第七章 9
「――イエスっっ!」
地面に倒れたクエキの顔面が石畳にめり込み、
激しい破壊音が広場に響き渡った瞬間、九郎はこぶしを握りしめた。
クエキの後頭部には、灰色の肌の大男がしゃがんでいた。
巨人兵のガインだ。
唐突に宙を飛んできたガインが魔王を蹴り潰し、石畳を踏み砕いた。
さらに着地の衝撃で周囲の石畳にも無数に亀裂が走り、
砕けた石の粉が舞い散った。
「オヤカタっ! 気をつけろ! そいつは王冠の魔王だ!」
「……誰がオヤカタだ。まったく。本当に口の利き方を知らん小娘だ」
ガインは顔をしかめながらゆっくりと立ち上がる。
そして間合いを取ってクエキを見下ろし、
肩に担いでいた大剣を構えながら九郎に言う。
「おまえたちの会話は魔法で聞いていた。合図を出すのが遅い。いつまで待たせるつもりだ」
「相手の出方を見てたんだよ! それより剣があるんなら、さっさと魔王をぶった斬ってくれ! ラノベやアニメじゃこういうシーンがめっちゃイラつくんだ! 何で止めを刺す前に会話するのかわけが分からん! 速攻で首を切って手足を落として、燃やして灰にして土に埋めて、復活フラグを完全に排除してから話をしようよ!」
「――それはたしかにっ! クロちゃんの言うとおりだねっ!」
唐突にメイレスが二本のサーベルを抜き放った。
「こんな絶好のチャンスを見逃す手はないでしょーっ! ――アァールぅっっ! ダァーモラぁぁーっっ!」
広場に魔言が響いた瞬間、
サーベルを握る両手の周りに青い魔法陣が浮かび上がった。
直後――メイレスは気合いとともに虚空を高速で斬りまくる。
細身の剣身が銀に煌めき、一振りごとに鋭い風の弾丸を撃ち放つ。
倒れ伏したクエキまでおよそ二十歩。
風の牙は一瞬で十を超え、
さらに二百、三百と、次々にクエキの体に降り注ぐ。
剣閃弾雨は周囲の石畳ごと撃ち砕く。
魔王の体に牙を立てんと襲いかかる。
「おおっ! すげぇぞメイレス! こんな隠し玉を持っていたのか!」
「――まあ……ねぇ……」
風の弾丸、千発以上――。
メイレスはサーベルを鞘に納めたとたん、
ガクリと片膝を地につけた。
額に浮かんだ大粒の汗が、アゴから滝のように滴り落ち、
体中から白い蒸気が立ち昇る。
さらに赤茶けた長髪を揺らしながら地面に両手をつけて、
ふらふらになりながら何とか体を支えている。
息も絶え絶えに肩を上下させるメイレスに、九郎はおそるおそる声をかけた。
「お……おい、おまえ、大丈夫か?」
「うん……もちろん、大丈夫……。相手が魔王だから、久しぶりに全力を出しただけだから……。でも、今のはちょーっと、手応えが感じられなかったんだよねぇ……」
「いや、そういう不吉なフラグは立てんじゃねーよ」
言って、九郎はとっさに目を凝らす。
しかし、砕けた石畳の粉煙が充満し、クエキの体はまったく見えない。
「よし。結果は分からんが、魔王が動く気配はない。メイレス、おまえはいつでも逃げられるように準備をしておけ。オヤカタ、今のうちに周りのザコをやっちゃってくれ」
「言われずとも分かってる」
ガインは腰に提げていた金属製の筒を引き抜き、頭上高く放り投げた。
筒ははるか上空で爆発し、赤い閃光を周囲に放つ。
すると急に、大地が小刻みに揺れ始めた。
直後――完全武装の兵士たちが一斉に雪崩れ込んできた。
数千人規模の大兵団だ。
四方八方から怒涛のごとく押し寄せてきた武装兵は、
千人以上の黒ローブたちを片っ端から斬り伏せていく。
すると黒ローブたちも一斉に剣を抜いて応戦を開始した。
兵士たちの気合いに憶することなく、
逆に雄叫びを上げながら武装兵を斬り殺していく。
黒ローブたちは二人一組で連携を取って立ち回り、
さらにグループ単位で陣形を整えながらサザラン兵を押し返していく。
「お……おい、オヤカタ。こっちの兵士って、二百人じゃなかったっけ?」
「敵が多いから応援を呼んだ。そうでなければこちらが負ける」
「で、でも、これじゃまるで戦争じゃないか」
「今さら何を言っている」
ガインはしかめ面のまま小さく息を吐き出した。
