第四章 5
「――それじゃあ、みんな。今から一人ずつ、自分の魔法を紹介してくれ」
わずかに赤みが残る夕焼けの空の下、
九郎はたき火を囲む三人娘に声をかけた――。
うっそうと茂った森の中を北東に進んだ九郎たちは、
日が沈む前に野営の準備に取り掛かった。
場所は独立自治区とアルバカンの境い目付近――。
近くに小川があるので水の心配はなく、
街で購入した食材があるので食事にも困らない。
そこで九郎は炊事を後回しにして、
日があるうちに全員の能力を披露し合うことにした。
「とりあえず、言い出しっぺのオレから始めるぞ」
九郎は水を汲んだブリキのカップを手に取って、皆に見せる。
「いいか? このカップをよく見ていてくれ。――アタターカ」
カップにかざした右手に黄色い魔法陣が浮かび上がる。
するとみるみるうちに泡が立ち、水があっという間に沸騰した。
「これがオレの魔法だ。分子を振動させることで水や食べ物を温めることができるし、洗濯物だって乾かすことができるんだ。どうだ、すごいだろ」
九郎は自慢げな顔で胸を張った。
しかし、石の上に腰を下ろした三人は、無言のまま口を開かない。
オーラはカップを見ながら首を傾け、
クサリンはぱちくりとまばたきしている。
コツメに至っては、手にした枯れ枝で、地面に「×」を書き続けている。
「……え? お、おい、どうしたんだよ。何だかちょっと、反応が薄くねーか?」
「ああ、いや――」
訊かれてオーラが、ふと、たき火を指さした。
「えっとさ、水と食料を温めるのって、たき火じゃダメなのか?」
「ん・が・んっん」
九郎は愕然とした。
そして、手にしたカップをカタカタと揺らしながら口を開く。
「あ……あはは、い、イヤだなぁ、オーラさん。あなたいったい、何を言っちゃっているんですか……? オレの魔法があれば、いちいちたき火を熾す必要がないんですよ? 街でも森でも、いつでもどこでも温かいお食事ができるんですよ? こんな便利な魔法、他にあるわけないじゃないっすか」
「でもさ、そういうのって、火の魔法の方がいいんじゃないか? だって、街の中にはかまどがあるんだし、森やダンジョンではたき火でじゅうぶんだろ。それに、たき火だったら体も温まるじゃん。クロウの魔法って、別にいらなくないか?」
「ぐっは」
その瞬間、九郎は半分白目を剥いた。
するとクサリンが口に手を当てながら、ひそひそとオーラに話しかける。
「……ちょっとオーラさん、やめましょうよぉ。使えない魔法を覚えた人に、そういうことをいうのはマナー違反ですよぉ」
(……おいこらテメー、草むすめ。全部丸聞こえだぞ、このヤロー)
九郎は緑髪の女の子をじっとりとにらみつけた。
しかしクサリンは、逆に九郎を見つめてにっこりと微笑んだ。
(こ……こいつ、何かすげーむかつくな……。何でこのオレが十三の小娘ごときに、そんな憐みの込もった笑みを向けられなくちゃならねーんだよ。このヤロー、ちょっと可愛いからって調子ぶっこいてんじゃねぇぞコラ。あぁん? プリティレベルじゃオレの方が圧倒的に上なんだからな? その辺ちゃんと分かってんのか、この森ガールは。あぁん? おうコラ、あぁん?)
九郎は奥歯を噛みしめながら、ブリキのカップに指を食いこませた。
そして引きつった笑みを浮かべて口を開く。
「そ、それじゃあ次は、クサリンの魔法を見せてもらおうか。おまえのは利用価値の高い、すごい魔法なんだよなぁ?」
「はぁい! もちろんでぇす!」
クサリンは小さなこぶしで平らな胸をぽーんと叩いた。
「わたしはこれでも女神の祝福を受けていますからねぇ。四つの魔法がつかえるんですぅ」
「えっ! おまえ、四種類も魔法が使えるのか!?」
九郎が驚くと、オーラも感心した表情でクサリンを見つめ、
コツメは地面に「〇」をいくつも書いている。
クサリンは自信たっぷりに微笑みながら言葉を続ける。
「はぁい。まず一つは、どんな植物でもあっさり引き抜くことができる、『スポーン』の魔法ですぅ」
その瞬間、九郎とオーラは小さく息を吐き出した。
「スポーンは本当にすごいんですよぉ? どんな花や草でも、スポンスポン引っこ抜けますからねぇ。ゴボウだってレンコンだって一発ですし、タンポポを引き抜いたときなんか、根っこの長さがすごすぎて、思わず『きゅぅ~』って声が出ちゃうくらいすごいんでぇす」
「アー、ウン、ソッスネー。それはたしかに、薬師には最高の魔法っすネー」
九郎は思わず棒読みでほめた。
するとクサリンは嬉しそうに微笑んで、オーラにも目を向ける。
「そうなんですよぉ。やっぱりクロさんもそう思いますよねぇ。オーラさんはどう思いますかぁ? やっぱりスポーンは最高ですよねぇ?」
