第六章 1 : 歯車は 見えないところで 回り出す
「――なるほど。城塞都市と言うだけあって、外壁はかなりでかいな」
イゼロンの南門を見上げながら、九郎はぽつりと呟いた――。
朝日が昇る前にクリアの屋敷を抜け出した九郎たちは、
街の中心からやや南西に位置する
『マダリン亭』という宿屋に腰を落ち着けることにした。
大通りに面した木造三階建ての清潔な宿屋で、
一階には酒場を兼ねた広い食堂がある。
部屋に荷物を置いて食堂に入った四人は早めの朝食をとり、
すぐさま三つに分かれて街に散った。
九郎とコツメは単独行動、オーラとクサリンは二人一組で、
手分けして情報収集に取り掛かる。
それぞれが広大な街を歩き回って地理を把握し、
サザランの皇帝について情報を集め、
夕方の六時に、クリアと待ち合わせした酒場に集合する予定だ。
一人になった九郎はすぐに南門へと向かい、
高さ十数メートルの外壁を見上げて息を漏らした。
「……この分厚い外壁の外は深い掘で、跳ね橋を上げてしまえば敵の侵入を防げる造りか。まさに、戦争に特化した城塞都市ってわけだな」
呟きながら、門の外に見える幅の広い跳ね橋を遠目に眺める。
橋の数メートル下には、朝日を浴びて煌めく水面が見える。
外の街道からは無数の荷馬車が続々と押し寄せてきて、
跳ね橋を渡って街の中に入ってくる。
(ラッシュの街も賑やかだったが、ここはその倍以上の活気があるな――)
九郎はくるりと振り返り、街を眺める。
どこまでもまっすぐに伸びる大通りは、大勢の馬車と人混みで果てが見えない。
それから外壁沿いにゆっくり歩き、街の中を一周する。
そして再び南門まで戻った九郎は、
大通りをまっすぐ抜けて、街の中心部で足を止めた。
そこには、高い壁に囲まれた城塞があった。
長さがおよそ一キロ四方の壁の外には深い堀があり、
門の前には跳ね橋がある。
まるで街の縮小版といった造りだ。
「つまりこの中に、サザランの魔王がいるわけだ……」
石造りの城塞を一周しながら、九郎は思わず渋い顔をした。
(……跳ね橋のある門は、南と西の二か所だけ。そのどちらにも、警備兵がきっちり目を光らせている。堀の幅は、およそ二十メートル。泳げないこともないが、警備兵が見回りをしているので、見つからずに忍び込むことはほぼ不可能……。なるほど。皇帝がいるだけあって、守りはさすがに鉄壁だな)
九郎は堀の水面をのぞきながら、もう一度、城塞の周囲をゆっくり歩く。
(……さてさて。こういう場合、ラノベやアニメでは、どうやって魔王を暗殺するのかねぇ。クリアちゃんの話だと、魔王は酒場をハシゴしているそうだから、やはり酒場でアンブッシュを仕掛けるのが鉄板か。だけど、そんなことは向こうの護衛もとっくに考えているはずだ。まず間違いなく、完璧な対策を講じているに決まっている。そんなところを襲撃したら、飛んで火にいる夏の虫で一巻の終わりだ。しかし、この街で魔王を暗殺するとしたら方法は二つしかない。この中央城塞に侵入するか、城塞の外で待ち伏せするかのどちらかだ。成功率はどちらもかなり低いが、生還率を考えると、圧倒的に城塞の外の方が逃げやすい。となるとやはり、魔王が酒場にいる時が狙い目か……。
ならば問題はアプローチ。
つまり魔王への接近方法だ。
厳重な警戒をしている相手に近づくのは困難だが、そこさえクリアしてしまえば、暗殺は不可能ではない。むしろ警備が厳しい中で魔王を暗殺すれば、護衛たちは大混乱に陥るはずだ。そのどさくさに紛れれば、現場からの離脱も難しくはない。つまり、まずは護衛の意表を突く接近方法を見つることが、最優先課題ということか……)
「――よし。それじゃあとりあえず、魔王がよく行く酒場でも探してみるか」
再び中央城塞の南門に戻った九郎は、空を眺めて息を吐き出す。
そしてすぐに、南東の繁華街に足を向けた。
しかし、目についた酒場に入って店員の話を聞いたとたん、
九郎は思わず首をかしげた。
「――えっ? 皇帝を見たことがない?」
「当たり前だ。うちみたいな普通の酒場に、陛下が来るわけないだろ」
酒場のマスターは体格のいい中年男性だった。
マスターはカウンター越しに九郎を見つめて言葉を続ける。
「一応言っておくが、うちだけじゃないぞ。陛下が街の酒場に顔を出したなんて噂は聞いたことがないからな。いったいどこのどいつが、そんなデマを流したんだ? お嬢ちゃんは、きっとかつがれたのさ」
「うーん……嘘をつくような相手には見えなかったけど、酒場のマスターがそう言うんなら、きっとデマだったんだな」