そして大剣を構えながら、じりじりとクエキに近づいていく。
白い煙幕は少しずつ晴れていくが、魔王の体はまだ見えない。
「とにかく、小娘は少し離れていろ。敵の親玉を倒せば戦争は終わる」
「――うむ……まさしく、ゴホッゴホッ、そのと……ゴボッゴボッ、そのとおり……」
白い煙の中に、突然黄金のローブが立ち上がった。
「げっ! やっぱりまだ生きてやがったか!」
九郎はぎょっとして後ろに下がった。
同時にメイレスがサーベルを抜き、風の弾丸を二、三発撃ち放つ。
すると煙幕が切り裂かれ、よろよろと立つクエキの姿が現れた。
「……あー、今のは危なかった。私としたことが、本当に死んでしまうところだった……」
クエキは黄金剣を杖にして寄りかかり、血反吐を一つ吐き出した。
その端正な顔は傷だらけで赤く腫れ上がり、鼻血をポタポタと垂れ流している。
「な……何だよ。最強の魔王のくせに、めっちゃダメージ受けてるじゃねーか……」
「……よいか、クロウよ。攻撃を受けて怪我を負わぬ者などいない。それは魔王といえど同じことだ」
「そ……それはたしかに、そうっすね……」
ローブの裾で鼻血を拭う魔王を見ながら、九郎は何度もうなずいた。
「しかし……いきなりギガンの戦士が出てくるとは、さすがに予想外である。それにそちらの二刀剣士もなかなかの攻撃だった。この黄金剣ホル・クラウがなければ死んでいたかも知れん」
「そ……それじゃあ、今日のところは痛み分けってことで、このままお引き取りいただけると、こちらとしてもありがたいのですが……」
クヨを抱いたまま、九郎がおそるおそる提案する。
しかし、クエキは即座に首を横に振る。
「その申し出は却下である。よいか、クロウよ。これは既に戦争なのだ。決着を付けぬ限り幕が下りることはない」
言って、魔王は黄金剣を握りしめる。
そして左手に黄金の歯車魔法陣を浮かばせながら、
ガインを見据えて口を開く。
「では、いくぞ。ギガンの戦士よ。――ホル・クラウ・ゴーデントリム」
魔言とともに、黄金の歯車が淡い光を放ち始める。
「小娘、下がってろ。――バイコール」
ガインも即座に右手の大剣を構えて魔言を唱えた。
灰色の巨人の足下に灰色の魔法陣が浮かび上がり、
光の粒となってガインの肉体に吸収されていく。
直後――ガインは大剣を振り上げて飛び出した。
巨人の肉体が風を切る。
破壊の刃がうなりを上げて魔王の銀髪に振り下ろされた。
瞬間――黄金の魔法陣がカチリと回った。
とたんに大剣が跳ね上がる。
同時にガインの肉体が飛び下がる。
そこは〇・五秒前の位置だった。
瞬時に強制移動させられた巨人は黒い瞳を驚愕に見開いた。
瞬間――クエキが二歩踏み込んだ。
クルリクルリと回転しながら円の踏み込み。
黄金剣を煌めかせて舞い振るう。
一撃でガインの大剣を切り裂いた。
二撃目。
巨人の右腕を切り飛ばす。
さらに回転――三撃目を振り下ろした。
黄金の閃光が巨人の右足に襲いかかる。
瞬間――ガインは風の速さで横に跳んだ。
紙一重で剣をかわす。
着地。
腰のナイフを魔王に飛ばす。
さらに刹那よりも短い一瞬――。
全身に怒気。
闘気が筋肉を押し上げる。
直後。
肘から下の右腕が地面に落ちる寸前――。
巨人の巨体が音より速く魔王に跳びかかった。
宙を飛ぶナイフと同時に全力の左拳を振り下ろす。
その虚空の寸隙――再び黄金の歯車がカチリと回った。
魔王の鼻面まで迫っていたナイフと拳が〇・五秒前の位置に巻き戻る。
瞬間――クエキは鋭く地を跳んだ。
ナイフを弾き、返し刀。
巨人の腹に黄金剣を突き立てた。
さらに剣を引き抜き、分厚い胸板を斜めに切り上げる。
余勢を駆ってクルリと回る。
空を斬り、血を飛ばす。
黄金剣を鞘に収め、白い息を静かに吐き出す。
「ゴブ……」
灰色の巨人は、大量の血を吐き出して後ろに倒れた。
胸は裂かれ、腹には風穴。
ガインは白目を剥いて動きを止めた。
石畳には赤い血だまり。
切り裂かれた大剣を握る右腕は、はるか遠くに転がっている。
