第五章 12
「――はーいっ! それじゃあ、みなさーんっ! 早速カンパイしますわよーっ!」
白い頬を桃色に上気させたクリアが、
銀のカップを掲げて声を張り上げた――。
のんびりと一時間ほど風呂に入った九郎たちは、
シルクのバスローブに身を包み、食堂へと移動した。
中庭に面した一階の大食堂は
無数のランプで昼間のように照らし出され、
長いテーブルの上には様々な料理が所狭しと並べられている。
それまでぶつぶつと文句を言っていた九郎も、
温かな料理の数々を目にしたとたんに機嫌を直し、
さっさと席に腰を下ろす。
そして、飲み物が注がれたカップを全員が手にすると、
クリアが椅子から立ち上がり、乾杯の音頭を取った。
「それではーっ! クロロンのツルツルお肌にぃ~、カンパーイっ!」
「おうっ! ツルッツルのクロウにカンパーイっ!」
「ツルンツルンのクロさんにカンパイですぅ~」
「うむ。ツルペタのクロに苦しゅうない」
「よーし、おまえら全員、あとで体育館の裏に来いや」
五人はテーブルに身を乗り出してカップを合わせ、
白ブドウのジュースを一息に飲み干した。
「くぁぁぁ……何だ、このジュース。マジで美味いな。さすがは皇族のお屋敷。こいつは料理も期待できそうだ」
長い桃色の髪をアップにまとめた九郎は、
すぐさま肉料理の大皿に手を伸ばす。
ローストしたブロック肉のスライスに、
野菜を煮込んで作ったソースがかけてある一品だ。
九郎は陶磁器の皿に肉と玉ねぎをたっぷり取り分け、一心不乱に食べ始める。
「おう、クロウ。その肉、美味そうだな。あたしにもちょっとくれよ」
「あら! わたくしも食べたいですわ!」
「――んっ、ほらよ」
九郎は手近な皿に肉をごっそり取り分け、
オーラとクリアにさっさと渡して咀嚼に戻る。
「クロさん、クロさん。このキノコ料理、めちゃくちゃ美味しいですぅ~」
「ほう、どれどれ」
クサリンが軽く興奮しながら食べかけのお椀を見せてきた。
中をのぞくと、それは深いお椀に溶き卵と出汁を注ぎ、
鶏肉とキノコと木の実を入れて蒸した料理だった。
滑らかな黄色い塊を一口食べた九郎は、うんうんと満足そうな声を漏らす。
「おお、こいつは美味い。香辛料が利いた、洋風の茶わん蒸しか。キノコ料理というよりはタマゴ料理だと思うが、クサリンは本当にキノコが好きなんだな」
「はぁい、もちろんでぇす。キノコは女神の主食ですからねぇ」
「へぇ、女神ってキノコを食うのか。オレの国では、そんな話は聞いたことないけど、こっちではそうなのか。……って、そう言えば、クサリンは女神の祝福を受けてたんだよな。それでキノコが好きなのか」
「はぁい、そんなところでぇす」
クサリンは幸せそうに微笑んで、息を吹きかけながら茶わん蒸しを食べ続ける。
「おう、クロウ。こっちの焼き飯と焼き魚も、かなり美味いぞ」
オーラが大きな皿によそった料理を九郎の前にどんと置いた。
見ると、スープで炊いた米料理と、
小麦粉をまぶしてバターで焼いた魚料理が一緒くたに盛られている。
「焼き飯っておまえ、これはピラフじゃねぇか。魚の方は……まあ、ムニエルだから、一応焼き魚か。そういやおまえは、米と魚が好きなんだな」
「おう。あたしの田舎じゃ、それが主食だからな」
「おい、クロ。こっちの料理もかなりいけるぞ」
「今度は何だよ」
不意にコツメが、きれいに盛り付けた皿を差し出してきた。
緑色のソースをかけた蒸し鶏のスライスと、
緑と白の花野菜とニンジンが、バランスよく並べてある。
「このソースは……ほう、ハーブソースか。うん、たしかにこれは美味いな。というか、おまえはいつも鶏肉ばかりだな」
「いや、そんなことはないぞ。自分に好き嫌いはほとんどない。鶏肉は他の肉よりも食べやすいから、つい選んでしまうだけだ」
「まあ、たしかに鶏肉は、牛や豚に比べればあっさりしてるからな。ああ、だけど野菜もちゃんと食っておけよ。――おまえらも、ちゃんと野菜を食わないと、体臭がきつくなるから気をつけろよ」
九郎の言葉に、四人は口をもぐもぐと動かしながら首を縦に振る。
しかし、誰もサラダの大皿には手を伸ばさない。
九郎は軽く肩をすくめてサラダを取り分け、全員の前に置いて回る。
するとクリアがサラダを頬張り、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ。今日のサラダは、いつもより美味しく感じますわ」
