表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/106

第五章 6



(……なるほど。たしかにコツメが言ったとおり、馬車はどれも六人ほどしか乗れそうにない大きさだな)


 街道の右端に停まっている馬車の脇を歩きながら、九郎は横目で観察した。



(御者は中年の男性が一人ずつ。どう見ても普通の村人だな。幌付きの荷車の中には、三人から四人の男が座っている。こちらも村人っぽい格好だが、どいつもこいつも剣や槍を握っていやがる。こいつはちょっと、剣呑けんのんな雰囲気だな……)



 九郎は不意に先頭馬車の横で足を止め、明るい声で御者の男に声をかけた。



「こんちは、おじさん。何でこんなところで止まってんの?」


「うん?」


 御者は九郎に気づくと、軽く手を上げて口を開いた。


「ああ、こんにちは。ここに止まってるのは、お客さんに頼まれたからだよ」


「客?」


「ああ。ワシらは貸し馬車だからな。今は団体客をサザリスまで送る途中なんだ」


 御者は、荷台に座る男たちに親指を向けて言った。


「へぇ、そうなんだ。貸し馬車ってもしかして、ここまで来る途中の村の?」


「ああ、そうだよ。どういう客だかよく分からんが、この辺の村の馬車を全部借り上げて、ここまで来たんだ」


(なるほど。こいつらが、あのはた迷惑な団体客ってわけか)


 九郎は一列に並ぶ馬車を軽くにらみつけ、また御者に訊く。


「それで、何でこんな何もない道の真ん中にいるんだ?」


「それなんだが、雨が心配なんだとさ」



「雨?」



 御者が灰色の空を指さしたので、つられて顔を上げて天を眺める。


「うーん……言われてみると、たしかに雨が降りそうな気配だけど、だったらさっさと次の村まで走った方がいいんじゃないか?」


「ワシもそう言ったんだがね」


 御者は軽く肩をすくめた。


「なぜか知らんが七台だけ先に行かせて、ワシらはここで待機だとさ。お客さんたちは今、一つ後ろの馬車に集まって、先に進むか後ろに戻るか相談している最中らしい」


「ふーん、そうなんだ」


 言いながら、九郎は二両目の馬車に目を向ける。

 するとたしかに、何人かが額を寄せ合って話し込んでいる。


「それでおじさんは、雨が降ると思う?」


「そうさなあ……この雲行きだと、まだ五、六時間は平気かな。たぶん、陽が沈むころには降り始めるだろ。お嬢ちゃんたちは急いだ方がいいな。少し急げば、次の村までぎりぎり間に合うから」


「そっか。分かった。ありがと、おじさん」


「はいよ。気をつけてな」


 九郎は礼を言って歩き出した。

 しかしすぐに足を止めて、御者の方を振り返る。


「そうだおじさん。この辺の名物料理って、何かあるかな?」


「名物料理? そうさなあ、この辺は田舎だから、特に気の利いたものはないが、この先の村に行くなら、アシュボラが美味いぞ」


「アシュボラ?」


「ああ、アシュボラってのは、じゃがいもを煮込んだトマトスープに、パンをつけて食べる料理だよ。どこか南の国の郷土料理らしいが、こいつがまた、えらく美味いんだ。特にこの先の村はチーズ造りが盛んでな、パンの中にチーズが入っているんだが、それをとろとろのスープにつけて食べると、もう病みつきになること間違いなしってなもんだ」


「おおっ! それはぜひとも食べてみたいっ! おじさんありがと。ちょっとアシュボラ、食べてみるよ」


「はいよ。それじゃな」


 九郎は軽く頭を下げて、今度こそ振り返らずにまっすぐ歩く。


 そして、馬車が見えなくなるほど離れたところで棍棒を分解し、

 腰の後ろの鞘に納めた。



「なあ、コツメ。さっきの団体客は、何だと思う?」



「うむ。あれはおそらく傭兵だ。ヤツらの剣と槍は、それなりに値が張るものだ。手入れもじゅうぶんにしてあった」


「やっぱ、そうだよな」


 淡々と答えるコツメに、九郎も首を縦に振る。


「だけど、ヤツらの狙いはオレたちじゃない。さっき、カマをかけていきなり振り向いてみたが、誰もオレたちを見ていなかったからな」


「うむ。御者を除くと全部で二十一人だったが、誰もこちらに敵意は持っていなかった。あいつらの狙いは分からないが、無視していいだろう」


 コツメの言葉に、オーラは残念そうに肩をすくめる。


「ちぇ~、なーんだ。せっかく気合い入れてたのによぉ」


「いいじゃないですか、オーラさん。それよりわたし、早くアシュボラを食べてみたいですぅ。まだお昼前なのに、もうお腹がすいてきちゃいましたぁ」


「おうっ! それもそうだなっ! 今夜はアシュボラで一杯やるぞぉ!」


「おーっ!」


 オーラとクサリンは意気投合し、こぶしを曇天に突き上げた。


 九郎は思わず、苦笑いを浮かべてクサリンに言う。


「いやいや、クサリンにお酒はまだ早すぎるだろ。この前飲んだみたいな、アルコールが抜けたホットワインで我慢しとけ」


「えぇ~。わたしもビールを飲んでみたいですぅ~」


 クサリンは小さな唇を尖らせて抗議する。


 九郎は揺れ動く短いツインテールを指で弾いた。


「いやいや、ビールなんて別に美味くも何ともないんだぞ? 特にこの辺のビールは基本的に生温いし、のどごしだっていまいちだからな。あれを飲むくらいなら、コーヒーを飲んだ方が――」



