第七章 1 : 我がままは どう転んでも 波が立つ
「――あぁ~、もぉ~、なんだかぜぇ~んぶ、めんどくさぁ~い」
酒場のカウンターに突っ伏した九郎が、
あくび混じりに気の抜けた声を漏らした――。
若き皇帝との邂逅を終えた翌朝――。
宿屋『マダリン亭』の一室で、九郎は約束どおり、
仲間たちに丸一日の休みを与えた。
すると三人娘は、ハロウィンを楽しむためにウキウキと街に繰り出していく。
九郎は宿屋の裏にある小さな噴水庭園でのんびりと歯を磨き、
それから民兵ギルド会館へと足を運ぶ。
そして用事を済ませると、街の南東にある酒場『マンイン亭』に直行し、
カウンター席でマスターに絡み始めた。
「なんかさぁ~、もうさぁ~、話がいきなり進みすぎなんだわさ。いやね、そりゃあ、ありがたいっちゃありがたいんだけどさぁ、こうも連続で新しいクエストが発生すると、こっちも疲れるっつーの。だからさぁ、もっとこう、クエストの発生頻度っていうのはプレイヤーのレベルに合わせるべきだと思うわけよ。たとえばほら、週に五十時間以上プレイする廃人たちは強制的に一つのサーバーに監禁して、そこだけ重点的にガンガンアップデートさせれば、すべてのプレイヤーが幸せになると思うんだよねぇ~。過疎サーバーで俺ツエーしてるヤツとか、マジでキモいし」
「いったい何の話だよ、そりゃ」
マスターは呆れ顔で、大きなお椀とカップを九郎の顔の横に置く。
お椀には揚げたてのポテトチップが山と盛られ、
カップからは湯気とともにハーブの香りがふわりと漂う。
「悪いけど、俺には何のことだかチンプンカンプンだ。それより、ほらよ。おまえが昨日言ってたヤツだ。食ってみろ」
「おお、ポテチか」
九郎はぱっと体を起こし、一枚つまんで口に入れる。
パリっとした食感が歯の裏で小気味よく弾け、
新鮮なじゃがいもの風味が鼻に抜けて脳の味覚を刺激する。
「おほっ! こいつは美味い! まさかこっちの星で、こんなに美味いポテチが食えるとは思わなかったぜ!」
「はあ? こっちの星? 何だおまえ、ほんとは宇宙人なのか?」
「冗談だよ、冗談。それより、初めてにしてはなかなか上手くできたじゃねーか」
指についた塩をぺろりと舐めて、九郎は親指を立ててみせる。
「まあな。最初はじゃがいもを薄く切るのにちょいと苦労したが、慣れれば大したことはない。しかし、こいつはたしかに美味くて驚いたぞ。昨日は軽く百皿は売れたから、評判もなかなかだ」
「うんうん、そいつは上々、大繁盛間違いなしだな。それにどうやら、可愛い看板娘も雇ったみたいじゃねーか」
言って、九郎は少し離れたテーブル席に目を向ける。
視線の先には、長い銀髪のウェイトレスが立っている。
ラベンダーカラーのワンピースに、
地味なベージュのエプロンをつけた若い女性だ。
ウェイトレスは、九郎と目が合うとにっこり微笑み、
食事客の後片付けを黙々と続ける。
「いやぁ、あの子はほんとに可愛いなぁ。オレの次くらいに可愛いじゃねーか。年はいくつなんだ?」
「ん? ああ、ミルか。あいつはたしか、十八になったばかりだ。まあ、髪の色はあれだけど、気立てはいいって話だからな。しばらくは様子を見るつもりだ」
「髪の色? 何だよ。銀色だと、何か問題でもあるのか?」
「そりゃ、おまえ……」
マスターは言葉を途中で飲み込み、渋い顔で続きを話す。
「そうか。おまえは別の国から来たんだったな。こういうことを言うのはちょっとアレだが、この辺じゃあ、銀色の髪はあまり歓迎されないんだよ」
「ふーん、そりゃまた何で?」
「銀髪ってのは、魔族との混血の証なんだよ。最近はそれほどでもないが、うちのジジイが若い時は、銀髪ってだけで殺されるのは日常茶飯事だったらしい。今でも山奥の村なんかだと、そういう魔族狩りをしているところがあるって噂も聞くからな」
