第五章 5
「――ぬぅ。ラッシュからイゼロンまでの距離はおよそ百五十キロ……。東京駅から百五十キロっていうと、富士山を軽く越えて静岡県の真ん中辺り……。馬車なら三日、徒歩なら六日……。つまり、明日には到着するはずだ……」
曇天の早朝、九郎は幅の広い土の街道を歩きながら、
疲れ切った声を漏らした――。
ラッシュの街を脱出した翌日の早朝――。
森の中で目を覚ました九郎たちは、朝日が昇る前に森の南東を抜けて、
南の街道に足を向けた。
途中で出会った農夫に話を聞くと、昨日の夜、
ラッシュの警備兵が大挙して森の西に駆けて行ったという。
九郎は自分の予想が当たっていたことを確信しながら、
ひたすら南に歩を進める。
そして街道に出ると、馬車を求めて近くの村を訪れた。
ところが、村には馬車が一台もなかった。
理由を尋ねると、
どこかの団体客が三台しかない馬車をすべて借りていったという。
九郎たちは肩を落とし、一日かけて隣の村に徒歩で向かった。
しかしその村にも、そしてそのまた次の村にも馬車はなかった。
やはりどこかの団体客が借り上げたあとだという。
結局、九郎たちは一度も馬車に乗ることなく四日間歩き続け、
四つ目の村を日の出とともに出発した。
そして分厚い雲の下をとぼとぼと歩きながら、九郎はぽつりとグチをこぼす。
「……くそ、いったいどこのどいつだ? こんな絶妙なタイミングで四つの村の馬車をすべて借りていくなんて、どんだけオレに対するピンポイントなハラスメントをかましてくれんだよ……」
「まあまあ、クロさん。この辺の村には馬車があまりありませんから、仕方がないですよぉ」
「おうっ! 仕方ない、仕方ない! ほらクロウ! あの山、けっこうでっかいぞ!」
慰めるようにクサリンが微笑むと、
少し前を歩くオーラが南に見える山を指さした。
「……ん? ああ、たしかにでかいな。あれがネクパール山か」
つられて九郎も目を凝らす。
はるか彼方の山頂は、真っ白に染まっている。
「そういえば、あの山の東側がアルバカン王国で、西と北側がサザラン帝国なんだよな。つまりあの山が、実質的な国境ってわけか」
「だけどクロさん、この辺も今はサザランの支配地域ですけど、昔はアルバカンの領土だったんですよ」
「ああ、そうらしいな」
クサリンの言葉に、九郎は軽くうなずいた。
「さっきの村の宿屋の主人が、サザランに占領されて暮らしがよくなったって喜んでいたからな。なんでもアルバカンの税金は職業ごとに固定されていて、人によっては働けば働くほど貧乏になるっていうとんでもない制度なんだろ? どうやらアルバカンの王様は、内政にはあまり力を入れてなかったみたいだな」
「それは王様のせいというより、アルバカン人の性格だと思います。あの国の人たちって、領土を広げてもそれだけで満足しちゃって、税金のこととか土地の整備にはあまり興味がないんです。そのくせ、サザランが村を占領して発展させると、その村は自分たちが大切にしてきた村だから返せ――って、大きな声で責め立てるんです」
「ああ、その話なら宿屋の主人も言ってたな。アルバカンの人間ってのは、かなり自分勝手な国民性だから、まともに相手をするだけムダとかなんとか」
「あれは自分勝手というより、ほとんどドロボウですぅ」
クサリンは軽く頬を膨らませながら話し続ける。
「前に、薬師グループがサザランと協力して、じゃがいもの品種改良に挑戦したことがあるんです。それで、何年もかけて研究した結果、収穫量が三倍に増える品種を作りだすことに成功したんですけど、その種イモを、アルバカンの人が盗んでしまったんです。しかも自分たちの土地で大量生産を始めると、そのじゃがいもを作ったのは自分たちだ――っていいだしたんです。アルバカンの人っていうのは、そういう卑怯で卑劣な人たちばっかりなんです」
