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第七章 5



「――本日の営業は終了致しました。またのお越しはご遠慮ください」


 地味な黒い服の中年女性が、九郎たちの前に立ち塞がって淡々と告げた――。



 正面入り口の両開きドアをくぐった九郎と騎士とメガネの職員は、

 受付カウンターにまっすぐ向かった。


(へぇ、外から見るより広いんだな……)


 九郎がそう思うほど、石造りの図書館は広々としていた。


 入ってすぐの広いスペースは二階まで吹き抜けの読書エリアになっていて、

 奥の一階と二階には無数の本棚が並んでいる。


 入口側の壁には明り取りの大きな窓がいくつもはめ込まれ、

 太陽の光が柔らかく降り注ぐ。

 逆に本棚の方は薄暗く、奥の方は目を凝らしても見通せない。


 九郎は閑散とした図書館を眺めながらゆっくり歩く。

 

 すると不意に中年女性が近づいてきて行く手を阻んだ。

 そして冷たい目で九郎を見据えながら、出口の方に手を向ける。



「――そういうわけでございますので、どうぞ今すぐお引き取りください。あなたのような桃色頭のご利用者様は、場末の酒場で男漁りでもしている方がよほどお似合いです」


(ぬぅ、初っ端からそうきたか……。しかも『またのお越しはご遠慮ください』なんて初めて聞いたぜ。こいつはたしかに、もンのすごぉーく感じが悪いな……)


 ファーストコンタクトで九郎の眉がぴくぴくとけいれんした。


 すると後ろに立つメガネの男性職員が小声でささやいてきた。


(……どうですか、桃色さん。そちらの女性が、ここの司書官です)


(……ああ、こいつはマジでムカつくな。もう顔つきからして嫌味そのものだ。しかも丁寧語なのがよけいにイラつく)


(……やはりそうですよね。ですが、まだまだ序の口なので気をつけてください。埋める時はお手伝いしますから)


(……いや、埋めないから。あんたもけっこう物騒だな、おい)


 言って、九郎は一つ咳払い。

 それから司書の女性をまっすぐ見つめる。


「あー、えっと、まだお昼過ぎだってのに営業終了って、そりゃどう考えてもおかしいだろ。そんなに働きたくないのなら、そっちこそ家に帰ればいいじゃないか」


「私どもは司書でございます。傷んだ書物の修繕という仕事がございます。閉館しているからといって仕事がないわけではありません。そんなことも言われないと分からないから、ご利用者様は頭がお悪いのです。そのようなご利用者様がいらっしゃいますと、貴重な書物に低能が伝染してしまいますので、どうぞ今すぐお引き取りください」


「はあ? 何言ってんだ、あんた。本にバカがうつるわけねーだろ」


「そんなことは言われなくても存じ上げております。今のは遠回しにディスリスペクト申し上げたに過ぎません。そもそも、書物に病気が伝染するはずがございません。そんなことも言われないと分からないから、ご利用者様は頭の中身も桃色だと言われるのです。知識の結晶たる図書館に、無知蒙昧むちもうまいなアトモスフィアーを拡散されると他のご利用者様のご迷惑になりますので、どうぞ今すぐお引き取りください」


「他の利用者って、オレたち以外誰もいねーじゃねーか」


 九郎は腕を大きく払い、図書館の中を指し示す。


 テーブルと椅子が並んだ読書エリアにも、奥の書棚エリアにも、

 人影はまったく見当たらない。


 しかし司書の中年女性は、感情のない目で淡々と言葉を続ける。


「当然でございます。なぜなら他のご利用者様は、一般的な良識をお持ちだからです。ごくごく普通の常識をお持ちのご利用者様は、私どもが閉館の旨をお伝えすると、桃色頭のご利用者様のような難癖なんくせをつけることなく、すぐにお引き取りいただけます。十人のご利用者様がいらっしゃいましたら、十人全員が素直にお帰りになられます。つまり、常識が通じない桃色頭のご利用者様は、人間の範疇はんちゅうに含まれないということになります。たしかに、ここまでご説明申し上げてもご理解いただけないということでしたら、それはもはやミドリムシです。