「そうそう、そうに決まってる。もし本当に陛下がうちの店に来たら、大々的に宣伝するぜ。『うちは、陛下御用達』って表の看板に書いとけば、満員御礼間違いなしだからな」
「なるほどねぇ。そりゃそうか」
九郎は納得顔でうなずいた。
するとマスターは引き締まった腕をカウンターにのせて、
身を乗り出してきた。
「それより、お嬢ちゃん。もしかして働き口を探しているんなら、うちで雇ってもいいぜ? お嬢ちゃんみたいな可愛い看板娘がいれば、満員御礼間違いなしだからな」
「あんたは『満員御礼』って言いたいだけだろっ」
思わず歯を剥いた九郎に、マスターはニヤリと笑って肩をすくめる。
「当たり前だろ? 店を構えていれば、満員御礼ほど嬉しいことはないからな。だからうちの店は『マンイン亭』って名前なのさ」
「どうりで変な名前の酒場だと思ったよ」
「覚えやすくていいだろ? だけどな、最近はめっきり客足も減っちまったから、若くて可愛い娘でも雇おうかって、うちの女房と相談してたんだよ」
「何だよ、この店。あまり流行ってないのか?」
言いながら、九郎は首を回して店内を見渡した。
ざっと見ただけで、木製のテーブル席は二十以上。
広いフロアはきれいに掃除されていて、窓の外には幅の広い通りが見える。
「見た感じ、店は広くてきれいだし、大通りに面しているから場所も悪くないと思うけど」
「そりゃそうだ。うちの店は、かなりいい場所にあるからな。今はお嬢ちゃんしかいないけど、夜になればそれなりに客は来る。今日からベリンの祭事が始まるから、ベリン教徒も酒を飲みに来るはずだ。だけどな、最近はアレなんだよ。軍人さんがめっきり来なくなって、売り上げが下がる一方なんだ」
「軍人?」
「そうそう、うちは軍人さんがお得意様なんだ。ほら、今はアルバカンと戦争してるだろ? それで国境に近いこの街には軍隊が駐留しているから、軍人さんが酒と女に金を落とす。いわゆる戦争特需ってヤツだ。うちの店はそのおかげで、だいぶ稼がせてもらったからな」
「その軍人たちが、最近は来なくなったのか?」
「そうなんだよ。街の北東エリアに軍の駐屯地があるんだが、最近はあまりこっちまで来ないんだ。だからうちに限らず、この辺の酒場はみんな、軒並み売り上げが落ちている。いやあ、ほんとまいるぜ。やっぱ戦争が終わるって噂は本当かもな」
「戦争が終わるって、サザランはアルバカンに攻め込まないのか?」
「ああ、そういう噂だ。――ほら、茶でも飲みな」
マスターが九郎の前に木のカップをトンと置いた。
白い湯気とともに爽やかな香りがふわりと漂うハーブティーだ。
「ああ、ありがと。いただきます」
九郎は礼を言って、一口すする。
マスターは再び料理の下準備をしながら話を続ける。
「ま、そんな感じで、いきなり売り上げが下がったから、こうして午前中から営業してるってわけさ。今日から祭りだから、昼には客が食事に来るだろうからな」
「なるほどねぇ……。でもさ、それじゃあ、いなくなった軍人って、どこに行ったんだ?」
「さあねぇ。駐屯所で出動待機でもしてるのか、それとも国境の警ら任務に駆り出されたのか。最近の噂だと、そろそろダンジョンの攻略を再開するっていうのもあったな。まあ、オレたちみたいな庶民には、本当のところは分からないけどな」
「ダンジョン? 軍人って、ダンジョンの攻略もするのか?」
「そりゃそうだろ」
マスターは分厚い手のひらを上に向けた。
「モンスターのいるダンジョンを攻略できるのなんて、戦闘訓練を受けた軍人しかいないからな」
「あ、なーるほど。たしかに素人がダンジョンに潜っても、死体が増えるだけって感じがするもんな。いやはや。現実のファンタジーは、そんなに甘くはないってことか」
「うん? 何だ、お嬢ちゃん。その『はんたずぃ』ってのは」
「ああ、『はんたずぃ』じゃなくてファンタジーな。ファンタジーってのは、三十歳の魔法使いたちが、お遊び気分で『俺ツエー』ができる夢の世界のことだ」
「はあ? 何だそりゃ? 何で三十歳なんだ?」
「ただのイメージだよ。深い意味はないからスルーしてくれ」
「ふーん、そうか。まあ、年齢を限定する意味はよく分からんが、魔法使いを名乗るヤツはたしかに強いからな。だけどお嬢ちゃん。この辺じゃ、ダンジョンを攻略するのは軍人って相場が決まっているんだ。そんなことも知らないなんて、いったいどこの国から来たんだ?」
「合衆国ニッポンだ」
「はあ? ガッシュウコク?」
「ああ、うそうそ。ただの日本だよ」
「ニホン? どこだそりゃ? そんな国は初耳だが、まさか幻の海の大陸、ミカイシンじゃないだろうな?」
