第七章 3
「――あっ! いたいた! おーいっ! オヤカターっ!」
ベリン教の教会前に佇むギガン族の男に、九郎は足早に駆け寄った――。
酒場を出た九郎は、その足で北東地区の駐屯所を訪れた。
しかし、目当ての人物は外出中だった。
受付の衛兵の話では、新築のベリン教会を見に行ったという。
それですぐに教会まで足を運んでみると、
石畳の広場は大勢の人であふれ返っていた。
教会の前には無数の屋台が立ち並び、
かぼちゃカラーの衣装を着た人々が慈善目的のバザーを開いている。
九郎は人混みをかき分け、教会の前まで何とか進む。
すると、多くの子どもたちが教会の入口に列をなし、
お菓子をもらって無邪気に喜んでいた。
その姿を、無数の大人たちが遠巻きに眺め、幸せそうに微笑んでいる。
そして、人々の輪からかなり離れた場所にぽつんと一人、
灰色の肌の人物が突っ立っていた。
広場にいる誰よりも頭一つ以上飛び抜けて背の高いその大男に、
九郎はすぐに駆け寄って声をかけた。
「おはようさん。こんなところで何やってんだ?」
「あ?」
ギガン族の男は、突然隣に現れた九郎をじろりと見下ろした。
「何だ、昨日の小娘か。相変わらず口の利き方がなってないな。俺はガインだ。一般人にオヤカタなんて呼ばれる筋合いはない」
「そうか、ガインさんか。オレは九郎だ。とっくに知ってるとは思うけど、よろしくな。それで、ここで何してんだ? 意外に子ども好きなのか?」
「馬鹿を言うな。子どもは好かん。教会を見ていただけだ。欠陥なんぞあるはずないが、それでもやはり気になるからな」
「ああ、なるほど。昨日完成したばかりだもんな」
ガインにつられて、九郎も教会に顔を向ける。
見上げるほど高い教会のてっぺんには、銀色の大鐘が吊り下げられている。
新品の鐘は、東の青空に浮かぶ陽の光を浴びて、鈍い輝きを周囲に放つ。
鐘を覆う屋根の上には、白い鳥たちが羽を休め、身を寄せ合っている。
「ほんと、立派な教会だな」
言って、九郎は桃色の髪を後ろに払い、耳を出しながら言葉を続ける。
「それより、ガインさん。あんたは皇帝を護衛する巨人兵なんだろ? それが何で教会の建設工事なんかして、ハーキーからオヤカタなんて呼ばれてたんだよ」
「おまえには関係ない」
「ま、そりゃそうだわな」
つっけんどんなガインの言葉に、九郎は軽く肩をすくめてさらに言う。
「それじゃ、世間話はおいといて、早速本題に入らせてもらおうか。実は、ハーキーから図書館の大掃除を頼まれてさ、あんたにも手伝ってもらいたいんだよ」
「断る。俺がおまえを手伝う理由は一つもない」
「たしかにそうだな――と言いたいところだが、残念ながらそうはいかないと思うんだ」
九郎は息を吐き出し、バザーに集まった大勢の人たちに目を向ける。
「ガインさん。あんたが守っている皇帝陛下は、冷酷な決断を下すことができるヤツだ。しかし、必要のない血は流さない人間だと思う。そんなヤツが、あと十二日で死んでしまうこのオレに、わざわざ図書館の掃除を頼んできたんだ。つまり、それだけのっぴきならない状況にあると、ハーキーは考えている。だからオレは、図書館で発生している問題の特定と、その解消を同時にやってしまおうと思っている。そしてその作戦を実行するには、街中の人間が仕事を休む、このハロウィンの期間がベストなんだ。だからさ、ハーキーを助けると思って、ちょっと手伝ってくんないかな?」
「…………」
ガインは桃色の髪をじろりと見下ろす。
そして再び教会に目を向けて、そのまましばらく黙り込んだ。
九郎も無言で鐘を見上げる。
青い空に賑やかな声が響いている。
暖かな日差しに、冷たい風が吹き抜ける。
教会の屋根で休んでいた鳥たちが、一斉に飛び立った。
ガインは飛び去る鳥たちを眺めながら、ゆっくりと口を開く。
「……その作戦とやらを話してみろ。内容次第で、手伝ってやらんこともない」
「サンキュー。あんたなら、そう言ってくれると思ったよ」
いかつい巨人族の横顔に、九郎はにっこり微笑んだ。
「ま、作戦って言っても、そんなに大したもんじゃない。ハーキーの注文どおりに大掃除をするだけだからな」
「いいから早く話せ」
「はいはい。それじゃあ早速、ミーティングといきますか。まず、作戦の第一段階は――」
九郎は三段階の作戦を順に説明した。
ガインは腕を組んだまま話に耳を傾け、時折小さく首を縦に振る。
そして話が終わると、呆れたように顔をしかめて口を開く。
「……そいつは、ずいぶんと乱暴で大雑把な作戦だな」
「そりゃそうだろ。五分ぐらいでぱっとまとめた作戦だからな。だけど、要点だけはキッチリ押さえてある。これで失敗したとしても、少なくとも図書館だけは元に戻るはずだ」
「だが、そんな適当なやり方で、本当に上手くいくのか?」
「もちろん大丈夫だ。オレは元々、すべてが上手くいくなんて思っちゃいないからな」
九郎は巨人に親指を立ててみせる。
「いいか? こういう場合、ほとんどのラノベやアニメでは、作戦が成功するか失敗するかのどちらかになる。だけど現実の作戦ってのは、たとえ失敗したとしても、成果がまったくのゼロになることは滅多にない。何もしなければ何も変わらないが、行動すれば必ず何かが動き出すからな。それに『兵は拙速を尊ぶ』っていう言葉があるとおり、今回の作戦の肝は敵の意表を突くことだ。作戦がほとんどダメダメでも、素早く仕掛けることで相手のターンを強引に奪い取る。それさえできれば、こちらは有利に動けるからな」
「つまり、戦術的な示威行為ということか」
「そうそう、つまりはそういうことだ。それで、どうかな? 手伝ってくれるかな?」
九郎は期待を込めて巨人を見上げた。
ガインは悩ましげに眉を寄せる。
それから、重々しくうなずいた。
「……いいだろう。それぐらいなら、いい運動になるからな」
「ぃよっしゃーっ!」
九郎はこぶしを握りしめて、嬉しそうに破顔した。
「それじゃあ、オヤカタ。何時ぐらいから始められそうかな?」
「そうだな。作業行程から時間を逆算すると……今から準備に取り掛かって、午後一番というところだ」
「オーケー。さすがは軍人。動きが早くて助かるよ」
言って、九郎は表情を引き締める。
「それじゃあ、オヤカタ。これより本作戦は、『ライブラリー・リベレーション作戦』、通称『ブラション作戦』と呼称する。作戦遂行に関わる最終的な責任は、すべて皇帝陛下が取ってくれるから、遠慮なくガツンとやってくれ」
「何だそれは。責任を丸投げするな」
「いいんだよ。これはそもそもハーキーが持ってきた案件だからな。それじゃ、あとはさっきの作戦どおりによろしくなっ!」
九郎は明るい声で言って、岩のようなガインの腕を軽く叩く。
そしてすぐに元来た道へと駆け出した。
「……まったく。本当に口の利き方を知らん小娘だ」
ガインは遠ざかる小さな背中を眺めながら、息を一つ吐き出した。