「なるほど、そいつはたしかにとんでもない話だな。だけど、アルバカンに住んでいる全員が悪い人間ってわけじゃないだろ?」
「いいえ、クロさん。アルバカンには悪い人しかいないんです」
クサリンは小さな唇を尖らせた。
「だって、他の国のものは盗んでいいって、国民全員が本気で思っているんです。しかも、世界の歴史を自分たちの都合のいいようにねじ曲げて、よその国はすべて悪い国で、アルバカンだけが最高に優れた国だって、子どもたちに教育しているんです。あそこはもう、腐ったプライドにしがみついている腐った国なので、すべての国民が腐りきっているんです」
「そ……そうなのか。どうやらクサリンは、アルバカンの人たちがあまり好きじゃないみたいだな……」
「はぁい。だいっっきらいですぅ。もう、ぜんいん死んじゃえ、って感じですねぇ~」
言い切って、クサリンは無邪気に微笑む。
その笑顔に、九郎は思わずごくりとつばを飲み込んだ。
するとクサリンが、指を一本立てて言葉を続ける。
「だけどこれは、わたしだけの意見じゃないですよ? あのじゃがいもの一件で、世界中の薬師がアルバカンを毛嫌いしているんです」
「ああ、種イモを盗んだ件か」
「はぁい。だからアルバカンには薬師グループどころか、医学ギルドが常駐していないんです。しかもあそこの王様って、気に入らない人がいるとすぐハリツケにして殺してしまうので、魔法ギルドもずいぶん前に撤退したんです。誰だってそんな恐ろしい国とは関わりたくないから、逃げだして当然ですよねぇ」
「うーん……。アルバカンって、そこまでひどい国だったのか。たしかに、そんな絶対君主制の独裁国家なら、他の国の人たちから嫌われても仕方ないな」
「そうなんですよぉ。だからこの前、クロさんがアルバカンの王都を地上から消し去ってくれた時は、みんなで盛大にお祝いしたんです。とうとう神さまの裁きが下ったんだって、あの日は街中大喜びのお祭り騒ぎでしたから」
「い、いや、その件はワタクシ、ノータッチということで……」
九郎は思わず顔を引きつらせながら目を逸らした。
「え~、別に隠さなくてもいいじゃないですかぁ。ベリン教とバステラ教の司祭様も、『あの爆発は自分たちの神の導きだ』って言い争いながら、腕を組んで踊り出していましたからねぇ。正直に名乗り出れば、クロさんは本物の救世主として崇められると思いますけど」
「いや、マジでそれは、カンベンしてつかぁさい……」
今度は渋い表情を浮かべ、手を横に振って言う。
「真面目な話、あの爆発がオレのせいだってアルバカンのヤツらにバレたら、まず間違いなく暗殺リストの第一位になるからな。そうなると、いつ背中を刺されるか分かったもんじゃない。つまり、オレがこの先、平穏無事に生きていくには、あの爆発の真相を闇に葬らなくてはならないってことだ。だからみんな、悪いけど、マジで絶対に誰にも言うなよ? いいな? 約束だからな? ほんとマジで頼んだからな?」
「おう、任せろ。あたしはけっこう口が堅いからな」
「はぁい。わたしもたぶん、知らない人には一言ももらしませぇん」
「うむ。自分もいざという時以外は、絶対にしゃべらない自信があるぞ」
「はい、よーし。緑と黒髪はちょっと正座して反省しろ」
九郎は二人をじっとりとした目つきでにらんだ。
するとクサリンはにっこり微笑み、
コツメは淡々とした表情のまま前方を指さした。
「おい、クロ。馬車が見えるぞ」
「馬車?」
目を向けると、たしかに街道のはるか先に黒い点が見える。
しかしどれだけ目を凝らしても、馬車かどうかは判別できない。
「……むぅ、分からん。あの黒い点が馬車なのか?」
「うむ、間違いない。全部で……六台だな」
