第六章 7
「あんたはたしか、教会のところにいた、えっと……ジャルさんだっけ? あんた、クリアちゃんの騎士だったのか?」
カブトを脱いだ若い男は、九郎に図書館の場所を教えてくれた相手だった。
男は襟元まで伸びた長めの金髪を両手で後ろに軽く流し、
一つうなずいて九郎に答える。
「名前を覚えていてもらえて光栄です、クロウさん。僕はジャルです。ジャハルキル・サザランと申します」
「ジャハルキル……サザラン……?」
「ええ、そうですわ。こちらはジャハルキル・サザラン。わたくしのお兄様ですわ」
「おにいさま……?」
九郎はクリアに目を向けてぱちくりとまばたいた。
クリアも見つめ返してパチパチとまばたきしながら、さらに言う。
「ジャルは愛称ですわ。家族はみんな、ハーキーと呼んでいますけど」
「ハーキー……? ハーキーってまさか、ハーキー・サザランさん……?」
一瞬で九郎の顔面が固まった。
そしてそのままカクカクと首を動かし、男を見る。
すると、ゆるいウェーブがついた金髪の男は、ニコリと微笑んで口を開く。
「はい。僕がハーキー・サザランです。サザラン帝国の皇帝を務めております」
「あー、それは、えっとぉ……」
九郎は呆然とハーキーを見つめたまま、コーヒーを一口飲んだ。
「なるほど……そうっすか……。そういう展開できましたか……」
気の抜けた声で呟きながら、九郎は腰のケースに手を伸ばす。
そして、ワイヤーを括りつけた飛苦無をのろのろと取り出し、
鋭い切っ先を天井に向けながらハーキーに声をかける。
「えーっと、それじゃあ早速でナンですが、ちょっとだけでいいんで、ほんのちょっとだけ暗殺させていただいてもよろしいでしょうか……?」
「ぶほっ!」
言ったとたん、ハーキーがいきなり吹き出した。
そしてそのまま腹を抱えて笑い出す。
「うっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ! おーっひょっひょっひょっひょっひょっ!」
「……おいこら、皇帝。おまえ、ちょっと笑いすぎだろ。というか、皇帝のくせに下品な笑い方すんな。イメージガタ落ちだぞ、コノヤロー」
九郎は思わずじろりとにらむ。
しかし、金髪の皇帝は壁を叩きながら笑い続ける。
その横で、クリアは三切れ目のケーキをのんきに頬張り、
オーラは二切れ目のケーキを飲み込んだ。
コツメは澄まし顔でコーヒーをすすり、
クサリンはハーキーのケーキに緑色の粉薬をごっそりと振りかけている。
「うっひょっひょ! ……ああ、いやいや、ごめん、ごめん。『ちょっとだけ暗殺』なんて言われたのは初めてだったから、バカウケしちゃったよ」
「あっそ。おかげでこっちは、アホらしくなって気が抜けたぜ」
九郎は深々とため息一つ。
それから飛苦無をケースに戻し、両手の指でコツメとオーラを指さした。
「おいこら、ちょっとそこのお二人さん。今の状況分かってる? ターゲットの皇帝が目の前にいるんだぞ? ってことはほぼ間違いなく、皇帝の護衛にオレたちは包囲されてんだぞ? クサリンなんか速攻でしびれ薬を仕込んで何とかしようとしてんのに、おまえらは何でのんきにケーキなんか食ってんだよ」
「おう、分かってる、分かってるって。ケーキを食い終わったらすぐにぶっ飛ばすから、ちょっと待ってな」
言って、オーラは次のケーキに手を伸ばす。
するとコツメも淡々と言う。
「その男には殺気がない。殺すのは話を聞いてからでいいだろう」
「あっそ……。おまえらどんだけ心臓に毛が生えてんだよ……」
九郎は呆れ果てた顔で天を仰ぐ。
それからゆっくりとハーキーに目を向ける。
「そんで、いったいどういうつもりだ? クリアちゃんはたしか、あんたがどうしてもついてくるって言うから連れてきたって言ってたけど、何でわざわざオレたちに会いに来たんだよ」
「それはもちろん、君たちにお礼がしたかったからだよ――うん? 何だ? この緑色の粉は……? ――うぐっっ!」
ケーキをぱくぱく食べていたハーキーが、急に眉を寄せて顔をしかめた。
直後、テーブルの上にバタンと倒れた。
「おいおい……そんなあからさまに毒々しいモン食ってんじゃねーよ……」
