第五章 10
「――そんで、クリアちゃん。おまえはオレたちが怖くないのか?」
見渡す限り何もない土の街道を歩き出してから少しして、
九郎がふとクリアに訊いた。
「あら? 何でですの?」
クリアはきょとんとまばたいた。
「だっておまえ、オレたちは今から、おまえの兄貴を暗殺しに行くんだぞ? そんなの、どう考えても、おまえの敵じゃねーか」
「わたくしは、そうは思いませんけど」
「はあ? 何でだよ」
「だってわたくし、お兄様を毒殺するつもりですから」
軽い口調で言い切って、クリアは無邪気に微笑んだ。
九郎は思わず口をぽかんと開けて絶句した。
するとクリアは、自分の顔を指さしながら言葉を続ける。
「実はわたくし、サザランの皇帝になりたいのです。そしてすべての国民からちやほやされて、一生楽に生きていきたいのです」
「うむ。その心意気や、よし」
唐突にコツメがクリアの細い肩に手を置いた。
「あら、コツコツにもこの気持ちが分かりまして?」
「もちろんだ。自分の望みも、死ぬまで楽に生き抜くことだからな」
「まあ。それは素晴らしい目的ですわ」
「うむ。クリアの目的も素晴らしいぞ。実の兄を暗殺するのは、妹のたしなみだからな。自分は全力で応援するぞ」
「まあ。そうおっしゃっていただけると、わたくし、とっても嬉しいですわ」
「はーい、ストップストーップ。ガチで黒いガールズトークはその辺にしておけー」
九郎は言って、コツメとクリアを引きはがす。
「というかクリアちゃんは、マジで実の兄貴を毒殺するつもりなのか?」
「はい、マジですわ」
「それじゃあ、馬車から飛び降りてオレたちを追ってきたのは、目的が同じだったからか?」
「まったくもって、そのとおりですわ」
クリアはこぶしを握って力強くうなずいた。
「わたくしの周囲には、お兄様をブッコロ暗殺してやろうという気概のある者が一人もいなかったので、とても残念に思っていたのです」
「いや、いたとしても、皇帝の妹には絶対話さねーだろ」
「だからわたくしは、たった一人で愛するお兄様をブッコロ暗殺しようと一念発起いたしましたの」
「いや、それが分からないんだが、何で兄貴を暗殺しようなんて思ったんだよ。皇帝の妹なら皇族だろ? 皇女殿下なら、一生楽に生きていけるじゃねーか」
「だからわたくしは、必殺の猛毒を求めて、ラッシュの街に赴いたのです。それが三日前に手に入ったので、イゼロンにいるお兄様のところへ、はせ参じようとしていたのですわ」
「はい、よーし。おまえが人の話を聞かないというのはよーっく分かった」
九郎はクリアの口に手を押しつけた。
「とりあえず、今日のところは軽くスルーされても怒りは溜めておいてやる。だからとにかく、今はオレの話を――」
「え~? なんですかぁ~? その必殺の猛毒って、どんな毒なんですかぁ~?」
不意にクサリンが九郎を押しのけて割り込んできた。
(ぬぅ……やっぱり来やがったか。猛毒というキーワードに、毒ロリ娘が食いつかないはずがないからな……)
九郎は苦々しい表情を浮かべてショートツインテールをにらみ下ろす。
しかしそのまま口を閉じて、クリアの言葉に耳を傾けた。
「あら。クサリンちゃんは、毒に興味がおありなのですか?」
「はぁい。もう、これ以上ないほど興味津々でぇす」
「まあ、そうなのですか。……あら。でもそう言えば、クサリンちゃんは薬師のローブをお召しになっていますわね。それに先ほども、しびれ薬を使っていましたし、もしかして、クサリンちゃんは薬師なのかしら?」
「はぁい。これでも一級薬師なのですぅ」
クサリンは顔の横でピースサインを作りながら、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ! そんなにお若いのに一級の薬師だなんて、クサリンちゃんは天才なのね!」
「はぁい! だから猛毒にはとっても興味があるんですぅ」
「分かりましたわ。そういうことなら、お見せしても大丈夫でしょう。――はい、これですわ」
クリアは胸の谷間に挟んでいたペンダントトップを引き出し、
クサリンに手渡した。
クサリンは目の前に掲げて、しげしげと眺める。
それは指の長さほどの細い透明なケースで、
中には紫色の小さな丸薬が二十個ほど詰められている。
「なんですかぁ? この紫色の丸薬は」
「それが、ラッシュで一番の薬師様に調合していただいた毒薬ですわ。その丸薬を一粒飲ませると、相手はコロッと絶命しちゃうのです。イエイ。しかも、毒の痕跡が死体にまったく残らないという、素晴らしい猛毒なのです」
「ほえ~。痕跡が残らないなんてすごいですぅ。いったいどんな毒草を使っているんですかぁ?」
「わたくしも詳しいことは知らないのですが、どうやらガマザウルスのイボがないと作れないそうなんです」
「がっ、ガマザウルスだとぉ?」
九郎は愕然としてクリアを見つめた。
「はいですわ。最近はどこの街でも品切れでしたので、それでわざわざラッシュまで買い出しに行ったのです。だけどやっぱり品切れでしたので、自分で採りに行こうと思って準備をしていたら、ちょうど入荷があってラッキーでした。それでイボを買い占めて、氷の魔女という異名を持つ薬師様に、毒薬を調合していただいたのです」
(うーむ……。ってことはやっぱり、オレたちが倒したガマザウルスのイボか。まさかあれが、巡り巡ってこんなところで活用されるとは……。というか、こんな超ド級の大金持ちに需要があるのなら、金貨五十枚どころか、もっと高く売れたんじゃねーか……?)