「いや、ぜんぜん使えないな」
訊かれたとたん、オーラは瞬時に手のひらを向けた。
「ゴボウなんて普通に抜けるし、タンポポなんか抜く必要すらないじゃん」
その瞬間――クサリンは腰の箱から金属ケースを素早く引き抜き、
オーラの顔面にしびれ薬をぶっかけた。
「ぶわっ! ぶほっ! ぺっぺっ! おい、こら、クサリン! いったい何を……って、はれ?」
しびれ薬を思いきり吸い込んだオーラは、すぐに横に倒れて動きを止めた。
同時に九郎は呆気に取られて口をぽかんと開き、
コツメは超高速で「×」を書きまくっている。
ケースを箱に戻したクサリンは、微笑みながらゆらりと立ち上がった。
そして、地面に倒れたオーラの前でしゃがみ込み、
赤いジャケットに手をかざしながら口を開く。
「わたしの二つ目の魔法はこれでぇす。――マシマシ」
魔言と同時に、小さな手のひらの前に緑色の魔法陣が浮かび上がった。
すると、ぴくぴくとけいれんしていたオーラの体が、
びくんびくんと波打ち始めた。
「えっ!?」
九郎は驚愕して目を剥いた。
そしておそるおそる口を開く。
「お、おい、クサリン。その魔法はいったい何だよ……?」
「これは『マシマシ』といって、薬や魔法の効果を高める魔法なんですぅ」
訊かれたとたん、緑の薬師はニヤリと笑った。
「距離が遠いと使えないのですが、今はしびれ薬の効果を高めてみましたぁ。うふ、うふふ。ねぇ、クロさん、見てくださぁい。なんだか今のオーラさんって、陸に打ち上げられた魚みたいで、ちょっと面白いですよねぇ。――あーかいおさかな、ぴっくぴくぅ~。陸に上がってぴっくぴくぅ~」
クサリンはオーラを見下ろしながら、楽しそうに鼻歌を歌い出した。
オーラは地面の上で泡を吹きながら、ガクガクと体を震わせている。
その斜め横で、コツメはバイオハザードマークを一心不乱に描きまくっている。
(や、やばい……。やっぱりこいつは毒むすめだ……。ドライな性格だとは思っていたが、そんなちゃちなレベルで収まるようなヤツじゃない……。もっと恐ろしい片りんを垣間見たような気がするぜ……)
九郎は額に浮いた汗をローブの袖で拭い取る。
すると急にクサリンがオーラの手の甲を爪で引っかいた。
そして、ほんのちょっぴり出血させて話を続ける。
「それで、これが三つ目の魔法になります。――ハトバク」
魔言と同時に、クサリンの手の前にどす黒い魔法陣が浮かび上がり、
すぐに消えた。
そしてクサリンは、自分とオーラの手を九郎に向ける。
その瞬間、九郎は鋭く息を吸い込んだ。
オーラの手にあったひっかき傷が消えてなくなり、
代わりにクサリンの手の甲に傷がある。
「えっ? 何それ? それってもしかして、傷を移動させたのか?」
「はぁい。そういうことでぇす」
クサリンはにじみ出た血をぺろりとなめて、にっこり微笑んだ。
「正確には、攻撃してきた相手に、ダメージをそのまま返す呪い魔法です。わたしが見える範囲に相手がいないと使えませんが、見える範囲にさえいれば、どんな傷やダメージでも返すことができます」
「どんな傷でもって……それじゃあ、致命傷でも返せるってことか?」
「はぁい。死んでさえいなければ、大抵の傷は返せますから」
「マジかよ……」
九郎は小さな薬師をまじまじと見つめた。
「なんちゅー恐ろしい魔法だ。たしかにヒールより使い勝手は悪いが、即死しなければ、ほぼ無敵じゃねーか」
「いえ、残念ですが、そこまでいわれるほどすごくはないです。戦闘中に魔法を使うのはすごく難しいですから」
「うむ」
クサリンが手を横に振ったとたん、コツメも一つうなずいた。
「戦場では魔法よりも、剣や弓の方が圧倒的に早い。魔法戦闘の達人でもない限り、魔法使いはすぐに狙われて殺される。兵士が戦闘中に魔法を使わないのは、そういう理由だ」
「なるほどな……。たしかにラノベやアニメみたいに、魔法が発動するまで敵が待ってくれるはずがないもんな。つまり、クサリンの魔法を活用するには、敵の攻撃から守る必要があるってことか……。それじゃあクサリン。最後の四つ目はどんな魔法なんだ?」
「それが実は、人に話すことができないんです」
言って、クサリンは元の石に腰を下ろす。
「話すことができない?」
「はい。四つ目もハトバクと同じ呪い魔法なんですけど、人に話すとよくないことがおきる危険な魔法なんです。だからすみませんが、説明はできないんです」
「そ……そうか。それなら仕方ないな。だけど、何でそんなおっかない魔法なんか覚えたんだ?」
「えぇ~、そんなの決まっているじゃないですかぁ。呪いたい相手がいたからでぇす」
「そ……そっすか……」
唐突に最高の笑顔を見せたクサリンから、九郎は目線を横に逸らした。
