第六章 3
「――へぇ、これはすごいな」
建設中の大きな建物を見上げて、九郎は思わず感嘆の声を漏らした――。
イゼロンの北東地区を歩きながら、
九郎は目を凝らして前を見た。
見ると、広大な駐屯所の一角に、鐘楼堂付きの大きな建物が建っている。
建物の周囲には木製の足場が組まれているが、
無数の男たちが大工道具や木材を片付けているので、
工事は終わりを迎えている様子だ。
九郎は建物にゆっくり近づき、足を止め、
てっぺんの鐘を見上げて息を吐き出す。
すると不意に、誰かが横から声をかけてきた。
「――どうした。教会がそんなに珍しいか?」
「うん?」
九郎は野太い声に目を向けた。
すると、見上げるほど背の高い大男が、淡々とした顔で見下ろしている。
秋だというのに半袖の作業着を着た、筋骨隆々の中年男性だ。
その肌は石のような灰色で、以前にウーマシカ山で出会った薬師の一人、
バルサクに外見がよく似ている。
「へぇ、この建物って、教会なんだ」
「見れば分かるだろ。あそこの円十字が見えないのか?」
「円十字?」
髪のない頭に手ぬぐいを巻いた大男が、
ほとんど完成している建物を指さした。
見ると、大きな正面ドアの上に、
小さな円からはみ出した十字架が取り付けられている。
「ああ、円十字ってあれか。円の中から上下左右に、十字架がちょこっとはみ出してるヤツ」
「おいおい、まさかベリン教のシンボルを知らないなんて言わせないぞ」
「悪いけど本当に知らないんだ。こう見えて、けっこうな箱入り娘だからな。外の世界に出てから、まだ二週間ぐらいしか経っていないんだよ」
言って軽く肩をすくめた九郎を、大男はじろりとにらむ。
「なるほどな。世間知らずの小娘ってことか。どうりで口の利き方がなっていないわけだ」
「まあ、口が悪いのはお互い様ってことでカンベンしてくれ。それより、ここって駐屯所の土地だろ? 何でこんなところに教会なんか建ててんだ?」
「皇帝陛下のお恵みだ。この街にはバステラ教の教会しかなかったから、ベリン教に土地を貸し与え、教会をご寄付されたのだ」
「へぇ、サザランの皇帝陛下って太っ腹なんだな」
「ただの人気取りだ」
大男は不機嫌そうに顔をしかめた。
「教会を建てれば工事の仕事で庶民が喜ぶ。ベリン教徒にも感謝される。立派な教会には各地から信者が訪れ、街の経済も潤う。そういうことだ」
「ふーん、長い目で見ればプラスになるって計算か。サザランの皇帝陛下ってのは、けっこう頭が切れるんだな」
「どうかな。若いうちは、海のものとも山のものとも分からん」
「おやおや、けっこう慎重な評価だな。もしかして、皇帝陛下を見たことがあるのか?」
九郎が尋ねると、大男はわずかに首を横に振った。
「いや。皇帝就任の披露パレードを遠目に眺めただけだ」
「でもさ、今はこの街に滞在しているんだろ? すれ違ったりしたこともないのか?」
「今のところはないな――」
「オヤカタぁーっ!」
不意に若い男が声を上げながら駆けつけてきた。
大男と同じように手ぬぐいを頭に巻いた細身の男だ。
「そろそろ昼時ですけど、みんなを休憩させてもいいですか?」
「……もうそんな時間か」
大男は青空に浮かぶ太陽を見上げ、アゴを引く。
「いいだろう。キリがいいところで休憩だ」
「はい、分かりました。――それでオヤカタ。そっちの女の子は誰ですか?」
ふと若い男が、青い目を九郎に向けた。
「気にするな。通りすがりの世間知らずだ」
「へぇ、そうなんですか」
言って、男は九郎に声をかけてきた。
「ねぇ、君。桃色の髪なんてずいぶん珍しいけど、どこから来たんだい?」
「あっちだ」
九郎は即座に太陽を指さした。
そして、空を見上げてきょとんとしている若い男に訊き返す。
「それより、あんたは皇帝陛下を見かけたことがあるか?」
「え? 皇帝? 何だい君。まさか皇帝を見たいのかい?」
「まあな。皇帝陛下は、今この街にいるんだろ? オレは近いうちに天冥樹まで観光に行くんだけど、できればその前に、一目だけでも拝んでおこうかと思ってな」
「ああ、なるほど。君は旅行者か。いいなぁ。観光旅行かぁ。僕ものんびり、どこか旅行にでも行きたいなぁ」
若い男はうっとりとした表情で空を眺め、ため息を吐く。
すると大男がぎょろりとにらみ下ろして言いつける。
「おい、ジャル。そんなことより、さっさと休憩を伝えに行ってこい」
「はいはい、オヤカタ。了解です」
男はすぐに返事をして、九郎を見ながらおどけるように肩をすくめた。
「そうだ、君。皇帝を見たいんなら、図書館に行くといいかもよ。うちのヤツが、そこで見かけたことがあるって言ってたから」
「図書館? 図書館って、どこにあるんだ?」
「ここからまっすぐ西に行ったところさ。魔法ギルドの大きな建物があって、その奥にあるから。それじゃ」
それだけ言うと、男はすぐに教会の方へと駆けていく。
「あっ、教えてくれてサンキューなっ!」
九郎は慌てて声を飛ばした。
若い男は振り返って軽く手を振り、そのまま教会の中へと入っていく。
その背中を見送った九郎は、隣に立つ大男にも声をかける。
「それじゃあ、おっさん。オレはその図書館に行ってみるよ。仕事の邪魔して悪かったな」
「まったくだ。本当に口の利き方を知らない小娘だ」
大男は呆れ顔でぽつりと言った。
そして九郎を見下ろしながら言葉を続ける。
「最後に一つだけ忠告しておくが、駐屯所には近づくな。あそこの軍人どもは、あまりガラがよくないからな」
「そうか。分かった。なるべく近づかないようにするよ。それじゃ」
九郎はにっこり微笑んだ。
そしてすぐに、街の西に足を向けた。