第六章 2
「――おい。ちょっと出てくるぞ」
九郎が酒場を出た直後、マスターが店の奥にいる妻に声をかけた。
「あいよ。どこに行くんだい?」
奥の厨房から、小太りの中年女性が顔を出した。
「別に。ちょっとその辺だ。すぐ戻る」
「それはいいけど、お昼前には戻っとくれよ。アタシ一人じゃ、お客さん、さばき切れないからね」
「それぐらい客が来るといいけどな」
マスターはぶっきらぼうに言い捨てて、裏口から外に出た。
そして陽の光がほとんど射さない路地裏を静かに進み、
そのまま北に足を向ける。
二十分ほど歩くと、大きな木造建築物が見えてきた。
高い壁に囲まれた四階建ての立派な建物だ。
正面ゲートには六人の兵士が立ち並び、横には大きな看板が立ててある。
門の前で見張りをしていた警備兵たちは、マスターの姿が見えたとたん、
即座に姿勢を正して挙手で敬礼。
マスターも警備兵の前で足を止めて答礼し、すぐに門の中へと入っていく。
それから二十分ほどして建物から出てきたマスターは、
早足で酒場へと戻っていった。
(……ふーん、なるほどねぇ。サザラン帝国軍、イゼロン方面駐屯所か)
門の前を通り過ぎながら、九郎は横目で看板を見た。
近くの路地裏に身を潜めていた九郎は、
マスターの背中を見送ってから建物に近づいた。
そして看板の文字を確認し、
正面ゲートに立つ警備兵と四階建ての大きな建物を、
歩きながらこっそりと観察した。
(……一般的に、二人の人間の話に矛盾がある場合、それはすなわち、どちらかが嘘をついているということになる。魔王は酒場に顔を出していないとマスターは言っていたが、あれはやはり嘘だったか。駐屯所の警備兵が酒場のマスターに敬礼するなんて、どう考えてもあり得ないからな。ということは、あのマスターは魔王の護衛で、魔王の行動を探ったオレのことを本部まで報告に来たんだな。やれやれ……。どうやら初っ端から、しくじっちまったみたいだな……)
九郎は長い息を吐き出した。
そしてそのままゆっくりと、駐屯所の広い敷地を眺めながら一周した。