「へぇ、魔族なんて人種もいるのか。前に、別の酒場で見たウェイトレスも銀髪だったけど、あいつもハーフだったのかな?」
「たぶんそうだろ。銀髪なら、魔族かハーフのどちらかだからな」
「そうなんだ。まあ、あいつなら魔族って言われても納得だぜ。基本魔法の授業料として、銀貨二百枚もぶんどりやがった守銭奴だからな」
「はは。銀貨二百枚とは、そりゃまたずいぶんと吹っかけられたな。基本魔法なら、銀貨三十枚が相場だぞ」
「あの時は何も知らなかったからな。ラッシュの街で魔法の相場を聞いた時は、ずいぶんとへこんだよ。それよりさ、マスターは看板娘が銀髪でも、あまり気にしないのか?」
「ん~、そうだなぁ、個人的にはどうでもいいと思うんだが、店としてはちと悩むってのが本音だな。ミルは知り合いに頼まれて雇ったんだが、酒場に来る客ってのは、いろいろとうるさいヤツが多いからな」
「やっぱそうかぁ。頭の悪いヤツほど、見た目でヒトを差別するからな。――おーい、ミルちゃぁ~んっ!」
「あっ、はーいっ!」
呼ばれたとたん、
ミルは三つ編みお下げを揺らしながらパタパタと駆けつけてきた。
「はい、どうかしましたか?」
「ああ、悪いんだけど、もうちょっとこっちに近づいてくんない?」
座ったまま手招きする九郎に、
ミルは首をかしげながら一歩、二歩と小さく進む。
「えっと、こうですか?」
「そうそう。――えいっ」
「きゃっ!」
いきなり九郎に抱きつかれ、ミルは軽く驚いた。
九郎はミルの柳腰をかき抱き、
大きな胸に顔を押しつけて幸せそうな声を漏らす。
「あぁ~、ん~、こいつはいい~。う~ん、いいねぇ~、いいよぉ~。これはいい~お胸様だぁ~」
「えっ? ちょ、ちょっと、お客さん?」
ミルはきょとんとまばたきをして、桃色の髪に目を落とす。
横で見ていたマスターは、呆れ顔で大きなため息を吐き出した。
「……おいこら、桃色娘。おまえなぁ、うちの看板娘に何しやがる」
「うるせー。オッサンはすっこんでろ。オレは今ヘブンズドアーを押し開けて、パラダイム・シフトの真っ最中なんだ。今までは小さな胸にしか興味がなかったが、この柔らかさを知ってしまったら、もはやそんなスモールワールドに住民票を置いておくわけにはいかねーんだよ。そういうわけで、今日からオレは、でかい胸も大好きなオッパイマイスターとして生きていく。というか、むしろオレがオッパイだ」
「おまえはアホか……」
「えっ? えっ?」
マスターはガックリと肩を落とし、ミルはパチパチとまばたきしている。
九郎は柔らかな胸に鼻を埋めたまま上目づかいでミルを見上げ、
もごもごと口を動かす。
「あー、ミルちゃん、ミルちゃん。オッサンのことはほっといて、オレの頭をぎゅ~っと抱きしめてくんない?」
「えっ? あ、はい。――えっと、こうですか?」
「あぁ~、ん~、そうそう、いいねぇ~。んん~ん、あはぁ~ん、えぇニオイじゃ~」
きゅっと抱きしめられた九郎は、さらにとろけた声を漏らす。
そのとたん、ミルは細い肩を小さく揺らして笑い出した。
「うふふ、変なお客さんね。可愛い女の子のくせに、私なんかに抱きしめられて喜ぶなんて」
「いやいや、ミルちゃんは最高だよ」
九郎は細い腰から手を離し、ミルを見つめて微笑んだ。
「いきなり抱きついてごめんな。リアルでパフパフできるチャンスなんて滅多にないから、ちょっと辛抱たまらなくなっちまった」
「ぱふぱふ?」
「ああ、いやいや、その単語は忘れてくれ。それより、仕事の邪魔して悪かったな」
「ううん、平気。あなたみたいな女の子ならいつでも抱きしめてあげるから、またお店に来てね」