「六台? 何で馬車が六台も、あんな何もない道の真ん中で止まっているんだ?」
「そうだな……」
コツメは腰のナイフを二本抜き、手の中でくるりと回して再び戻す。
「うむ。昼前のこの時間に、盗賊が行商人を狙っているとは思えない。かといって、ラッシュの警備兵があそこまで先回りしているはずもない。つまり、理由は分からない。しかし用心に越したことはないだろう。この辺には畑がなく、人通りもほとんどないからな」
「ああ、たしかにそのとおりだな。――おい、オーラ」
「おう、どうした」
九郎はオーラを呼び寄せ、歩きながら全員に話しかける。
「おそらく一キロほど先に、六台の馬車が止まっている。まあ、滅多なことはないと思うが、一応、最悪の事態を想定して準備をしておくぞ。コツメ、あの馬車は何人乗りだ?」
「客車はおそらく、六人乗りだ」
「ということは、御者を入れると七人。最大で四十二人か。オレたちだけで制圧するのは無理だな。しかし、あの馬車に追いかけられたら、この見晴らしのいい街道では逃げ場がない。つまり、ヤツらと戦闘になったら勝てないし、逃げられないってことだ。となると、現実的な打開策は一つしかない」
「おうっ! あたしが全員ぶっ飛ばすんだなっ!」
「うむ。自分が一人残らず暗殺しよう」
「わたしがまとめて呪い殺しまぁす」
「はい、よーし。脳筋どもは黙ってろ。というか、クサリンはマジで怖いからやめてくれ」
三人娘の提案を一蹴して、九郎は一つため息を吐く。
「この状況で一番の安全策は、北に見える森に入って馬車を避けることだ。しかしそれをすると、かなりの遠回りになってしまう。まあ、それでも夜までには次の村にたどり着けるはずだが、ここはあえてまっすぐ行こう。こういう状況はいつだって起こる可能性があるし、そのたびに逃げ切れるとは限らないからな。だから心構えができる今のうちに、実戦を想定した打ち合わせをしておくぞ」
「おうっ! 実戦ならあたしに任せろっ! 早くケンポーパンチを使ってみたかったからなっ!」
オーラは腰を落として滑らかに進みながら、拳を次々に繰り出していく。
「あー、はいはい。ここ数日でおまえの八極拳がかなり上達したのは知ってるから、とにかく今は話を聞け。ラノベやアニメでは事前の打ち合わせなんかしなくても、勝ち負けは作者の都合でどうとでもなるが、現実はそうもいかないからな。特に――」
「ふむ、またアニメの話か」
「あーそうだよっ! またアニメのお話ですぅ! というか、オレの思考を先読みすんな」
不意に口を挟んできたコツメに怒鳴り、九郎は咳払いをして話を続ける。
「あー、おほん。特にどの作品とは言わないが、あのバトル系アニメなんかはかなりひどいというか、ひどすぎたからな。何しろ戦闘のプロっぽいキャラが、『戦略も戦術もちゃんとありまぁす』みたいなことを言っておきながら、結局すべて行き当たりばったりという、草も生えないグダグダ展開に日本中が白目を剥いたほどだ。それに引き換え、あの戦記系アニメはすごかったなぁ。タイトルを見た時はぎょっとしたが、中身は見応え抜群の神アニメでマジびびったぜ。思わずブルーレイをポチって二回も見直したからなぁ。あぁ~、地球に戻ったらもう一度見たいなぁ~」
「おい、クロ」
不意にコツメがアゴをしゃくった。
「クサリンより小さい女子の話はもういいから、さっさと本題に入れ。馬車までもう、あまり距離がないぞ」
「おっと、そうだったな」
九郎は瞬時に馬車までの距離を目測した。
「えっと……そうだな。このまま行くと、あと十分ほどで馬車の横を通り過ぎる。その時にあいつらが敵だと分かったら、一番先頭の馬車を奪って逃げるぞ」
言って、コツメに指を向ける。
