第七章 8
「――おやおや、大層なお出迎えだな」
広場を埋め尽くす人影を見て、九郎は驚くよりも先に呆れ返った声を漏らした。
それは、全員が黒いローブをまとった集団だった。
唐突に現れた黒ローブの群れは、大きな輪になって九郎たちの行く手を阻み、
誰一人として一言も漏らさない不気味な静寂を漂わせている。
「……だけどまあ、そりゃそうか。あっさりオレについてくるような子どもが、図書館の職員を操ったり、利用者を追い出したりするはずがないからな。だからまあ、薄々こんな展開になるんじゃないかなぁとは思っていたが、とりあえず、この状況を切り抜けることが目下の急務ってヤツだな」
「うんうん。それはたしかにそうだねぇ」
メイレスは相づちを打ちながら、素早く周囲に視線を飛ばす。
「ざっと見て……千五百ってところかなぁ。ライブラ・サーティーンの信者は、予想以上に集まっていたみたいだねぇ」
「まったく……。どこの星にも、カルト教団にはまるバカってのはけっこういるんだな」
九郎は渋い顔で宙をにらむ。
そしてクヨを抱いたまま、前に三歩進み出る。
すると黒い集団から一人の人物が歩み出てきて、口を開く。
「――よい星空だな、娘よ。この静かな祭りの夜に免じて、非礼も無礼も見逃そう。その子を置いて、疾く立ち去るがよい」
それは穏やかで柔らかな、若い男の声だった。
「はいはい、どうもこんばんは。挨拶ありの前置きなしで、率直なご意見をどうもありがとうございます。だが断る」
五、六メートル先で足を止めた若い男に、九郎も優しい声で言い放つ。
「ほう。娘よ。何ゆえ断る。こちらは礼儀を尽くしておろう」
「それは礼儀じゃなくて、慇懃無礼って言うんだよ。初っ端から『見逃そう』なんて言葉が出てくるのは、オレたちを殺す前提で考えている証拠じゃねーか。そんなデンジャラス・シンキングなカルトヤローに、こんな小さい子どもを『はいどうぞ』って渡せるわけがねーだろ。バカかあんたは。暗くてよく見えないけど、澄ました顔の下がブタのように歪んでいるぞ」
「ははは。これはこれは。またずいぶんと勇ましい娘もいたもんだ。ならばよかろう。しかとその目で確かめるがよい」
男は乾いた笑いを漏らし、右手を軽く夜空に掲げる。
すると、その手のひらに金色の魔法陣が浮かび上がった。
歯車形の独特な魔法陣だ。
魔法陣はカチリとわずかに回転する。
直後――周囲が真昼のように明るくなった。
「くっ……」
唐突な光に九郎は思わず目を閉じる。
それからゆっくりとまぶたを上げる。
石畳の広場には、金色に輝く無数の球体が浮いていた。
地上十メートルほどの高さに浮かぶ黄金の小さな星々。
それらが広場全体を煌々と照らし出している。
「さて、どうかな、娘よ。これで目が覚めたであろう」
「……ああ、そうだな。あんたがブタじゃないってことはよく分かったよ。よく見ると、チョウチンアンコウそっくりだ」
言って、九郎は目を凝らして男を見る。
相手は二十代と思しき若い男性だった。
身長はメイレスより頭一つ分高い。
派手な金色のローブを身にまとい、
優雅に微笑むその姿はかなり洗練されている。
そして男の頭を見たとたん、九郎は心の中で舌打ちをした。
耳を隠すほど伸びた髪は、見事な銀色に輝いていた。
(……くそ、やばいな。こいつは魔族との混血じゃなく、おそらく純血の魔族だ。しかもやたら豪華な金色の魔法陣に、この自信満々な態度。こいつはおそらく、十三魔教の大幹部ってところだな……)
眉間にしわを寄せて推し量る九郎に、男はニヤリと笑って口を開く。
「ははは。そうかそうか。私はチョウチンアンコウか。ふむふむ。それが何かは知らないが、侮蔑的な意味が込められていることは通じたぞ。いやいや、まったく。いつの時代も無知な人間というのは、これでなかなか興味深いものではある」
「へぇ、そうかい。だったらあんたが、どれほどの大人物なのか聞かせてもらおうか。オレは九郎だ」
「ほう。娘のくせに変わった名だな。いいだろう。その奇妙な名前に免じて応えてやろう。私はクエキだ。第一の位を司る『王冠の魔書』にて、現世に復活を果たした魔王である」
「ま……魔王だと……!?」
瞬間、九郎は愕然と目を見張った。
後ろに立つメイレスも息を飲み、腰のサーベルに手をかける。
