第五章 9
「――はぁーいっ! どもどもーっ! こぉーんにーちわぁーっ! わったくしがっ! クリアちゃん十五歳でぇーっすっっ!」
やたらに元気な金髪少女が、
いきなり顔の横で手のひらを広げて笑顔を振りまいた――。
若い騎士の先導で酒場を出た九郎たちは、
馬車小屋の前に止まっていた四頭立ての立派な馬車に案内された。
騎士によると、怪我をした仲間の手当が必要なため、
この馬車一台だけが先にイゼロンに向かって出発するという。
そこで九郎たちは一緒に乗せてもらうことにして、
村まで乗ってきた馬車を馬車小屋の主人に譲り渡す。
そしてすぐに走り出した馬車の中で、金髪少女が可愛らしい声を張り上げた。
「あなたたちが、わたくしをピンチから救ってくれた、勇者ガールズちゃんたちねっ!」
黒いドレス姿の少女は、嬉しそうに微笑みながら青い瞳をまばたいた。
(何だ? このアッパラパーなブロンド娘は)
三人掛けの真ん中に座った九郎は、
向かいの金髪少女をじっとりとした目つきで見た。
(……ふむ。丈の短い黒いドレスとパンプスには、家紋らしき金色のひし形模様。黒いコウモリ型のリボンで長い金髪をゆるやかに結び、手には黒い手袋。肌は真っ白だし、明らかにハイソサエティな人種だな……。まあ、頭の方は少しばかりアレっぽいが、足代で金貨五十枚を出すぐらいだから、気前はかなりよさそうだな……)
九郎は相手を推し量りながら、ゆっくりと口を開く。
「……あー、えっと、クリアさんだったな」
「クリアちゃんだよーっ!」
(うあー。何かめんどくせーなー、こいつ)
再び顔の横で手のひらを広げたクリアに、九郎は思わず眉を寄せた。
「それじゃあ、えっと、クリアちゃん。オレは九郎だ。横にいる赤毛がオーラで、黒髪がコツメ。あんたの隣にいるのがクサリンだ」
「はーいっ! おっけーっ! 桃色ちゃんがクロロンで、赤毛ちゃんがオラランね。黒髪ちゃんがコツコツで――こっちの緑ちゃんがクサクサね」
その瞬間――クサリンは腰の箱から薄い金属ケースを素早く引き抜いた。
そして中身のしびれ薬をクリアの顔面にぶっかけた。
「えっ!? おほっおほおほっ! なっ、なにこれっ!? こほっ! こほこほっ! もー、クサクサったら、何するのよ――って、はら?」
粉末を吸い込んだクリアは、隣の席にパタリと倒れて動きを止めた。
クサリンはすぐにクリアの前にしゃがみ込み、
にっこりと微笑みながら声をかける。
「はぁい、こんにちはですぅ、クリアちゃん。で・す・が。わたしの名前はクサリンでぇす。クサリンと申しまぁす。いいですかぁ? いいですねぇ? クサリンでぇす。クサリンでぇす。クサクサではありませぇん。クサリンでぇす。クサリンでぇす。わたしの名前を口にする時は、必ずクサリンと呼んでくださぁい。クサリンですよぉ? クサリンでぇす。どうしても『ちゃん付け』したいなら、クサリンちゃんと呼んでくださぁい。クサリンちゃんです。クサリンちゃんです。だ・か・ら。もう一度クサクサなんて口にしたら、今度は鼻の中に赤トンガラシを突っ込みます。いいですかぁ? いいですねぇ? それでは、リピート・アフター・ミー。クサリンちゃん。はいっ!」
「ひゅ……ひゅ……ひゅはひんひゃん……ひゅは、ひゅはひんひゃん……」
クリアは目を見開いたまま、
ほとんど動かない口で、か細い声を何とか漏らした。
「はぁい。よくできましたぁ」
クサリンは嬉しそうに微笑みながら、クリアの頭を軽くなでる。
そしてすぐに元の場所に戻って腰を下ろす。
すると九郎たち三人は力強くうなずきながら、一斉に右手の親指を上に立てた。
「よくやったクサリン。相手が誰であろうと、己の信念を貫く姿勢は立派だぞ」
「はぁい。もちろんでぇす。直接手出しできない相手には呪い魔法を使いますから、誰であろうと逃しませぇん」
九郎にほめられたクサリンは、両手の指でキツネを作り、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、そういうわけで、クリアちゃん。クサリンのしびれ薬は十分ほどで切れるから、それまでこちらの話を聞いてもらおうか――」
九郎は一方的に言い含め、クリアたちを助けた経緯を説明した。
「――うーっ、なぁるほどっ! 話はよーっく分かったわんわんっ!」
薬の効果が切れたとたん、クリアが元気な声を張り上げた。
「つまりクロロンたちは、わたくしのピンチをたまたま見かけて助けてくれたのね! そして今から城塞都市イゼロンにのり込んで、極悪非道の大魔王、ハーキー・サザラン皇帝陛下をブッコロ暗殺するってことね! ウワァーオッ! そいつはとってもエックセレェーントッ!」
「あー、ブッコロ暗殺って表現は初耳だが、まあ、そういうことだ。暗殺の件は言うつもりはなかったが、うちのおバカな赤毛ちゃんがペラペラとしゃべりやがったからな」
言って、九郎は隣のオーラをじっとりにらむ。
しかしオーラは悪びれもせず、にっかり笑って見つめ返す。
九郎は深々とため息を吐き、再びクリアに顔を向けた。
「ま、そんな感じで、こっちの事情は今話したとおりだ。それで、クリアちゃんの方はどういう事情なんだ? 何でまた、あんなところで暗殺されかかっていたんだよ」
「そっれはもちろんっ! このわたくしがっ! サザラン帝国の第四皇女だからに決まっていますわっ!」