 あらあら、大変失礼致しました。

 桃色頭のミドリムシなんて、おっほっほ、おーっほっほっほっほっほっ。


 初めて拝見致しました。これはこれは、大変貴重な存在とお見受けしますが、二秒も見ればお腹いっぱいでございます。そういうわけでございますので、どうぞ今すぐお引き取りください」


(こ……こンのクソババア……。こいつは、あのブタ嫁の次くらいにイラつかせてくれるじゃねーか……)


 九郎はこぶしを固く握りしめ、全力で顔面を強張らせた。


 するとその時、背後で何かがちらりと動いた。


 首だけで後ろを見ると、

 メガネの職員が右手の親指を下に向けて十字を切り続けている。



(……やっちゃえ、桃色さん)

(……いや、あんたほんと、マジで怖いぞ)



 九郎はアイコンタクトで会話を済ませ、再び一つ咳払い。

 そして司書の女性に面と向かって言い放つ。


「あー、そうだな。いきなりケンカ腰の対応をされたからこっちも頭に血が上ったが、オレたちは別に長居をするつもりはない。今日は図書館の職員に、皇帝陛下の勅命を伝えに来たんだ」


「勅命……?」


 その言葉に、女性司書の顔が急に曇った。


「ああ、別にそんな大ごとじゃないから安心してくれ。職員をクビにするとか、入れ替えるとか、そういう話じゃないからな」


「では、どういうお話なのですか?」


「だから大した話じゃないって。オレは皇帝陛下から直々に、この図書館の掃除を頼まれただけだ。とりあえず今日は下準備をして、明日の朝から本を一冊ずつ外に運んでほこりを落とす。それだけだ。あんただって、本がきれいになった方が嬉しいだろ?」


「そんな必要はございません」


 司書は九郎を見据えてぴしゃりと言った。


「館内の清掃は職員が毎日行っております。そもそも、本を一冊ずつ外に出してほこりを落とすだなんて、そんなことをしていたらどれだけ時間があっても足りません。そんなことも言われないと分からないから――」



「オレはバカだって言いたいんだろ?」



 九郎は片手を突き出して司書の言葉を遮り、さらに言う。



「そのセリフはもう聞き飽きたよ。だがな、これは間違いなく皇帝陛下の命令だ。司書の一人や二人が抗議したところでくつがえることはあり得ない。たしかにほこりを落とすにはかなりの時間がかかるだろうが、来年のハロウィンまでには終わるはずだ。それに、その間の給料もちゃんと出るから、あんたたちの生活は保障される。ま、そういうわけで、ここにいる職員と司書は全員、今すぐ荷物をまとめて出ていってくれ」


「何を馬鹿なことをおっしゃっているんですか」


 司書は顔に焦りの色をにじませながら九郎をにらむ。


「そのような話は初耳です。そもそも、それほど重要な連絡事項は、行政府の担当官が伝えに来る決まりになっています。それを、見ず知らずの頭の悪そうなご利用者様から言われても、到底信用することなどできるはずがありません」


「まあ、あんたが信じたくないのは勝手だけどな、これは揺るぎない事実だ。その証拠にほら、図書館に本を提供している魔法ギルドの代表と、第四皇女殿下の筆頭騎士を証人として連れてきた」


 言って、九郎は親指を背後に向ける。


 それを合図に、金髪の騎士は腰の剣をゆっくりと抜き、

 胸の前で剣先を天に向けた。


 メガネの職員はローブから右手を出して心臓に押し当て、一つうなずく。


 その堂々とした二人の仕草に、司書は眉を寄せて奥歯を噛みしめる。


「ほーら、これで分かっただろ? オレにはサザランの皇族と、魔法ギルドがついている。逆にそちらはただの公務員だ。立場の違いが理解できたら、ハロウィンの祭りでも見物しながら家に帰ってくれ。――っと、そういえば、メガネさん。ここの職員は、全部で七人だったかな?」