九郎はクヨを抱き直し、銀髪の男をにらみ上げる。
「……それじゃああんたは、伝説の魔王の一人っていうんだな? しかも第一の位ってことは、十三人の魔王の中で一番強いってことか?」
「ふむ。クロウとやら。それはよく訊かれる質問だが、意味のない言葉遊びだ。たしかに私は魔王の中でも最大の領土を保有していた。しかし、他の魔王たちもそれほど劣る者どもではない。なぜならば、十三魔王は人知を超越した魔法使いであるからだ」
(くそ……。それは遠回しに、自分が最強って言ってるようなもんじゃねーか……)
九郎は無意識に奥歯を噛みしめ、クヨを抱く手に力を込める。
「それはつまり、魔王は全員、バカみたいに強いってことか」
「ふむ。馬鹿が強いという前提には同意し兼ねるが、人間にとってそれが分かりやすい表現というのであれば、そう言っても差し支えはない」
「あー、そうかよ。だけど口では何とでも言えるからな。悪いがちょっとタイムアウトだ。今の発言の裏を取らせてもらう。――おい、メイレス」
言って、九郎は返事も聞かずに振り返る。
「あの銀髪イケメン兄ちゃんが自分のことを魔王って言ってるけど、おまえはどう思う?」
「うーん、そうだねぇ……」
メイレスはクエキにしげしげと視線を注ぐ。
マントのように羽織ったローブの内側には、
ひと際光り輝く剣が見える。
腰に提げたその黄金剣は、荘厳な風格を感じさせる逸品だ。
さらに、魔法の光を浴びて佇む姿は完璧な自然体。
足は肩幅。
背すじを伸ばして胸を張り、寸分の揺るぎもない自信と威厳の塊そのもの。
「――いやぁ、ボクもけっこういろんな人を見てきたけど、これはちょっとヤバイかな。この広場を照らしている魔法は、魔法を極めた法魔か大賢者レベルだし、彼が身にまとう気配は剣聖に引けを取らないレベルに見える。残念ながら、どうやら本物っぽいね」
「おいおい、マジかよ……」
九郎は呆然と呟いた。
「法魔と剣聖レベルってことは、あいつは剣も魔法も最強クラスってことか……?」
その言葉に、メイレスも呆れ顔で一つうなずく。
すると不意にクエキが口元を緩ませながら、腰の黄金剣を抜き放つ。
さらにそのまま切っ先を大地に向けて、石畳にまっすぐ突き立てた。
「さて、クロウよ。裏とやらは取れたようだな。そちらの男は私の実力を感じ取った様子だが、それは少しばかり控えめな表現だ」
「……何だよ。法魔と剣聖レベルでも、まだ不服って言いたいのか?」
「当然である。なぜならば、この時代の法魔と剣聖は、どれも肩書ほどの実力を持ち合わせてはいないからだ」
「いないからだって……まさか戦ったことがあるのか?」
「然り。私の黄金剣『ホル・クラウ』の前に剣聖はあえなく倒れ、私の魔法一つで法魔は塵と化した。しかしクロウよ。たしかにお主の言うとおり、口では何とでも言える。ならばよかろう。今宵はまだまだ宵の口。秋の女神に敬意を払い、祭りの夜に相応しい余興を見せよう」
言って、クエキは右の手のひらを夜空に掲げ、そのまま体の前に優雅に下ろす。
すると再び歯車形の黄金魔法陣が浮かび上がった。
魔法陣は時計回りに増殖していき、クエキを囲む一つの円を描き出す。
さらに円状に配置された十二の歯車はお互いにカチリと噛み合い、
カチコチカチコチと、小気味よく回り始める。
(な……何だ、あの魔法陣は……? まるで精巧なカラクリ時計だ……)
異質な魔法陣を目の当たりにした九郎は、思わずつばを飲み込んだ。
すると不意に、大地に突き立つ黄金剣がまばゆい光を放ち始めた。
同時に広場全体が震え出し、
石畳のあちこちから何本もの細い光が夜空に向かってまっすぐに立ち昇る。
その光景に、千を超える黒ローブたちは感嘆の声を漏らし出す。
「な……何だこりゃ!? 地震か!?」
「慌てるな、クロウよ。地震などではない。後ろを見よ」
言って、クエキはニヤリと笑う。
九郎はクヨを抱いたまま、右足を後ろに引いて振り返る。
そのとたん、あんぐりと口を開けた。
「こ……これはっ!?」
背後には、巨大な光の柱があった。
工事用の足場で囲まれた石造りの図書館が、
黄金の光に覆い尽くされていた。
しかも木組みの足場や石の壁など、形あるものはすべて、
端から光の粒と化して崩壊していく。