体をビクンビクンとけいれんさせているハーキーを見て、
九郎は面倒くさそうに息を吐く。
「おい、皇帝陛下。それはしびれ薬だから、十分ほどで動けるようになる。それまでそのままじっとしてろ」
「あ、クロさん。それはしびれ薬じゃなくて、毒ですよぉ?」
クサリンが、横からしれっと言ってきた。
「……はい?」
九郎は隣に座る薬師をまじまじと見下ろした。
クサリンは小さな手でピースサインを作りながら、
金属ケースを差し出してきた。
黒いケースの側面には、緑色の丸印が縦に三つ刻まれている。
「ラッシュの街で初めて会った時にお話ししたじゃないですかぁ。いつも毒薬を持っていますって。これはわたしが調合した、即効性の猛毒でぇす。これでクロさんの目的は達成ですねぇ」
「あー、はいはい、そうですねー。そういやあなたは、そういう性格でしたよねー」
九郎は淡々と言いながら、クサリンの頭を両手でガッチリ挟んで固定した。
さらにそのまま顔を限界まで近づけて言い放つ。
「まあ、なんつーか、どんな状況でも情け容赦なく行動できるその鋼のメンタルは、もンのすごーく頼もしいのですが、ちょっとは空気読もうよ? ねぇ、ほんと、マジで空気読んでくんない? そこでビクンビクンしてるイケメン兄ちゃんは、けっこうフレンドリーだったじゃねーか。それを、ろくに話も聞かずにあっさり毒殺するって、おまえはどんだけプロフェッショナルな暗殺者なんだよ。どこの社会福祉公社で訓練してきたんだよ。とにかく、今は時間がないからこれ以上は突っ込まないが、とりあえず、さっさと解毒剤を出しやがれ」
「えぇ~、せっかく星が一つ増えたのに、もったいないですよぉ~」
「毒殺した相手を星で数えるのはやめろ。今までに何人お星さまにしてきたか気になるじゃねーか。いいからとっとと解毒剤を出せ」
「ちぇ~」
クサリンは小さな唇を尖らせながら、
ドクロマークが刻まれた金属ケースをテーブルに置く。
そのマークを見て、九郎はごくりとつばを飲み込む。
「おまえ、これ、ほんとに解毒剤なんだろうな……?」
「はぁい。もちろんでぇす」
訊いたとたん、クサリンは満面の笑みで言い切った。
九郎は一瞬迷ったが、すぐにハーキーの背中に回って抱き上げる。
「おい、オーラ。こいつの腹にパンチを入れて、胃の中のモノを全部吐き出させろ」
「おうっ! 任せろっ! そういうのは得意だぜっ!」
言うが早いかオーラは即座に立ち上がり、右の拳をアッパーで叩き込んだ。
ハーキーは鈍いうめき声とともに、今夜の食事を一気に吐き出す。
「コツメ。解毒剤と水を頼む。こいつに何とか飲ませてくれ」
「うむ、いいだろう」
九郎がハーキーの背中を叩きながら言うと、
コツメは水が入ったカップと解毒剤のケースを持ってきた。
そしてすぐに口をこじ開け、注ぎ込む。
「まあ。クロロンは、毒の対処も手際がいいのですね」
自分の背後に散乱したゲロを少しも気にすることなく、
クリアはケーキをぱくりと食べて、九郎に言った。
「まあ、いろいろなアニメを見ていれば、これくらいは誰にだってできるからな。というかおまえ、実の兄貴が本気で死にかけているのに、のんきにケーキなんか食ってんじゃねーよ」
「あら、それなら心配いりませんわ」
じっとりとにらむ九郎に、クリアはにこりと微笑みかける。
「お兄様のお召し物には、いくつものアミュレットが仕込んでありますの。一度や二度の毒殺では、殺しきることはできませんわ」
「え? アミュレットって、まさかあれか? 致命傷を受けたら身代わりになってくれるっていう、魔法の道具か?」
「ええ、そうですわ。ですからわたくしは、これだけの毒を用意したのです」
言って、クリアは胸の谷間からペンダントトップを引き出した。
透明なケースの中には、紫色の小さな丸薬が二十個ほど詰められている。
「なるほどねぇ。だから皇帝の護衛たちは、遠巻きに眺めているだけなのか」
九郎はハーキーを壁に預け、素早く店内を一瞥する。
すると、眼光鋭い男どもが、あちらこちらの席からこっそり見ていた。
九郎は軽く呆れ顔で肩をすくめる。
それから、バケツとチリトリを持ってきた女性店員を手伝い、
吐しゃ物を片付けた。