 不意に九郎が振り返らずに質問した。

 するとメガネの職員は即座に答える。


「いえ、九人です」


「ふーん。でもさ、十人以上いるように見えるんだけど、何でかな?」


 言いながら、九郎は受付カウンターを指でさす。


 そこにはいつの間にか職員たちが一列に並び、

 無言で九郎たちを見つめていた。

 端から数えてみると、全部で十六人が立っている。



「――お断り致します」



 司書が不意に、鋭い声で言い放った。


「やはりそのような重大な案件は、きちんと確認を取る必要があります。見ず知らずの相手の言葉を、そのまま鵜呑みにするわけにはいきません」


「ああ、別にかまわないよ」


 九郎は手のひらを上に向けて、にやりと笑う。


「好きなだけ確認すればいい。ただし、今はハロウィンの期間中だから、行政府の人間は休みを取っている。きちんと確認が取れるのは、早くても来週だろうな」


「そうですか」


 司書の女性も鼻で笑って九郎を見る。


「それでは、確認が取れるまでここを明け渡すわけにはまいりません。やはりお引き取りいただくのは、そちらのようですね」


「へぇ、ずいぶんと強気じゃねーか。だがな、こちらには皇帝陛下の勅命がある。あんたたちを力尽くで締め出すことだってできるんだぜ」


「関係ありません。私たちはただ、通常業務にいそしんでいるだけです。追い出されるいわれはどこにもありません」


「何が通常業務だ。利用者を片っ端から追い出すことのどこが仕事なんだよ」


「ここは図書館です。司書の仕事は、貴重な書物をきちんと管理することです。無知蒙昧むちもうまいな一般人の相手をしている暇なんかありません」


「そいつは逆だ、愚蒙愚昧ぐもうぐまいの差別主義者が。図書館ってのは知識を向上させる学びの場所だ。一般人が使えなかったら存在価値がねーんだよ。まったく。話にならねーな。とにかく、あんたたちには今すぐ出ていってもらう。これ以上は問答無用だ」


「話にならないのは、そちらの主張です。そもそも、たったの三人で私たち全員を追い出すなんて――えぇっ!?」



 唐突に無数の音が響き渡り、女性司書は目を丸くした。



 閑静な図書館に、いくつもの音が四方八方から押し寄せてきた。


 そのあまりの騒がしさに、

 職員全員が度肝を抜かれながら視線を周囲に飛ばし始める。


 それは巨大なモノが石畳に落ちる音、硬いモノが石の壁にぶつかる音、

 釘を打ち付ける甲高い金属音、そして、無数の人の声だった。



 さらに次の瞬間、ひと際巨大な破壊音が空気を揺らした。



 女性司書は慌てふためきながら周囲を見渡す。

 すると巨大な音は右からも左からも、上からも飛んでくる。


 九郎は意地悪そうに口元を歪めながら、顔色を失った司書に話しかける。



「なぁ、司書さん。たしかにあんたの言うとおり、たったの三人であんたたち全員を追い出すことはできない。そんなことは頭の悪いオレにだって分かる簡単な計算だ。だから、皇帝陛下直属の巨人兵と、二百名の屈強な兵士を呼んでおいた」



「なっ!? なんですってっ!?」



「おやおやぁ? さっきまでの澄まし顔はどうしたよ。そんなに驚くってことは、何か隠し事でもあるのかなぁ?」


 目を剥いて取り乱した司書に、九郎はさらに底意地悪く微笑みかける。


「ま、嘘だと思うなら、表に出てみろよ。駐屯所から駆けつけた兵士たちが何をしているのか、見れば一発で分かる――」



 言ってる途中で、いきなり天井が砕け散った。



 耳をつんざく轟音とともに、陽の光が二階の本棚に射し込んだ。



 しかし――砕けた石の破片は一つも落ちてこない。

 