ミルも微笑み、桃色の髪を軽くなでる。
そしてすぐに、後片付けに戻っていった。
その細い背中を見送ったマスターは、
片手で額を押さえながら呆れ返った声をこぼす。
「……まったく。おまえってヤツは、女同士で何やってんだよ」
「何言ってんだ。逆だよ、逆。今のは女同士だから許されるんだ。いいか? 今のをオッサンがやったら、セクハラで即逮捕、書類送検・起訴・裁判、慰謝料三百万のフルコースで社会的にファイナルアンサーだ。だがしかし、オレみたいな世界一可愛い女の子に抱きつかれて、イヤな気分になるヤツなんていないだろ?」
「悪いが、何を言ってんのか半分くらい分からんぞ。それにおまえ、見た目はたしかに若い娘だが、中身はけっこうオッサンくさくないか?」
「まあな。それはたしかに否定しねーよ」
言って、九郎はハーブティをゆっくりすする。
「……だけどさ、ただ何となく、『オレは嫌いじゃないよ』って、ミルちゃんに伝えたいと思ったんだ。イジメとか差別ってヤツはさ、実際にイジメられて差別されたヤツでないと理解できないからな」
「だからって、いきなり抱きつく理由にはならないだろ」
「そうか? いきなり可愛い女の子に抱きつかれたら、オレならテンションが有頂天になるけどな。何だったら、身をもって教えてやろうか?」
九郎は不意に、ニヤリと笑って両手を向ける。
そのとたん、マスターはじゃがいもを握りしめたまま、
全力で九郎をにらみつける。
「やめろ。俺に抱きついたら本気でぶっ飛ばすぞ」
「冗談だよ、冗談」
すぐに肩の力を抜いて、九郎は再びハーブティーに口をつける。
「ああ、そうそう。オッサンはまだ聞いてないかも知れないから教えておくけどさ」
「何だよ」
「昨日の夜、皇帝陛下と一緒にメシ食って、オレたちマブダチになったから」
「はあぁっ!?」
その瞬間、マスターはじゃがいもを握りつぶして声を張り上げた。
「んなっ!? なんだとぉぅっ!?」
「おいおい、そんなに驚いたら、皇帝の護衛だってバレバレだぞ」
「だっ!? 誰が陛下の護衛だっ!?」
「オッサン以外にいねーだろうが」
九郎はマスターの顔をまっすぐ指さす。
「昨日、オレがこの店を出ていったあと、オッサンが軍の駐屯所に入るところをバッチリ見させてもらったからな。警備兵に敬礼されるぐらいだから、あんたがけっこう偉いヤツってことは、もうバレバレなんだよ」
言われたとたん、マスターは不愉快そうに顔を歪めた。
しかしすぐに目線を落とし、再びじゃがいもの皮を剥き始める。
「……俺は酒場の主人だ。軍とは何の関係もない」
「ああ、それでかまわないよ。オレの話が嘘かどうかは、あとで確認してくれればいいからな。それより、ハーキーのヤツにちょっと頼みごとをされて困ってんだけどさ、図書館について何か情報を持ってないか?」
「はあ? 図書館だと?」
じろりとにらむマスターに、九郎はにこりと微笑み返して二つうなずく。
「そうそう、図書館の情報がほしいんだ。ここに来る前に、民兵ギルドで情報収集を依頼してきたんだけどさ、状況がいまいちよく分からないんだよ」
「状況って言われても、それだけじゃあ、何について知りたいのかさっぱり分からん」
「そうなんだよ。オレもそれで困ってんだよ。ハーキーのヤツは、図書館を見れば分かるから、問題点を洗い出して片をつけろ――って、それしか言わなかったからな。そんな曖昧な依頼をされても、どうすればいいのかさっぱりだ」
「なるほどな……」
マスターは半茹でしたじゃがいもの皮を、指でツルツルと剥きながら口を開く。
「具体的な内容を言わないってことは、普通に考えれば、先入観を持たせたくないからだろ」