その瞬間、馬車の中は沈黙に包まれた。
土の街道を走る馬車は、時折小石を踏んで縦に揺れる。
ガタン、ガタンと、前輪と後輪で二度揺れる。
その都度、車内に座る五人の尻も、
座席からわずかに浮いて、また下がる。
そしてそれが三度続いても、誰一人として口を開かない。
みな一様に押し黙り、完璧な無言が場を支配した。
コツメはいつもどおりの澄ました顔で座っている。
オーラもいつもどおり、にっかりと笑いながら座っている。
クサリンもいつもどおり、にこりと微笑んで座っている。
クリアはニコニコと満面の笑みで座っている。
九郎は下痢を我慢している時のようなしかめ面で、
顔中から脂汗を垂れ流しながら座っている。
「……あのぉ、クリアちゃん。つかぬ事をお伺いしますが、サザランの第四皇女って、マジっすか……?」
馬車が四度目に揺れたあと、九郎がおそるおそる訊いてみた。
するとクリアは即座に両のこぶしを握りしめて胸を張る。
「マジですわっ!」
「マジっすか……。ということは、クリアちゃんは魔王の娘ってことっすか……?」
「違いますわっ! 妹ですわっ! お兄様にとってわたくしは、超最愛の妹ですわっ!」
「なるほど、そうっすか……」
九郎はぽつりと呟き、目を逸らしたまま立ち上がる。
「えっとぉ、それじゃあオレたちは、この辺で失礼させていただきますね……。はーい、おまえらー、そろそろお暇するから、速攻で馬車から飛び降りるぞー」
三人娘に指示を出し、九郎は脇に置いていた荷物を抱きかかえる。
そしておもむろに客車のドアを押し開け、走行中の馬車から飛び降りた。
九郎は地面を何度も転がって立ち上がり、走り去る馬車に目を向ける。
すると、他のみんなも次々に飛び出してきた。
乾いた地面に、白いローブのコツメが転がる。
赤いジャケットのオーラも転がる。
緑のローブのクサリンも転がる。
黒いドレスのクリアも転がる。
四人はすぐに立ち上がり、服の汚れを手で払う。
そして和やかに談笑しながら九郎に向かって歩いて来る。
「いやー、さすがのあたしも、馬車から飛び降りたのは初めてだな」
「わたしも初めてですぅ」
「わたくしも初めてですわっ!」
「自分は五、六回ほど経験したぞ」
「まあ! コツコツは経験豊富なのですね!」
「いやいや、その程度は経験のうちに入らん」
「そんなことはありませんわっ! クサリンちゃんもそう思いますわよね?」
「はぁい。コツメさんは経験豊富なお姉さんですぅ」
「おいおい、それならあたしだって経験豊富だぞ? こう見えて、ジブリンとハイ・ハイヴの戦争にも参加したことがあるからな」
「まあ! オラランは大陸間戦争の経験があるのですか?」
「おうっ! あたしは最前線で一年間も生き延びたからな! サバイバルには自信があるぞっ!」
「ほう。それは初耳だが、すごいじゃないか。自分もあの戦争には少しだけ顔を出したが、一年も生き延びた傭兵は珍しい。やるな、オーラ」
「おうともっ! あたしはもちろん、すごい傭兵だからなっ! にゃっはっはっはっはっはっはっ!」
「あら! コツコツも、あの戦争に参加したのですか?」
「うむ。自分は故郷の掟で――」
「――はーい、ストップストッープ」
不意に九郎が両手を上げて、四人の会話を振り払った。
「よーし、おまえら、ちょっと待て。何かおかしいことに、そろそろ気づけ」
「どうした、クロウ。何がおかしいんだよ」
「そうですよ、クロさん。荷物なら、みんなちゃんと持ってきましたよ?」
「うむ。そうだぞ、クロ。別に苦しゅいことなんか、何もないだろ」
「どうしたんですの、クロロン。何かおかしなことがありまして?」
「お・ま・え・だ・よっ! お・ま・えっ!」
九郎はクリアの白い鼻に指を押しつけた。
「おまえのせいで普段より会話が一行多いんだっつーの! 走ってる馬車からいきなり飛び降りたオレもちょっとアレだが、何で皇女殿下まで飛び降りてんだ! しかも、しれっと違和感なく会話に混ざってどうすんだ! このボケ! ボケプリンセス! まったくもう。こんなん、はたから見たら、オレたちがおまえを誘拐したみたいじゃねーか」
「あら! それなら大丈夫ですわ! わたくしがクロロンのパーティーメンバーに加われば、何の問題もありませんわ!」
「問題しかねぇだろうがっ! サザランの皇帝を暗殺するパーティーにプリンセスが加わってどうすんだぁーっ! アホかぁーっ! おまえはドアホウかぁーっ! しかも服の色が黒だとコツメの戦闘服とかぶるから混乱するわぁーっ! このボケぇーっ!」
「あら! それなら大丈夫ですわ! 髪の毛の色がダブっていませんもの! 黒、赤、緑、桃色、金色で、問題なんか何もありませんわ!」
「それはたしかにそうですねぇぇぇーっっっ!」
九郎は灰色の空に向かって力の限り怒号を上げた。
そしてすぐに呼吸を整え、再びクリアに指を突きつける。
「よーし、分かった。おまえがバカだということはよーっく分かった。――おーい、おまえら。とりあえずこのアッパラプリンセスを返品するから、馬車を追いかけるぞー」
「おう」
「はぁい」
「うむ」
「はいですわっ!」
「いや、おまえは返事をするな」
九郎はクリアの白い頬に、指をぐりぐりと押し込んだ。
そしてすぐに、走り去った馬車を追って歩き出した。