それは十秒にも満たない、激しい攻防だった。
「お……オヤカタぁーっっ!」
はっと我に返った九郎が、ガインの元に駆けつけた。
しかし何度呼んでも、灰色の巨体は動かない。
「――クロウよ、無駄である」
クエキが静かに口を開く。
「腕を切り飛ばし、胸を裂き、内臓を二つ貫いた。頑丈なギガンの戦士といえど、致命傷である。もはや救うすべはない。戦士を戦場で散らすのは、せめてもの手向けである」
「ふ……っざけんじゃねぇーっっ!」
魔王の言葉で、九郎の怒りに火が点いた。
「こンのクソ魔王がぁーっ! すかしたツラで余裕ぶっこいてんじゃねぇぞゴラぁーっ!」
兵士と黒ローブが殺し合う戦場に九郎の怒号が轟いた。
九郎は怒りに目を剥きながらクヨを下ろし、メイレスの方に背中を押す。
「メイレスっ! おまえはクヨを連れてここから逃げろっ! このキンピカ魔王はオレがぶっ倒すっ!」
「いや、いくらクロちゃんでも――」
「うるせぇーっっ!」
九郎は棍棒を組み立てながら一喝して、メイレスの声をかき消した。
「オレには必殺技があるんだよっ! しかもこいつには特に有効な必殺技だっ! だからさっさとクヨを連れてここから離れろっ!」
「ほう。クロウよ。それはなかなか興味深い発言だ」
クエキは赤く腫れた顔でニヤリと笑い、
白桃色の棍棒を眺めながら言葉を続ける。
「私に有効な必殺技であるか。それはさすがに聞き捨てならぬが、よもやお主、今の攻防だけで私の弱点を見破ったとでも言うのであるか?」
「ああ、バッチリ見破ったよ」
九郎は言ってにらんで、魔王を指さす。
「あんたの魔法は限定空間の時間操作だ。そんなもんはラノベやアニメで飽きるほど見てきたからな。攻略方法も分かってんだよ」
言いながら、ちらりと横に目を向ける。
白いパジャマ姿のクヨが、メイレスに抱きかかえられて九郎を見ている。
「いいか? 黄金の魔王さん。あんたの魔法陣は時計そのものだ。右に回転すると時間が進み、左に回転すると巻き戻る。図書館を消した時は、時間を高速で進めて風化させたんだ。そしてオヤカタとの戦いでは、時間をほんの少しだけ巻き戻し、強制的に隙を作って攻撃した。オヤカタの剣筋を見たあとに攻撃するんだから、そりゃあ負けるはずがないよな。まったく。なかなかズルイ魔法を使ってくれるじゃねーか」
「ほほう。クロウよ。感心したぞ」
クエキは軽く目を見張った。
「お主はなかなかいい目を持っているではないか。その若さで、その知識と分析力を持つ者はそうはいない。どうやらただの一般人ではないようだな」
「いいや。残念ながら、ごく普通の一般人だ。料理を温めるしょぼい魔法しか持っていないし、剣の腕もさっぱりだ。だけどなぁ、目の前で知り合いを殺されて、黙って引き下がれるほど生ぬるい血液は持ってねーんだよ」
「そうか。ならばよかろう。見果てぬ仇討ちから解き放ち、安らぎを与えるのも王者の務めである」
クエキは黄金剣を抜き放ち、九郎を見据えて斜めに構える。
「クロウよ。せめてもの手向けである。美しき黄金の光と果てて、散るがよい」
「ふん。御託はいいからとっととかかってこいや、黄金魔王。こっちは負けて元々だ。とっくに腹はくくってんだ」
九郎は腰の黒い金属ケースに手を伸ばし、
ワイヤーを結んだ飛苦無を素早く引き出す。
そして棍棒の先のフックに飛苦無を引っかけて、魔王をにらむ。
クエキは腰を落とし、左手に黄金の歯車を浮かばせる。
「――では、いくぞ」
「かかってこいやぁーっ!」
九郎は棍棒を前に倒し、ワイヤーをさらに引き出しながら斜めに構える。
瞬間――クエキが宙に跳び上がった。
広場に浮かぶ黄金球をはるかに超えて、流星のごとく襲いかかる。
左手の魔法陣は反時計回りに高速回転。
右手の黄金剣は光の軌跡を描きながら、
九郎の胸へと一直線に夜を切り裂き突き進む。
(――そうきたかっ!)
とっさに九郎は棍棒を床のひび割れに突き立てた。
さらにワイヤーを引き出しながら腰を落として横に跳んだ――寸前。
クエキがいきなり誰かに蹴られて吹っ飛んだ。