん決まっています。この城塞神殿の最奥部。神聖女神魔法の儀式殿です」
オルタルは落ち着いた声で女官に告げる。
そしてその美しい口元を、ほんのわずかに綻ばせた。