そして再び自分の席に腰を下ろし、クリアに尋ねる。
「それで、クリアちゃん。こいつはいったいどういうことだ? 何で皇帝なんか連れてきたんだよ」
「それはもちろん、お兄様と仲直りしたからですわ」
「仲直り?」
「はいですわ。実はわたくし、昨夜のうちに五百人ほど叩き起こして、お兄様についていろいろと調べてさせてみたのです。そしたら何と、わたくしはお兄様について大きな誤解をしていたことが分かりました」
「いや、朝まで寝かせてやれよ、かわいそうに」
「わたくしはお兄様について、大酒飲みの女たらしのろくでなしと聞いておりましたが、それが何と、まったくのデマだったのです。驚くべきことに、サザラン帝国の最強騎士であり、イゼロン駐留軍の総司令官であるゴールドバビロン大将軍が、根も葉もない噂を勝手に流していたことが判明したのです」
「ほほう。ゴールドバビロンって、何だかものすごい名前だな。だけど、そんなすごそうなヤツが、どうしてそんな噂を流したりしたんだよ」
「それと、クロロンに言われたとおり、アルバカンから奪った城下町の税金を確認させてみたところ、半分以上もちょろまかされていたことが分かりま――」
「はーい、ストップ、ストーップ」
九郎は両手を振って話を止めて、クリアの鼻先に指を突きつけた。
「よーし、分かった。おまえが人の話を聞かない性格ってことは、もう死ぬほどよーっく分かった。だけど今はとりあえず、黙ってオレの話を聞け。いいか? 会話のキャッチボールっていうのはな、質問されたら、それに答える。その繰り返しで話を進めていくんだよ。最近のアニメの会話をよーく聞いてみると、微妙にかみ合っていないのに、話だけどんどん進めていくのがけっこうあるけど、そんなクソ展開を真似する必要はねーんだ。
たとえば、『ねえ、このお洋服かわいくない?』ってデート中の彼女に訊かれて、『お昼、何食べよっか?』って答える彼氏とか、ほんともう、なにそれ? なんでそんな受け答えになっちゃうの? って普通は思うだろ。それが破局フラグとか浮気フラグとかならまだ分かるよ? だけど、そんな会話でラブラブ設定って、そりゃあもう、どう考えてもおかしいだろ。どんだけ尺が厳しくてもさぁ、せめて一言『うん、普通だね』ぐらいは言わせねーと、見ているこっちがモヤモヤするんだよ。
それに現代の日本で、明らかに似合わない服を着ているヤツなんてそうそういるわけないんだから、自分の服装についていちいち男に確認する女ってのは、掛け値なしで頭がおかしい。というか、そもそも顔さえ可愛ければ、ババシャツだろうがステテコだろうがバッチリ似合うんだっつーの。ほめられたいとか抜かすオンナは、パリコレのランウェイをウォーキングしてから出直してこい。
だいたい、『似合う?』って訊かれて『似合わない』って答える男なんか滅多にいるわけないんだから、いちいち訊くな、うざったい。まあ、オレはきっぱり言うけどな。つまり、男の方から自発的に『その服、似合うね』って言わないってことは、大して可愛くないって遠回しに教えてやってんだよ。
言わせんな、恥ずかしい。
女性様は、それぐらい忖度しろっつの。まったく。そんなに自分の可愛さレベルを知りたければ、胸を張ってアゴを引いて、正面斜め下から自分の顔面を自撮りしてみろ。そうやって現実を直視すれば、『この服かわいい?』なんて、おこがましくて二度と言えなくなるからな。
というわけなんだが、分かったか、クリアちゃん。つまりはそういうことなんだよ。おまえはオレの次くらいに世界一可愛い女の子だが、あんま調子にのってんじゃねーぞコラ。どんだけ可愛い女子だろうが、五十年後には全員オバハンなんだよ。見た目の可愛さでドジっ子ぶりを許されるのは、せいぜい二十一歳までだ。それ以降はどうあがいても、好感度は右肩下がりでダウンしていく一方だからな。
それでつまり何が言いたいかって言うとだな、人の上に立つ人間なら、まずはヒトの話に耳を傾けろってことだ。人間ってのは、自分より立場が上の相手には、なかなか意見することができねーんだよ。だから上にいる人間が、いろいろな意見にじっくり耳を傾けないと、国が傾いちまうんだ。そういうわけで、会話の相手が明らかに自分の都合しか考えないアホであったとしても、とりあえず話だけはちゃんと聞け。それができないんなら、いい皇帝になるなんて絶対に不可能だからな」