もっと下調べをすればよかったな――と、
九郎は思わず渋い表情で考え込んだ。
するとクサリンがクリアを見上げて、ふと訊いた。
「えっ? 氷の魔女って、もしかして、シャルスさんのことですかぁ?」
「あら、やっぱりお知り合いだったのですね」
「はぁい。シャルスさんは、わたしのお師匠さまの一人ですから。だけどなんで、クリアちゃんはお兄さんを毒殺したいんですかぁ?」
「それはもちろん、お兄様が不甲斐ないからですわ」
クサリンから毒薬を返してもらったクリアは、
再び胸の谷間に押し込みながら言葉を続ける。
「お兄様は三年前に皇帝におなりになり、アルバカン王国と戦争を始めましたの。そして、国境に近い城を十も奪いました。ですが、アルバカンの王都が消滅したこのビッグウェーブに、なぜかお乗りにならないのです」
(ビッグウェーブって、おまえ……)
つい開きかけた口を、九郎は指で挟んで我慢した。
「いま総攻撃を仕掛ければ、アルバカンの領土を完全に征服できるのは間違いありません。それなのに、お兄様ときたら、国境に近いイゼロンに閉じこもってしまい、ちっとも戦おうとしないのです。領土が増えたらサザランの富も増え、わたくしの一生は益々安泰になるというのに、何をグズグズしているのかまったく理解ができません。ですからわたくしは、わたくしのためにお兄様をブッコロ暗殺して差し上げようと考えたのです。そして、わたくし自身が皇帝となり、サザラン軍を総動員してアルバカン王国をブッコロ滅ぼして差し上げようと決めたのです。それが、わたくしの未来と、サザラン帝国のためなのです」
(……なるほどな。そういうことか)
九郎はアゴに手を当てて考えた。
(今の話が本当だとすると、このアッパラパーなプリンセスは、意外とバカではないかも知れん。自分のためと言いながら、その行動はサザラン帝国の権益拡大に繋がっている。つまりこいつには、国の指導者になる資質があるということだ。しかも目的のためなら、暗殺されるリスクを承知で行動する勇気まである。うーん、まずいな……。第四皇女でこれだけ優秀なら、現在の皇帝はどんだけすごいヤツなんだ……?)
「……なあ、クリアちゃん」
九郎がふと、声をかけた。
「今の皇帝って、えっと……ハーキー・サザランだったな。そいつって、どんなヤツなんだ?」
「お兄様ですか? お兄様はろくでなしですわ」
「ろくでなしって、おまえ……」
じっとりとした目つきになった九郎に、
クリアはニッコリ笑って言葉を続ける。
「ろくでなしは、ろくでなしですわ。噂によると、最近は毎晩のように街の酒場でお酒を飲んで、女性をとっかえひっかえして遊びまくっているそうですから。しかも酒場をハシゴして一晩中飲み明かしては、夕方までひと眠り。それから再びオールナイトでゴーゴーしているらしいです」
「あー、うん。それはたしかに、ろくでなしっすネー」
九郎は瞬時に納得顔でうなずいた。
「クロロンも、やっぱりそう思いますでしょう? 来週にはもう二十二歳になるというのに、そんなに酒グセと女グセが悪いだなんて、皇帝失格ですわ。それなのに、他のお兄様やお姉様方はみーんな、ハーキーお兄様のやることを黙認していらっしゃるのです。ですからわたくしが皇族を代表して、お兄様をブッコロ暗殺して差し上げないといけないのです」
「よし。よく言った、クリアちゃん」
九郎は何度もうなずきながら、金髪プリンセスに拍手を送った。
コツメもオーラもクサリンも、真顔でうなずきながら拍手する。
クリアは青い瞳を輝かせ、一人ひとりに両手を振って口を開く。
「みなさん、ありがとうですわ。本当にありがとうですわ。わたくし、こんなに嬉しい気分になったのは、ここ二週間で初めてですわ」
「二週間って短いな、おい」
九郎は呆れ顔でクリアに話す。
「でもまあ、おかげで事情はだいたい分かった。だけどな、クリアちゃん。おまえは兄貴の暗殺をしない方がいいと思うぞ」
「あら? どうしてですの?」
クリアは心底驚いた表情を浮かべて九郎を見つめた。
「こういう展開は、ラノベやアニメで出尽くしているからな。王家のもめごとって言うのは、大抵はコミュニケーション不足から発生するんだよ」