図書館はみるみるうちに崩れ果て、数分も経たずに消え去った。
あとにはだだっ広い空き地だけが虚しく残り、
星空に昇っていく光の粒も、冷たい風に吹かれて散った。
「と……図書館が、消えただと……?」
仰天した九郎の背後で、黄金魔王が淡々と夜空に告げる。
「醜い工事をするよりは、ゼロから建て直した方がよいだろう。なに、礼には及ばん。今宵の祭りに捧げる、私からの供物である」
「……供物って、図書館はあんたのものじゃないだろ」
「私の供物は行いだ。醜きものを光に帰し、流転させる――」
言いながら、クエキは右手をゆっくり下げる。
すると黄金の魔法陣はとたんに消え去り、
広場から立ち昇る無数の光も霧散した。
「すべてのものは遷り変わり、抗うことは無意味である。ゆえに我ら十三魔王は、死と復活を選択した。――さて、クロウよ。理解出来ねば、せずともよい。ただその子を置いて立ち去るだけで、今宵は幕を引くとしよう」
クエキは言って、白いパジャマの幼女をまっすぐ見つめる。
クヨはすぐに目を逸らし、小さな体を九郎に寄せる。
「……くろ。こわい……」
「大丈夫だ。心配すんな」
九郎は優しくささやいて、震える子どもを抱きしめた。
そしてクエキに問いただす。
「なあ、黄金の魔王さん。あんたはどうして、こんな子どもをほしがるんだ?」
「知れたこと。その子どもは十三魔王の同胞である。かつては殺し合った仲ではあるが、同じ魔族の血を継ぐ者。覚醒するまで保護下に置くも、やぶさかではない」
「でも覚醒していないのなら、ただの人間の子どもだろ? だったら、わざわざあんたの手を煩わせるまでもなく、クヨはオレたち人間が面倒を見る。だからあんたは遠慮なく、好きなように世界征服でも何でもやってくれ」
「ふむ。なるほど」
クエキは感心した目つきで九郎を見つめる。
「それは筋が通った言い分だ。ただしクロウよ。一つ言い忘れていたが、その子どもは私の妻となる身である。ゆえに魔族と人間の関係なく、私が保護するべき存在なのだ。これで納得出来たであろう」
「はあ? も一度言うけど、はあ? いやいやいやいや、むりむりむりむり。あんた、マジで何言ってんの?」
九郎は顔を強張らせながら二、三歩下がる。
「あんたはどう見たって三十手前のいい年だよな? それがこんな幼女と結婚って、え~? マジで? うーわ、マジ引くわぁ。え? なにそれ? え? ほんとちょっと、マジでやめてくださいよ。ガチのロリコンって、ほんとシャレになんねーから」
「ふむ?」
言われたとたん、魔王はきょとんとまばたいた。
「どうした、クロウよ。お主が何を言っているのかよく分からぬが、拒絶していることは伝わってきた。しかし、何ゆえ拒絶するのか理由が分からぬ。その子どもが私の妻だと、何か不都合でもあるのか?」
「えっ? うそ? マジで? そんな真顔で質問しちゃう? うーわ、さすがファンタジーの世界だぜ。この魔王さん、本気で幼女と結婚するつもりだよ」
「何だ? その、はんたずぃとは?」
「いやいや、はんたずぃ、じゃなくて、ファンタジーな。ファンタジーってのは、ごく普通の一般人が、あんたみたいな最強魔王をぶっ倒す、夢物語のことさ」
「ほう。それはまた、殊勝な物言いだな」
顔に焦りの色をにじませる九郎に、クエキはニヤリと笑ってみせる。
「クロウよ。私を倒すことが夢物語と理解しているのなら、その子どもを置いて立ち去るがよい。私はたしかに魔王だが、物分かりのよい子ウサギを仕留める趣味はないからな」
「あー、そうかよ。だけど残念、お断りだ。あんたがけっこう話の通じる魔王ってことは分かったが、こんな子どもをあんたの妻に差し出すなんてオレのモラルが許さない。どうしても結婚したいっていうんなら、せめてクヨが十六歳になるまで待つんだな」
九郎の言葉に、クエキは即座に首を振る。
「是非もない。結果が同じなら、早いに越したことはなかろう」
「あーそーかよ。やっぱりあんたは魔王だな。自分の意思が最優先で、他人の意見には聞く耳持たずってことか。だけどな、魔王さん。結婚ってのは相手の同意が必要なんだ。こんな子どもに結婚の判断なんかできるはずがねーんだよ。それを一方的に強制するのは、ただの拉致・監禁じゃねーか。自分が誰よりも強いからって、何でも思いどおりにしようとするのはゲスヤローのやることだ」