「ぅわっかりましたわっ!」
九郎が口を閉じたとたん、クリアは即座に声を張り上げた。
「クロロンのお話には意味の分からない単語がいっぱいありましたけれど、とにかくっ! 人の話をよく聞けば、わたくしはよい皇帝になれるということですわねっ!」
「ま……まあ、たしかにそういうことだが、今の皇帝がいる前で、そういう野望を語るのはやめておけ。国によっては、マシンガンで粉々に撃ち砕かれるからな。それより、話を戻すぞ。えっと……ゴールドバビロン大将軍だっけ? そいつは何で、皇帝の悪い噂を流していたんだよ」
「それがですね……あ、少々お待ちくださいですわ。――ちょっと、そこの女給さん」
唐突にクリアが話を止めて、店員を呼んだ。
そして、ベリーとマロンクリームのカスタードパイをワンホールと、
ジャスミンティーをポットで追加注文してから、話に戻る。
「お待たせいたしましたわ。実はですね――」
(こいつ、まだ食うのかよ……)
九郎は軽く呆れて口をへの字に結んだ。
しかし、ふと横を見ると、コツメもオーラもクサリンも、
フォークを握りしめて厨房の方に目を向けている。
三人とも、パイの到着を心待ちにしているといった様子だ。
(はて……? オーラはともかく、コツメとクサリンはそれほど大食いじゃないだろうに……?)
九郎は思わず小首をかしげる。
するとクサリンが耳元でささやいた。
「……ブラックベリーとマロンのパイは、ハロウィンの定番なんですぅ」
「……ああ、なるほど、そういうことか」
(つまり、クリスマスのブッシュ・ド・ノエルみたいなもんか)
とたんに腑に落ちた九郎は、クリアの話に耳を傾ける。
「――それでですね、どうやらゴールドバビロン大将軍は、お兄様の悪い噂を流して評判を落とし、サザラン帝国を乗っ取ろうと画策していたらしいのです」
「おいおい、乗っ取るって、そいつはクーデターを狙っていたのかよ」
「そのとおりですわ。ついでに言うと、昨日、わたくしを暗殺しようとした首謀者も、ゴールドバビロン大将軍だったのです」
「うーわ、マジかよ。軍人のくせに、自分の国のお姫様を暗殺しようとするなんて、とんでもない悪人だな」
「まったくですわ。しかも、狙われていたのは、わたくしだけではありません。わたくしたち七人の兄弟姉妹、全員を暗殺しようとしていたのです。それで、そのことを知ったわたくしは、お昼過ぎにお兄様のもとを訪れて、すべてをお話ししたのです」
「すべてって、まさか、自分が毒殺しようとしていたこともか?」
「もちろんですわ。クロロンがおっしゃったとおり、わたくしとお兄様はコミュニケーションが不足しておりました。ですからわたくしは、誤った噂でお兄様のことを誤解し、暗殺しようとしていたことを正直にお話ししたのです。するとお兄様は、愚かなわたくしのことをお許しになり、それで仲直りができたというわけなのです」
「ほほう、なるほどねぇ。それでそのついでに、オレが皇帝を暗殺しようとしていることも話してしまったってわけか」
「ええ、そのとおりですわっ!」
「おいおい……そんな満面の笑みで認めんなよ……」
あっけらかんと微笑んだクリアに、九郎は半分白目を剥いた。
それからテーブルに肘をついてアゴをのせ、ため息混じりに口を開く。
「まあ、クリアちゃんにしてみれば、仲直りできた兄貴を暗殺されたくないって思うのは当然か……」
「あら。わたくしはどちらでもかまいませんわ。お兄様がご存命であれば嬉しいですし、お亡くなりになれば、わたくしが皇帝になれますから、それもまた嬉しいですわ」
「やれやれ……。バステラの女ってのは、本当にドライなヤツが多いな……」
「――いや、そうでもないよ」
不意に勢いよく立ち上がったハーキーが、椅子に座って九郎に言った。
「お、皇帝陛下が復活したな。もう元気になったのか」
「うん。なぜか急に、体中に力がみなぎってきたよ。たぶん、クロウさんが飲ませてくれた解毒剤のおかげだね」
「ふーん、そいつはよかっ――」
その瞬間、ハーキーの胸の徽章がバキンと割れた。