「いやいや、ぜんぜん違う。というか、そんな大陸、こっちの方が初耳だ。それよりも、この辺のダンジョンって言うと、天冥樹ってヤツのことか?」
「ああ、そうそう、そのダンジョンだ。あそこはまだ、上も下も二十階ほどしか開放されていないからな。完全クリアまでには、まだまだ時間がかかるだろ」
「え?」
九郎はきょとんとまばたいた。
「上も下もって、まさか天冥樹のダンジョンって、上にも下にもダンジョンがあるのか?」
「ああ、そうさ。あれは天を衝くほどの大木で、上は千階以上、地下はどこまで深いか見当もつかないから、冥界への入口って言われているんだ」
「おいおい、千階以上ってマジかよ……。鉄と岩の空飛ぶ城でさえ百層だっていうのに、半端ねぇな……。でもさ、たしかそこのダンジョンって、観光地だって聞いたんだけど」
「それも、もちろん間違っちゃいない。あそこはサザランでも有名な観光地だからな。上下二十階くらいまではモンスターを排除して安全になっているから、一階がちょっとした街になっているんだよ。魔法ギルドが作った図書館とか神殿もあるそうだから、お嬢ちゃんも一度は見ておいた方がいいと思うぞ」
「へぇ、そうなんだ。この街で用事が済んだら天冥樹に行く予定だったけど、今から楽しみになってきたな」
「おお、そうだったか。そいつはちょうどいい。あそこの特産品はキノコでな、特にキノコの辛みそ炒めは絶品だから、一度は食っておきな。あそこの酒場は、その名物料理でいつも満員御礼って話だ。まったく、うらやましい限りだぜ」
「だったらこの店も、名物料理を出せばいいじゃないか」
「そうしたいのはやまやまだが、イゼロンには特産品がないんだよ」
マスターは残念そうに顔の前で手を振った。
九郎はふと小首をかしげ、
カウンターの横に置かれたじゃがいもの箱を指さして言う。
「酒場なんだから、ポテトチップを作ればいいじゃん」
「ポテトチップ? 何だそりゃ?」
「ああ、やっぱり知らないか。この辺の酒場じゃ、どこにもなかったからな」
言って九郎は席を立ち、じゃがいもを手に取ってまた腰を下ろす。
「たしかサザランは、じゃがいもの収穫量が多いんだよな。だったらそれを無理やりイゼロンの特産品ってことにして、ポテトチップを名物料理にすればいいんだよ」
「だから、そりゃ何の料理だ?」
「別に料理ってほどのものじゃない。このじゃがいもを一ミリぐらいに薄くカットして、植物油でカラッと揚げて、塩を少しだけ振りかけるんだ。それぐらいなら大した手間じゃないから簡単だろ?」
「それはまあ、たしかに簡単そうだが、そんなもんが美味いのか?」
「まあな。今日から売り出せば、満員御礼間違いなしだ。これで上手くいったら、一日の売り上げの二パーセントをアイデア料としていただこうか。紙とペンはあるか?」
「紙? ああ、ちょっと待ってろ」
マスターは奥の棚から茶色い紙と、ペンとインクを持ってきた。
九郎はすぐに契約書を二通書いてサインをし、
マスターにもサインさせる。
そして一通を自分のカバンにしまい、もう一通をマスターに手渡した。
「よーし、これで契約は完了だ。さっきは一日の売り上げって言ったけど、ポテトチップ一人前につき、二パーセントにまけておくよ。えっと、銀貨一枚が、銅貨十枚だから、ポテチ一皿を銅貨三枚で販売するとして……百皿ごとに、銅貨六枚をオレがいただくって契約だ」
「ははっ!」
九郎の説明に、マスターは軽く吹き出した。
「百皿売って、たったの六カッパーか! いいだろう。それぐらいなら契約してやるよ。そのポテトチップとやらが売れたらの話だがな」
「はい、まいど。作り方は他の酒場に教えてもいいけど、一皿につき二パーセントはオレに入るように契約してくれよ。金はそのうち受け取りに来るから、それまで預かっておいてくれ。それと、ポテチには炭酸系の飲み物が合うから、一緒にビールを出すとバカ売れするはずだ。これでたんまり稼いでくれ」
「ほうほう、なるほど、ビールねぇ。うちはワインやウイスキーよりビールの方がよく売れるから、そいつは都合がいい。あとでちょっと、そのポテトチップとやらを作ってみるか」
「ああ、是非作ってくれ。オレも久しぶりに食べたかったから、近いうちにまた来るよ。それじゃあマスター、お茶、ご馳走さま。いろいろ話してくれて、ありがとな」
礼を言って立ち上がった九郎に、マスターはニヤリと笑いながら指を向ける。
「おう。今度来る時は何か注文してくれよ。じゃないと、商売上がったりだからな」
「はいよ」
九郎は微笑みながら軽く手を振り、すぐに酒場をあとにした。