「まあな。それはオレも考えた。つまりハーキーのヤツにも、原因がよく分かっていないのかも知れない。だけどあいつはたぶん、かなり前から図書館の問題ってヤツをどうにかしたいと思っていたはずだ。オレの正体を知らない時にも、わざわざ図書館に行かせようとしたからな。あれにも何か狙いがあったんだと思う」
「さあなぁ。オレは本当に何も知らんから、そんな話をされてもチンプンカンプンだ。客の何人かが噂していたのを聞いたことはあるが、どれも大した話じゃなかったからな」
「へぇ、どんな噂だ?」
「本当につまらん話だぞ? 図書館の受付の態度が悪くて、もう二度と行くもんか、って腹を立てていただけだからな」
「やっぱそうか。魔法ギルドのメガネさんも、そんなことを言ってたからな。でも、職員の態度が悪いなら、そいつをクビにするだけで済む話だろ? それなのに、何でサザランの行政府はすぐに対処しないんだ?」
「――それって、図書館のお話ですか?」
「え? ああ、ミルちゃんか」
ふと横を見ると、いつの間にかミルが近くに立っていた。
「まあな。ちょっと図書館の問題を片付けなくちゃいけないだけど、その問題自体がよく分からなくて困っているんだ」
「それってもしかして、雰囲気のことじゃないでしょうか?」
「雰囲気?」
九郎はきょとんと小首をかしげた。
ミルは隣に腰を下ろし、話を続ける。
「はい。私も週に一度は図書館に通っているんですけど、二、三か月ほど前から、あそこの雰囲気が少しおかしくなったんです。何と言うか、空気が重苦しい感じがして、以前みたいにゆったりとした気分で本が読めなくなっちゃったんですよ」
「それって、態度の悪い職員が、利用者に向かって『出ていけ~』って、無言の圧力をかけてくるってことか?」
「そうですね……たぶん、それもあります。だけどあそこの職員さんは、ここのところ、ほぼ毎週入れ替わっているので、それもまた変な話なんですよねぇ」
ミルは頬に手を当てて、首をわずかに傾けた。
マスターは湯気の立つハーブティーを二人の前に静かに置く。
そしてまた黙々と、じゃがいもの皮を剥き始める。
「うーん、そいつはまた本当に変な話だな。職員を入れ替えているってことは、利用者の苦情に行政府が対応しているってことだよな? それなのに、職員が変わっても態度の悪さが続くって、そんなことがあるのか?」
「そうなんですよ。この街で本を読めるのはあそこだけなので、以前は多くの人が利用していたんですが、最近は職員さんが怖いから、あまり人が近寄らなくなってしまったんです」
「あっ、そうか。そういうことか」
唐突に、九郎が両手をぽんと打った。
「ナイスだ、ミルちゃん。たぶんそれだ。おそらく誰かが、図書館の建物自体に魔法か呪いをかけて、利用者を遠ざけようとしてるんだ」
「えっ? 図書館に魔法ですか? いったい誰がそんなことを?」
「いや、さすがにそれは調べてみないと分かんないよ」
「それはたしかにそうですよねぇ」
言って、ミルはハーブティーを静かにすする。
九郎もゆっくり熱い茶を飲み、それからぽつりと言葉をこぼす。
「……だけどまあ、犯人とその動機が分からなくても、原因さえ分かってしまえば、対策はけっこう簡単だからな」
「簡単? それじゃあクロウさんには、図書館の雰囲気を元に戻す方法が分かったんですか?」
「まあな」
九郎はハーブティーを急いで飲み干し、立ち上がる。
「何と言っても、今回は皇帝陛下直々の依頼だからな。この国で一番偉いヤツの許可があるんだから、ちょっとぐらい手荒な方法をとっても大丈夫だろ。ついでに今日から三日間はハロウィンの本番で、多くの人間が仕事を休むらしいからな。そういう暇を持て余しているヤツらに、ちょっくら手伝ってもらうとするか」
九郎はマスターとミルに別れを告げて、すぐに酒場をあとにした。