「その時はまず、コツメがスバランを使って、先頭以外の馬車を走行不能にしろ。具体的には、馬と客車を繋いでいるハーネスを切断するんだ。そして、先頭の馬車に乗っているヤツらを倒してくれ」
「うむ、よかろう」
九郎は続いて、クサリンとオーラに目を向ける。
「コツメがスバランを使ったら、クサリンはオーラにマシマシをかけてくれ。オーラは炎のパンチで敵を倒しながら馬を驚かせるんだ。ハーネスが切れた馬は散り散りに走って逃げるから、その隙にオレたちは先頭の馬車を奪って逃げる。――とまあ、手順は以上だが、何か質問はあるか?」
「自分はハーネスの切断が優先なんだな?」
すぐに質問してきたコツメに、九郎は首を横に振る。
「いや、最優先は先頭の馬車の確保だ。状況にもよるが、他の馬車のハーネスは無理に切断しなくてもいい。馬車を確保したら、オーラの援護に回ってくれ」
「うむ、分かった」
コツメがうなずくと、続いてクサリンが口を開く。
「わたしはオーラさんにマシマシをかけたあと、どうすればいいですか?」
「そうだな……クサリンはオレの後ろに隠れて、誰かがケガをした時のために、いつでもハトバクをかけられるようにしていてほしい。そしてコツメが馬車を確保したら御者台に乗って、オレの合図で馬を走らせてくれ」
「マシマシ、ハトバク、馬車の操縦ですね?」
「そうだ。そしてオーラは――」
「あたしはケンポーパンチを撃っていればいいんだろ?」
言って、オーラは拳を突き出した。
「そうだけど、一発目は噴水を壊した時のようなド派手なヤツを頼む。いきなり炎が飛び出したら、敵はかなりビビるからな。二発目からは、敵を一人ずつ確実に倒してくれ。そしてオレが声をかけたら、どんな状況でもすぐに馬車に飛び乗るんだ。ただし、みんな、よく聞いてくれ」
一旦口を閉じて、九郎は全員を見渡した。
「いいか? 今まで話したのはオレの想定だ。そしてその計算には、敵の魔法が入っていない。戦闘中に魔法で攻撃してくるヤツは少ないそうだが、魔法戦闘のプロが混ざっている可能性はじゅうぶんにある。だから当然、想定外のことが起きる危険性も常にある。一応、その場合の対策も用意はしているが、オレが逃げろと言ったら全員すぐに逃げてくれ。オーラとコツメは馬を奪って、どちらかがクサリンを連れて逃げるんだ」
「それはいいけど、そしたらクロウはどうするんだよ」
オーラが訊くと、コツメもクサリンも九郎を見つめる。
「オレなら大丈夫だ。とりあえず、裏技を二つほど用意しているからな」
「何だよ、裏技って」
「裏技は裏技だ。死ぬよりはマシって状況でないと使いたくもないし、試したくもない方法だ。だから、できるだけ誰にも話したくないし、見せたくないんだよ」
言って、九郎は腰の後ろに手を伸ばす。
そのまま二本の棒を鞘から引き抜き、ネジ部分を組み合わせる。
そして、長さ一八〇センチの細長い棍棒をクルリと回し、戦闘準備を整えた。
「まあ、とにかく、今回の馬車対策はそんな感じだ。停止している馬車に近づく時は二列縦隊でいくぞ。オレとクサリンが前で、オレが馬車側を歩く。オーラはオレの後ろで、コツメはクサリンの後ろだ。こちらが警戒していることを相手に気づかれないように注意して、あとは臨機応変に動いてくれ」
「おうっ!」
「はい」
「うむ、苦しゅうない」
三人は返事をして、動きやすいように荷物を持ち直した。
オーラは赤い布製のバッグをたすき掛けにして、
右の拳を左の手のひらに叩きつける。
クサリンは草色の背嚢を軽く背負い直し、盾から緑色のステッキを引き抜いた。
コツメは黒い革の肩掛けカバンを尻の後ろにずらし、白いローブの前を閉める。
九郎は右手に握った白桃色の棍棒を右肩にのせて、
腰の左にある茶色い革の肩掛けカバンに左手を置く。
そうして四人はゆっくりと、六台の馬車に近づいていった。