「おいこら、クロウ。ちょっと待てや」



 不意にオーラが足を止めて、九郎を真正面からにらみ下ろした。



「ビールが何だと? テメーは今、ビールがマズイって言ったのか? あたしの大好きなビールちゃんをけなしたのか? それはつまりあれか? あたしの好きなモンをけなすってことは、あたしにケンカ売ってるってことだよなぁ? ケンカ売ってるってことは、死ぬ覚悟があるってことだよなぁ? 死ぬ覚悟があるってことは、ぶっ殺されても文句は言わないってことだよなぁ? だったらテメー、今すぐここで死んでみるか? いっぺん死んでみたいんだよなぁ? あぁん?」



「あ? あんだとこのヤロウ」



 鬼のような形相でにらんでくるオーラに、

 九郎も鼻の頭を押しつけながらにらみ返す。



「いきなり何言ってんだ、テメーはよ。たかがビールごときでいきなりキレてんじゃねーぞコラ。この前はテメーの魔剣を放り投げたオレが悪かったから黙っていたが、飲み物ごときでイチャモン付けられる覚えはねーんだよ、このボケが。しかも何だ? その頭の悪い三段論法は。テメーは結局、ぶっ殺すって言いたいだけじゃねーか。だったらいいぜ、ほら、やれるもんならやってみろよ、このヘボ魔剣士が。そもそもヒト様にテメーの好き嫌いをいちいち押しつけてんじゃねーよ、このダボが。どんだけ怒りの沸点が低いんだよ、テメーはよぉ。そっちこそオレにケンカ売ってんなら、ぶっ殺される覚悟でかかってこいや。あぁ? おらおら、どうした、オーラさんよぉ。さっさとご自慢のケンポーパンチを撃ってみろよ。おうコラ――おっぶろぼぉーっっ!」

 

 言ってる途中でオーラがいきなり九郎の腹をぶっ飛ばした。


 九郎は胃液を吐きながら宙をすっ飛び、路上に倒れて転がった。


 ダンゴムシのように丸まった九郎に、

 オーラはこぶしの骨を鳴らしながらゆっくりと近づく。

 

 そして、地獄の炎を宿した瞳でにらみ下ろす。


「おう、どうだクロウ。これがあたしのケンポーパンチだ。あんだけでかい口叩いたんだから、一発じゃ物足りねぇだろ。おかわりならいっぱいあるから、冥途の土産にたっぷり味わってくたば――うっぼろぶぁっ!」



 今度はオーラが、いきなり腹を押さえてその場に倒れた。



「もう、二人とも、いきなりケンカなんかしないでくださぁい」



 不意にクサリンが小さな頬を膨らませた。



 二人から少し離れた場所に立っているクサリンは、

 緑色の金属ステッキを九郎に向けていた。

 

 ステッキの周囲にはどす黒い魔法陣が渦を巻き、

 あふれ出すヘドロのような暗黒が、

 ボコボコと泡を立てて不気味な黒い煙を噴き上げている。


「く……クサリン、これは……?」


 倒れていた九郎が立ち上がり、きょとんとした表情で腹をさする。


「な……何が何だか分からんが、さっきまでの激痛が嘘みたいに消えている……。まさかこれがハトバクなのか?」


「はぁい、そのとおりですぅ」


 クサリンはにっこり微笑み、どす黒い魔法陣ごとステッキをくるりと回した。


「ぃよぉーしっ! よくやったクサリンっ! 今度はこっちの番だオラァーッ!」


 九郎は唐突に気合いを放ち、一瞬で棍棒を組み立てる。


 そしてそのまま風を切って大きく振り回し――

 すくい上げるようにオーラの腹を叩き上げた。


 

 そのとたん、胃液を吐いて苦しんでいたオーラが宙に浮いて転がった。



 赤毛の剣士はさらなる激痛に苦悶の声を吐き散らし、

 息も絶え絶えに白目を剥いた。



 次の瞬間――クサリンがオーラにステッキを向けて呟いた。



「――ハトバク」



「おっぼぉぅーっ!」



 九郎が再び胃液を吐きながらもんどり打ってその場に倒れた。

 さらにそのまま、茹でた海老のように体を丸めてもだえ始める。


「もぉ~、二人とも、いい加減にしてくださぁい」


 クサリンは小さな頬をぷっくりと膨らませて二人をにらみつけた。


 そして、どす黒い魔法陣を浮かべたステッキを左右に振りながら、

 向かい合って倒れている九郎とオーラの頭上にしゃがみ込む。


「いいですかぁ? 今度殴り合いのケンカをしたら、下痢が止まらなくなるお薬を飲ませますからね? わかったら、今すぐ仲直りしてくださぁい」


 九郎とオーラは、顔面から脂汗を垂れ流しながらお互いを見た。


 そしてほぼ同時に震える右手をゆっくり差し出し、

 固い握手を交わしてうなずく。

 