「コミュニケーション不足?」
「そうだ。クリアちゃんは兄貴のことを不甲斐ないと言った。それは、アルバカン王国を征服しないからだ。だけど、おまえの兄貴はサザランの皇帝だからな。もしかしたら別のことを警戒しているのかも知れない」
「別のこと? いったい何のお話ですか?」
「もちろん、戦争の話だ」
九郎は北に広がる森の奥を指さした。
「オレはここら辺の地理には疎いんだが、たしかあっちには、ローソシアって国があるんだよな?」
「ええ、そのとおりですわ」
「もしも今、サザランの全軍がアルバカンに攻め入ったら、ローソシアがサザランに攻撃を仕掛けてくる可能性はないのか? さらに西や南の国も同じように、サザランの領土を侵略する可能性ってのは考えられないか?」
「まあ! それはたしかに考えられますわ!」
クリアは大きな目をパチクリとまばたいた。
「しかもだ。オレはこの地域の歴史をまったく知らないんだが、どうやらアルバカンの人間ってのは、かなり厄介な性格をしているそうじゃないか。そんなヤツらを統治するのは、半端じゃないリスクを抱え込むことになる。国民性の違う民族をまとめ上げるのは、千年かけても難しいからな。そういうデメリットを勘案すると、アルバカンを征服して領土が増えたとしても、逆にサザランを弱体化させる要因になると思う。そして、おまえの兄貴はろくでなしかも知れんが、このタイミングでアルバカンに攻め込まないということは、今オレが言ったことと同じ考えを持っている可能性がかなり高い」
「えぇっ!? まさか、あの女ったらしのヘンタイごみクズ大酒飲みのお兄様が、そんなに深いお考えをお持ちになっていたのですか!?」
「いや、ヘンタイごみクズ大酒飲みって、それはさすがにちょっと言いすぎだろ……」
九郎は小さく息を吐き出し、言葉を続ける。
「まあ、今の話はオレの仮説だから、頭から鵜呑みにされても困る。だけど、大抵の人間ってのは、自分の考えすべてを他人に話すことはない。それが責任の重い皇帝ともなればなおさらだ。クリアちゃんだって、自分の考えていることを全部、兄貴に話したりはしないだろ? だったら兄貴だって同じだ。コミュニケーション不足ってのは、そういうことだ」
言って、一つ咳払い。
クリアは真剣な表情で九郎の話に耳を傾けている。
「あー、まあ、つまり何が言いたいのかと言うと、クリアちゃんが兄貴を暗殺するのは自由だが、殺すだけならいつでもできる。だから、自分が兄貴のことを誤解していないか、きちんと確認してから殺しても遅くはないんじゃないかってことだ。もしかしたら他の兄弟姉妹たちは、皇帝の考えを知っているから、あえて黙認している可能性もあるからな」
「それはたしかに、そのとおりですわっ!」
クリアは小さな鼻の穴を膨らませながら声を張り上げた。
「すごいですわっ! クロロンはとっても思慮深い女の子だったのですねっ! まるで大賢者様とお話ししているみたいですわっ!」
(すんません……中身は男っす……。しかもけっこうな大人っす……)
九郎は自嘲気味に顔を歪め、皇女殿下から目を逸らす。
するとクリアは九郎の顔を両手で挟み、まっすぐ見つめて言葉を続ける。
「分かりましたわっ! わたくしは、お兄様が救いようのないろくでなしだということをキチンと証明してみせませすわっ! そして正々堂々と真正面から、ブッコロ暗殺して差し上げますわっ!」
「そ……そっすか。まあ、正々堂々と暗殺するのはけっこうだが、とりあえず手を離せ」
九郎はクリアの顔を手で押して突き放す。
「ま、正当な理由を付けて暗殺するのは、古今東西どこの国でもそう珍しくはない話だ。とりあえず、兄貴がアルバカンに攻め込まない理由を知りたければ、税金の流れでも調べてみたらいいんじゃないか?」
「えっ? 税金ですか?」
「ああ、そうだ」
九郎は親指と人差し指で丸を作りながらクリアに言う。