「オレたちの方は明らかに、いつもより美味いモンを食わせてもらっているけどな」
九郎はさらに、湯気の立つ玉ねぎのスープを陶磁器のボウルに注ぎ、
全員に配膳してから席に戻った。
そして、魚介のトマトソースパスタを皿に取りながらクリアに言う。
「悪いな、クリアちゃん。料理をまとめて出してほしいだなんて、オーラが余計な注文をしちまって」
「いいえ、何の問題もありませんわ。むしろわたくし、こちらの方がいつもより美味しい気がしますわ。何だか今夜は、パーティーみたいでとっても楽しいですわ」
「おう、そうだよな。料理はチマチマ出されるより、一気に食べた方が美味いからな」
「おかげでオレが、配膳係だけどな」
にっかり笑ったオーラに、
九郎はじっとりとした目を向けながら貝をほじくる。
そしてふと、クリアに言った。
「ああ、そうだ、クリアちゃん。今のうちに言っておくけど、オレたちは当初の予定どおり、おまえの兄貴を暗殺するから、悪いけどそのつもりでいてくれ」
「はいですわ」
「まあ、クリアちゃんには暗殺を考え直すように言っておきながら、矛盾したことを言っているけど、それとこれとは話が違うからな。これはまだ言ってなかったけど、オレの体には、あと二週間以内にサザランの皇帝を倒さないと死んでしまう、魔法契約がかけられているんだ」
「えっ!? そうだったんですの!?」
クリアは口元に両手を当てて目を丸くしている。
「ああ、残念ながら本当だ。むしろそんな理由でもない限り、オレみたいな一般人が一国の皇帝に挑もうなんて思うはずがないからな。そんなわけで、明日は陽が昇る前にここを出て行くよ」
「えっ? どうしてですの? わたくし、そんなの嫌ですわ。みなさんには、ずっとここに泊っていてほしいです」
「いや、そう言ってもらえるのはありがたいけど、オレたちがここにいるのを皇帝に知られたら、クリアちゃんの立場が危うくなっちまう。暗殺に成功しても、クリアちゃんが加担していたと疑われたら、皇帝に就任できなくなるかも知れないし、失敗したら、クリアちゃんも逮捕される可能性だって出てくる。そんなでかいリスクを押しつけるわけにはいかないからな」
「わたくしはそれでもかまいませんわ。お兄様を毒殺するつもりだったことは、間違いないことですから」
言って、クリアは胸の前で両手を固く握りしめる。
その姿に、九郎はしばし思案した。
(うーん……こいつはちょいと、まずったな。どうやら世間知らずのプリンセスに、少しばかり懐かれちまったか。やれやれ。十五歳といっても、まだまだ子どもなんだな……)
考えながら、胸の内でため息一つ。
しかしすぐに、微笑みながら口を開く。
「まあまあ、落ち着け、クリアちゃん。オレたちは明日からしばらくの間、街の宿屋に泊って情報を集めるつもりだ。それで、実際に情報を集めてみないと何とも言えないんだが、クリアちゃんにもこっそり手伝ってもらいたいことが出てくるかも知れない。だからとりあえず、明日の夜はオレたちと一緒に、街の酒場でメシでも食わないか?」
「えっ? 酒場でお食事ですか?」
「ああ、そうだ」
とたんにクリアの目が輝いた。
その無邪気な表情に、九郎は心の中でほくそ笑む。
「まあ、この屋敷の料理ほど美味いものはないと思うけど、たまにはそういうところで食事するのも悪くないだろ。ああ、もちろん、皇女殿下だとバレたら大騒ぎになるから、軽い変装でもして、お忍びで頼む。どうかな? 来てもらえるとありがたいんだけど」
「もちろんですわっ!」
クリアは小さなこぶしを握りしめて声を張り上げた。
「ええ! もちろんお招きにあずからせていただきますわっ! せっかくのお誘いをお断りするわけにはいきませんものっ! イエイ! ああ! でもどうしましょう! 明日は何を着ていけばよろしいのかしら!」
「ま、時間はあるから、じっくり考えてくれ」
急に考え込んだプリンセスを見て、九郎は澄まし顔でスープをすする。
そして食後に、あんずジャムのチョコレートケーキを食べてコーヒーを飲み、
ほっと一つ息を漏らす。
それから寝室に案内された九郎は、
嫌がるクサリンをベッドに引きずり込んで抱きしめた。
そして宣言どおり、緑の頭をかじりながら、朝までぐっすり眠りについた。