 大小さまざまな天井の欠片はすべてふわふわと宙に浮いたまま、

 すぐに外へと飛んでいく。

 館内にはわずかに石の粉が降るだけで、落下物は何もない。


 女性司書はあんぐりと口を開けたまま、

 大きな穴からのぞく青い空を見上げて固まっている。


「おーおー、魔法を使った土木技術は一味違うねぇ」


「こ……これはいったい……?」


 司書は首をカクカクと動かして九郎を見た。


「ん~? ご覧のとおり、屋根の解体作業だ。これから図書館の屋根をすべて砕くのさ。さっきまでの大きな音は、図書館の周りに工事用の足場を組んでいた作業音だ」


「や……屋根? どうして屋根を……?」


「そりゃあ当然、風通しをよくするためだ。屋根がなくなれば、ほこりを飛ばすのも楽だろ?」


「あっ、あなたたちっ! こんなことをして許されると思っているのですかっ!」


 女性司書が急に目尻を吊り上げて九郎に怒鳴った。


 しかし九郎は手のひらを上に向け、真面目な顔でにらみ返す。


「だったら逆に尋ねるが、誰が許さないって言うんだ?」


「それはもちろんク――」


「ク?」


 ぎくりとして口をつぐんだ司書をにらんだまま、九郎はさらに追及する。


「ク――って誰だよ。サザランの皇帝はジャハルキルだから違うよな。つまりそいつが、図書館に人を寄せつけないように命令していた黒幕ってことだな?」


 訊いたとたん、司書は瞳の中に怒りの炎を燃え上がらせた。

 しかし、奥歯を噛みしめたまま何も答えない。


 九郎は首を横に振り、小さく息を吐き出した。


「ま、言いたくないんなら、言わなくてもいいさ。あんたたちがここで何をしていたかは知らないが、オレの仕事はここまでだ。明日には専門の調査官が、帝都から派遣されてくるからな。あとはそいつらに引き継ぐだけだ。――オヤカターっ!」



 唐突に、九郎が声を張り上げた。



 すると入口のドアが勢いよく開き、兵士の一団が入ってきた。

 


 先頭に立つのは、身長が二メートルを超える灰色の肌のガインだ。

 その後ろには武装した兵士たち三十名ほどが続いている。


 ガインは九郎に近づきながら、丸太のような右腕を前に突き出す。


 すると兵士たちは雪崩を打って館内に散っていく。

 そしてすぐにすべての職員を拘束して、外に連れ出していく。



「――誰がオヤカタだ」



 足を止めたガインが、じろりと九郎を見下ろした。


「別にいいだろ。あんたは隊長って言うより、やっぱりオヤカタって感じがするからな」


「相変わらず口の利き方を知らん小娘だ」


 ガインは不機嫌そうに顔をしかめ、女性司書に目を向ける。


「それで、その女が黒幕か?」


「いや、おそらく違うと思う」


 九郎は即座に首を振る。


「たぶん職員の中に悪いヤツはいないはずだ。だからそこのオバサンも含めて、職員は全員解放しても大丈夫だ。とりあえず図書館は立ち入り禁止にして、あとは帝都から来る専門の調査官に任せよう」


「何だ。それだけでいいのか?」


「ああ、それだけでいい。もしも建物に何かの魔法がかけられていたとしても、屋根を壊したから効果は消えたはずだ。魔法ギルドのメガネさんにも確認したけど、特定の場所にかける魔法ってのは、大抵そういうもんだからな。あとは工事の足場を完成させて、屋根をすべて破壊して、入口を完全に封鎖する。今日のところはそれでいいだろ。夕方までには終わるかな?」


「うむ。それぐらいなら三時間だな」


「三時間か。今は一時半ぐらいだから、五時前には終わるってことか。それじゃ、作業が終わったら、酒場でメシでも食おうぜ。今夜は皇帝陛下のおごりだからな」


「断る。今夜は先約がある」


 ガインはぶっきらぼうに言い捨てて、近くの兵士たちに目で合図を出す。

 すぐに二名の兵士が駆けつけて、女性司書を連れ出していく。


 九郎はその背中を無言で見送り、ガインを見上げて口を開く。


「それじゃ、オヤカタ。オレたちもさっさと撤収しようか」


「ふん。誰がオヤカタだ」


 灰色の巨人は不機嫌そうに鼻から息を吹き出し、一人でさっさと歩き出す。



 九郎もすぐに若い騎士とメガネの職員に声をかけて、

 一緒に図書館をあとにした。




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