「たしかさっき、アルバカンの城を十個ほど占領したって言ってただろ? だったら、そこの税金の歳入と歳出をチェックすれば、アルバカンの人間がどういう性格なのか分かるはずだ。オレの予想だと、おそらくかなりの税金を横領していると思う。そんなヤツらを国ごと丸々引き受けたら、国内の管理だけでサザランはてんてこ舞いだ。国民ってのは、国家にとって毒にも薬にもなるからな。アルバカン人みたいな毒には、なるべく近づかない方が賢明だ。だから、アルバカンを征服しないおまえの兄貴はかなり賢いとオレは思う。もしも兄貴がその十の城の税金をきっちり調べていたら、その証明になるだろ」
「なるほどですわっ! そいつはたしかにエックセレェーントッ! わたくし、イゼロンに着いたら、すぐに税金のことを調べてみますわっ!」
「おう、ぜひそうしてくれ。ああ、だけど念のために一つ言っておくが――」
九郎はクリアの鼻先に指を一本突きつけた。
「もしも税金を横領しているヤツが大勢いたとしても、そいつらを皆殺しになんかするんじゃないぞ?」
「あら? どうしてですの? 悪い人間なんか片っ端からチョッキンしちゃって、いいと思いますけど?」
「はい、ダメですぅ。絶対ダメですぅ。そういう極端な対応が、国を滅ぼす伏線になるんですぅ」
クリアがチョキチョキ動かしている指の間に、九郎は人差し指を突っ込んだ。
「いいか? おまえが一生楽に生きていきたいと思うように、誰だってそう思うんだ。そしてほとんどの人間は、手の届くところに金があったら、ついついこっそり取っちゃうんだよ。銀行員だって仮払金を自分の口座に不正送金してネコババするし、警察だって証拠品で押収した現金を金庫から盗んじゃうんだ。だけどな、そういうヤツらを殺していたらキリがないし、どんな理由があっても、人を殺したらそいつの家族に恨まれる。そういう恨みは積もりに積もって、いずれサザランを滅亡させる大きな波に変わるんだ。一人の人間の怒りが国民全体に波及して、国家をひっくり返すジャスミンの花が咲いたこともあるぐらいだからな。だから、横領していたヤツらにはちょっぴりきつめの罰を与えて、それで許すのがベストだ。靴ひもを結ぶのと同じように、キツすぎてもユルすぎてもダメなんだよ。分かったか?」
「それじゃあ、腕一本ぐらい?」
「アホかぁーっ! そんなんダメに決まってるだろっ! 極端なのはNGだっつーの。腕も足も、指一本でも切り落とすのは絶対にダメ。せめて財産の半分を没収するぐらいにしておけ。悪いことをしたら、逆に損をするって思わせればいいんだ」
「ぅわっかりましたわっ! わたくしっ! 何だか目が覚めたような気分になりましたわっ!」
クリアは突然、空を覆う黒雲に両手を掲げた。
そして高らかに笑いながらくるくると回り出す。
その無邪気な姿を横目で眺め、九郎はがっくりと肩を落とす。
「まったく……。オレはいったい、何をやってんだか……」
「まったくだ」
不意にコツメが、九郎の頬を指で押した。
「クリアにサザランの皇帝を暗殺させておけば、クロの目的は達成していたはずだ。それを自分で阻止してどうする」
「ほんとだよ……。返す言葉もありません……」
九郎はさらに意気消沈し、とぼとぼと歩く。
すると九郎の丸まった背中を、コツメが平手で軽くはたいた。
「だがしかし、今の話は悪くなかった。自分も暗殺者だが、殺す相手は選びたいからな」
「……それじゃ、暗殺者に向いてねーだろ」
「そんなことはないぞ。自分はこれでも、故郷ではけっこう強い方だからな」
言って、コツメは背中の小太刀を素早く引き抜く。
白銀の刃は一瞬で無数の閃光を煌めかせ、音より速く鞘に戻る。
その剣さばきを見て、九郎はぽつりと呟いた。
「そんだけ強いんだったら、剣聖にでもクラスチェンジすればいいじゃねぇか」
「ほう。なるほど。剣聖か。クロはずいぶんと面白いことを口にするな」
コツメは街道のはるか彼方を見据えながら、
口の端をわずかに緩める。
「何が面白いんだか、オレにはさっぱり分かんねーけどさ――」
九郎は空を見上げて、息を吐く。
天を覆う分厚い黒雲――。
重苦しい蓋が見渡す限りどこまでも広がって、
街道を往く五人のもとに冷たい風を運んでくる。
じきに日暮れの刻限というのに、夕焼けの赤はどこにもない。
じっとりとした灰色の空気だけが、世界を静かに満たしている。
「……そろそろ天気の方がやばいってことは、一目瞭然だな」
九郎は呟き、歩く速度を少し上げた。