「私はそれでかまわぬぞ」
罵倒に対し、クエキは澄ました顔で淡々と言い切った。
「クロウよ。私は何千年も生きてきた。魔書に魂を込めてからは、何万年という年月を渡り歩いてきた。その間に、どれだけの魔族と人間に出会ったかは数え切れぬ。そして、魔族も人間も、その頭の数だけ価値観が異なることを学んできた。ゆえに、私が私の価値観で行動するのは何も間違ってはいない。なぜならば、多くの人間から残虐無比の魔王とそしられる一方、多くの魔族は私を救いの王と讃えてかしずくからだ。――よいか、クロウよ。お主は相手の意思を尊重しろと言っている様子だが、すべての相手が尊重出来るような意思を持っていると、本気で思っているのか?」
「うっ……そ……それは……」
言われたとたん、九郎は思わず口を閉じた。
(悔しいが、たしかにそうだ……。それはたしかにオレも思えない。現代の地球にも腐った人間はかなりいる。たとえば、社会的な立場にある偉いヤツが、後輩をボコボコにぶん殴った上に謝罪まで強要するという、ちょっと何を言っているのか分からないエクストリームな可愛がりをガチでやっちゃうヤツらも確実に存在する。しかもそういうヤツらが所属する組織は、犯罪行為を速攻で隠蔽して握り潰し、証拠をさっさと燃やして何もなかったことにしてしまうほどだ。そんな反社会的なヤツらの意思を尊重したら、高貴な正義なんて、この世から消えてなくなってしまう……)
黙り込んだ九郎を見て、クエキはニヤリと笑って小さくうなずく。
「クロウよ。どうやら理解したようだな。私はたしかに暴虐な魔王だが、それでもこの身は一つ限り。街の娘をすべて寄こせなどとは言ってはおらぬ。その子ども一人を妻に迎え、身の安全を保障しようと言っているのだ。この戦乱の世の中で、私の申し出が本当に下衆な行為かどうか。クロウよ。ここまで話せば既に理解出来ておろう」
「……ああ、そうだな。たしかにあんたの言うとおりだ、魔王クエキ」
九郎は目に力を込めて、黄金ローブの男をまっすぐ見据える。
「いやいや、まったく、まいったぜ。さすがは伝説の魔王。たった一つのセリフで、こうまで言いくるめられるとは思いもしなかったよ。やっぱ長生きしてるヤツに、口では勝てねーな」
「ほう。それを理解出来ぬ愚か者はこの世に多いが――しかしクロウよ。どうやらお主は、まだ何か言いたそうな目をしているな」
「悪いけど、そのとおりだ。オレも愚か者の一人なんでね。ここはあえて自分の直感に従って言わせてもらう」
九郎は魔王をさらににらむ。
「たしかにあんたが今言ったことは筋が通っている。だけどな、クエキ。王の冠をいただく黄金の魔王さん。人間ってのは、理屈抜きで子どもを守る生き物なんだ。たとえ自分が殺されようと、子どもだけは命がけで守るんだ。結果的に奪われたとしても、それまでは絶対に諦めない。奪われても諦めない。死んでも気合いで復活して、全力を振り絞って奪い返す。だから、あんたにどれだけご立派なお題目があろうとも、オレはこの子を絶対に渡さない。オレとあんたの主張は永遠に平行線だ。それが理解できたら今夜のところは諦めて、おとなしく帰ってくれ」
「クロウよ。よくぞ申した。ならば致し方あるまい」
クエキは石畳に突き立つ黄金剣を引き抜き、クルリと回して鞘に納める。
「剣は納めたが、お主の意に沿うことは出来ぬ。異なる価値観の出会いは平行線ではなく、ただの衝突である。結果は自然、強き方に流れて終わる。ゆえに覚悟はよいな? 勇ましき、桃色の髪の若き娘よ」
「ああ、心配には及ばねーよ。魔王に歯向かう覚悟なんか、とっくの昔にできてるからなっ! ――アタターカっ!」
九郎は片手を上げて魔言を唱えた。
同時に黄色い魔法陣が浮かび上がり、手のひらの上で光を放つ。
そのとたん、クエキがわずかに目を見開いた。
「ほう、クロウよ。それはまた、ずいぶんと珍しい魔法ではないか。そんなものをいったい誰に教わった?」
「性悪な守銭奴ウェイトレスだよ! それより、そんなにのんきに構えていると大ケガするぜ!」
「何を馬鹿なことを言う。たった一つの魔法陣で――」
瞬間――クエキが巨大な物体に圧し潰された。