 さらにそのままダメージが回復するまで、二人仲良く地面の上で動きを止めた。




「――いやいや、まったく、ひどい目に遭ったぜ……」


 再び歩き出した九郎がぽつりと言った。


「見た目は美少女の仲間同士が、いきなりガチの殴り合いを始めるとか、普通あり得ないだろ」


「いやぁ、ごめんごめん」


 九郎の横を歩くオーラが、にっかり笑って頭をかいた。


「悪いな、クロウ。あたしってさ、昔っからこうなんだよねぇ。普段はあんまり腹が立たないのに、好きなものをけなされたら、なぜか急に殺したくなっちゃうんだよ」


「いやおまえ、そんなあっさり殺したくなるとか言うなよ。マジで怖いぞ……」


 九郎は腹をさすりながら、じっとりとした目つきでオーラを見る。


「だけどまさか、マジでぶっ飛ばされるとは思いもしなかったぜ……」


「あたしだって、まさか棍棒でぶん殴られるとは思わなかったけどな。だけどまあ、今日のところは引き分けってことにしといてやるよ。あたしと本気で殴り合うヤツなんて、久しぶりだからな」


 オーラは嬉しそうに微笑み、九郎の肩をこぶしでつついた。


「まったく……。ケンカしてもすぐに水に流せるそういうところは、正直尊敬するぜ」


「そんなの当たり前だろ。一つ気に食わないところがあっても、それで全部が嫌いになるわけじゃないからな。あたしはたぶん、クロウのことを嫌いにはならないと思うぞ」


「そうかそうか。そいつはどうも、ありがとさん」


 言って、九郎は一つ息を吐き出す。

 それからふと、オーラに指を向けて訊いてみた。


「そういえばオーラ。おまえ、年はいくつなんだ?」


「え? 年って、あたしの年齢か?」


「そうだ。よく考えたら、おまえとコツメの年齢を聞いてなかったからな。オレの体は一応十六歳で、クサリンは十三歳だろ。おまえたちは?」


「あたしは、十八だけど」


「自分はこの前、十七になったばかりだ」


 オーラに続いて、コツメも淡々と口にした。


「ほほう、なるほど。それじゃあ全員、見た目どおりの年齢ってわけだな。ああ、でも一応言っておくけど、あとになって本当は年齢を誤魔化していましたー、っていうオチとかナシだからな」



「おう、当たり前だろ」

「はははははははひっ。そそそそそそそんなの当然ですよぉぉぉ」

「うむ。苦しゅうない」



「はい、よーし。毒ロリ娘はあとで職員室に顔を出せ」


 九郎は緑色の髪の毛をじろりとにらむ。


 するとクサリンは眼球を左右に泳がせながら、

 小さな両手をわなわなと横に振って九郎を見上げる。



「どどどどうして、わわわわたしだけ、よよよ呼び出しされなくちゃいけないんですですかぁ?」



「まあまあ、落ち着け、クサリン。まだ慌てるような時間じゃないからな」


 九郎はショートポニーテールを指でつまみ上げ、言葉を続ける。


「いいか? おまえが本当は十二歳とか十一歳とか、十とか九とか八とか七とか、六とか五とか四とか三とか、二とか一とかゼロなら許す。そりゃあもう全力で許してやる。ンなぜならば、実際の年齢より上にサバを読む女は許していいという、大宇宙の法則があるからだ。ンだがしかぁーしっ! 


『クサリン十三歳、かっこ、三周目、かっことじ』


 とかなら、オレたちはもぉ絶対に許さないっ! そりゃあもぉっ! ン絶対に許さないっ! ちなみにオレたちというのはこのオレとぉっ! 掲示板に常駐している『おまえら』という名の荒ぶる神々のことだぁーっ! わかったかぁーっ! ンわぁかったかぁーっっ!」



「あうぅ……あうあう……あうあうあうぅ……」



 怒鳴られたクサリンは、大粒の涙をこぼして泣き出した。


「あうぅ……そんなにおおきな声で怒鳴らないでくださぁい……あうぅ……あうあうあうぅ……」


 足を止めて小さな肩を震わせ始めたクサリンを見て、

 九郎は、はっと我に返った。


「ああ、悪い、クサリン。つい調子にのって、思わずでかい声を出しちまった」


 九郎は慌ててローブのポケットからハンカチを取り出し、

 クサリンの涙に押し当てた。


「まさかそんなに泣くとは思わなかったんだよ。ほんと、オレが悪かったよ。ごめんな」


「はひ……。だけどもう、怒鳴らないでくださぁい……」


 クサリンはハンカチを受け取り、下を向いて涙を拭き取る。

 そして両手で顔を隠しながら、口元をニヤリと歪ませた。



 するとその時、不意にコツメが淡々と言葉を漏らした。



「……おい、クロ。また馬車が見えてきたぞ」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