(やばい……。こいつはあれだ。恐ろしいとか毒むすめとか、そんなレベルなんかじゃなかった……。黒いんだ。見た目は無害そうな緑の妖精なのに、腹の底から真っ黒じゃねーか……。よし。これからこいつのことは腹黒ミドリと呼ぶことにしよう。きっといつか、銀縁メガネがよく似合う陰の実力者に成長するはずだ……)
九郎は大きく息を吐き出した。
そしてすぐに、黒髪の少女に目を向ける。
「それじゃあ、コツメ。オーラはしばらく動けそうにないから、今度はおまえだ。おまえはどんな魔法を使うんだよ」
「うむ。自分の魔法は『スバラン』だ」
自分の足下に「の」の字を書きながら、コツメは淡々と答える。
「スバラン? それはどんな魔法なんだ?」
「大した魔法ではない。少しだけ早く走れる魔法だ」
「えっ、マジで? 何だよ、おい。それってけっこうすごい魔法じゃねーか」
「別にすごいことはない」
コツメは澄ました顔で返事をしながら、「の」の字を通り越して、
ぐるぐると円を描いている。
九郎は身を乗り出してさらに言う。
「いやいや、そんな謙遜なんかしなくていいぞ。早く走れるってのは、アニメやドラマではほとんど最強だからな。奥歯のスイッチを噛んで加速する装置とか、心臓を止めて二倍の速さで動くダブルなアクセルとか、雷に打たれて赤い閃光になったヤツとか、全員文句なしのメインキャラだからな。そんな魔法に比べれば、オレのアタターカなんてお話にもならないぜ。できれば今からでも、おまえの魔法に取り換えたいぐらいだ」
「いやいや。いやいやいやいや。自分の魔法は、そこまで言われるほどのものではない」
言って、コツメは枝の先を地面に突き刺し、ぼきんと折った。
「いやいや、マジですごいって。なあ、クサリン」
「はぁい。わたしもすごい魔法だと思いますぅ。よかったら、その魔法を見せてくださぁい」
「おお、そうだな。コツメ、見せてくれよ。おまえの魔法がどれくらい早いのか、オレも見てみたいからな」
「お……おう……。あたしも、見たい……」
不意にオーラもぷるぷると体を震わせながら起き上がり、
石にしがみついてコツメを見上げた。
「ふむ。ふむふむ、そうか。皆がそこまで言うなら仕方がない。ローブを脱いでくるから少し待て」
コツメは手の中に残った枝をばきばきに粉砕しながら立ち上がった。
そして三人に背を向けて、木陰に置いた荷物の方へと向かっていく。
(早く走れる魔法か。それなら戦闘中にも使えそうだな)
九郎は白いローブの背中を見送りながら、一つうなずく。
そしてすぐにオーラを見た。
「おい、オーラ。体はもう動くのか? コツメの次はおまえの番だぞ」
「おう……任せろ……。このしびれにも、だんだん慣れてきたからな……」
オーラはじりじりと石に這い上がり、何とかまたいで尻を下ろす。
その動きを見て、クサリンは嬉しそうに微笑んだ。
「わぁ、オーラさん、すごいですぅ。あの量でこんなに早く動けるなんて、馬並みに強い体なんですねぇ~」
「おう……、あたしはもちろん、馬並みに強いからな……」
「それじゃあ、次は二倍の量でもいけそうですねぇ~」
「おう。あたしはもちろん、何でも多い方が好きだからな」
「さっすがオーラさぁん。なんだかとってもかっこいいですぅ~」
「おうっ! あたしはもちろん、けっこうかっこいいからなっ!」
オーラは一言ごとに元気を取り戻し、こぶしを握って声を上げた。
その姿に、九郎はそっと息を漏らした。
(……オーラよ、いい加減、その辺で気づいてくれ。『かっこいいですぅ』とか、『そこにしびれる憧れるぅ』とか、そういうセリフはほめ言葉なんかじゃないんだ。それは相手をおだてて調子にのせて、自滅させるためのトラップだ。それを無邪気な顔でナチュラルに使いこなすその毒むすめは、まさに悪魔の化身だぞ……)
そう思ったが、九郎は無言でたき火の炎を見つめ続けた。
すると不意にクサリンが、木陰の方に目を向けた。
「……それにしてもコツメさん、ちょっと遅くないですかぁ?」
「うん? ああ、そういや、そうだな」
九郎も顔を上げて横を向く。
コツメが木陰に足を向けて、既に数分が経っている。
「ローブを脱ぐだけにしては、ちょっと遅いな……」
「ぅおいっ! クロウぉっ!」
「クロさんっっ!?」
不意にオーラとクサリンが声を張り上げた。
危険を告げる鋭い声だ。
九郎はとっさに周囲を見た。
そして背後を振り返ったとたん――両目を限界まで見開いた。
「ンなっっ!?」
驚愕しながら反射的に後ろに跳んだ。
そしてクサリンをかばうように両手を広げて声を張り上げる。
「おっ!? おまえはっ!?」
九郎の背後にいたのは、黒装束の人物だった。