第四章 3
「――あれ? おまえ、こんなところで何やってんだ?」
宿屋オリビア亭に戻った九郎は、食堂のカウンター席を見たとたん、
思わずきょとんとまばたきをした――。
クサリンを仲間に加えた九郎とオーラは、旅支度を整えるためにいったん別れ、
それぞれの宿屋に戻っていった。
クサリンはそのまま食料の調達に向かい、街の北門で落ち合う約束をしている。
足早に宿屋に戻った九郎は、二階につながる階段へとまっすぐ向かった。
しかし食堂を突っ切る途中、一人で朝食をとっている人物にふと気づき、
思わず足を止めて声をかけた。
「……朝ごはんを食べている」
長い黒髪の若い女は、わずかに振り返って淡々と答える。
そしてすぐに前を向き、クロワッサンにかじりつく。
さらに木のお椀を口に運んで玉ねぎのスープをすすり、
トマトと玉子の炒め物を黙々と食べ続ける。
「いや、それは見れば分かるけど……おまえ、たしかコツメだったよな? 何でこんなところにいるんだよ」
九郎も隣の席に腰を下ろし、女を見つめた。
厚手の白いローブを羽織った女性は、ジンガの村で出会った少女に間違いない。
「……少し前に、この街に来た」
コツメはやはり、淡々と言葉をこぼす。
「民兵ギルドに登録して、今はこの宿屋に泊っている」
「えっ? おまえ、ここに泊っていたのか? ぜんぜん気づかなかったぜ」
「そういうこともあるだろう。それよりも――ほら」
コツメは不意に二枚の金貨を取り出して、九郎の前に差し出した。
「うん? 何だよ、この金貨は」
「おまえに渡せと言われて預かってきた。ケイとかいう、背の高いヒーラーの女だ。詳しい事情は聞いていない。この宿屋にいるおまえに渡せば、それで分かると言っていた」
「えっ? ケイさんが、これをオレに?」
呟きながら金貨を見た瞬間、九郎は、はっと気づいた。
(ああ、そうか、そういうことか……。これはおそらく、魔法の授業料の分だ。オレがサーネさんに金を払ったことを耳にして、追加として送ってくれたんだな。まったく……。こんな気配りされたら、思わず泣きたくなるじゃねぇか……)
九郎は奥歯を噛みしめながら、心の中で感謝した。
「なるほどな。それでおまえは、この宿屋に泊っていたってわけか」
「そういうことだ。ここの料理はなかなか美味しいから気に入った」
言って、コツメはクロワッサンを頬張り続ける。
「そうだな。たしかにここの料理はかなり美味い。特にハーブの煮込みチキンがお勧めだ。まだ食ってなかったら、一度は試してみた方がいいぞ」
「あれなら昨日、二本食べた。骨まで食べられる柔らかさは素晴らしい。今夜も食べるつもりだ」
「いや、それはさすがに食べすぎだろ」
九郎は軽く肩をすくめ、巾着袋に金貨をしまう。
そして、食後のお茶を静かにすするコツメに改めて目を向けた。
「それよりおまえ、民兵ギルドに登録したって言ったよな? ってことは、今は何かの依頼を引き受けているのか?」
「いや。ギルドの仕事は受けていない。あのヒーラーの頼みが終わってなかったからな」
「なるほどな。だったらちょうどいい。暇ならオレのパーティーに入らないか? 目的は――」
「いいだろう」
「三週間以内に魔王を倒すこと――って、いいのかよっ!」
即座に了承されて、九郎は思わず声を上げた。
コツメはさらに淡々と言葉を続ける。
「ああ、かまわない。ただし、自分の目的は、死ぬまで気楽に生き抜くことだ。だからなるべく楽をしたいし、そうするつもりだ。それでもいいならパーティーに加わろう」
「……はい?」
九郎は思わずじっとりとした目つきでコツメを見た。
「死ぬまで気楽に生き抜きたいって、おまえはオレか? オレなのか? オレのドッペルゲンガーさんなのか?」
「はて。そのドッペルゲンガーさんとやらが何なのかは知らないが、あまり働きたくないという意味なら、そのとおりだ」
「おいこらおまえ、ちょっと待て。何だ、その言い方は? おまえが自分のことを怠け者だと自覚するのは勝手だが、オレまで一緒にするんじゃねーよ。オレはこう見えて勤労意欲は人一倍強いんだ。というかおまえ、まさかオレのことをディスってんのか?」
「さて。そのディスっているという意味はよく分からないが、リスペクトしていないというのなら、そのとおりだ」
「めっちゃ分かってるじゃねーかっ! リスペクトって言ってる時点で、これ以上ないほど完璧に分かってるじゃねーかっ! おまえ、ほんとはオレのことをおちょくってるだけなんじゃねーのかぁ? あぁん? おうこら、あぁん?」
「それで――」
コツメは茶を飲み干して、湯飲みをカウンターにコトリと置いた。
「どうするんだ? 自分をパーティーに加えるのか?」
「こ……コノヤロー……完全にスルーしやがった……」
九郎はこぶしを握りしめてコツメをにらんだ。
しかしコツメは涼しい顔で澄ましている。
九郎は一つ息を吐き出し、肩の力を抜いてうなずいた。
「……そうだな。何も聞かずに誘ったのはオレの方だし、今は一人でも頭数がほしいからな。それじゃあ、コツメ。オレたちは今から仲間だ。よろしくな」
「うむ。いいだろう」
九郎は頬を緩めながら片手を差し出す。
コツメはローブの隙間からそっと手を出し、軽く握った。
「よし。それじゃあ、コツメ。早速で悪いんだが、旅の支度に取り掛かってくれ。今からウーマシカっていう山まで、薬の材料を採りに行くんだ。準備ができたら、宿屋の前で待ち合わせだ」
「そうか。分かった」
コツメは一つうなずき、すぐに二階の部屋へと向かっていく。
九郎も続けて階段に足をかける。
するといきなり、誰かに声をかけられた。
「――あっ、すいません、クロウさん」
「え?」
振り返ると、受付カウンターの中年女性が手招きしている。
オリビア亭を切り盛りする、女主人のオリビアだ。
「お荷物が届いていますよ」
「荷物?」
女主人はカウンターの横の大きな箱を手で差している。
小さな子どもならすっぽり収まりそうな横長の木箱だ。
九郎は小首をかしげながら、カウンターに足を向ける。
「荷物って、オレにですか?」
「はい。送り主は、イカリン伯爵様だそうです」
「あっ!」
九郎は思わず手を打った。
(やっべ、そうだった。そういえばエスタさんが、追加の報酬を送るって言ってたっけ。昨日は何だかんだで宿屋に戻れなかったからな、すっかり忘れてたぜ)
「すいません、オリビアさん。一晩預かってもらっちゃって」
「いえいえ、かまいませんよ。それより、お部屋までお運びしましょうか?」
「ああ、大丈夫です。これぐらいなら、一人で持てますから」
にこにこと微笑んでいるオリビアに、九郎は軽く頭を下げた。
そして木の箱を抱え上げ、そのまま二階の部屋へと運び入れる。
「――さぁて。何やらけっこう重たかったけど、いったい何が入ってんだ?」
少しわくわくしながらふたを開けた。
直後、思わずぱちくりとまばたいた。
「こ……これはまさか……」
九郎は呆然としながら、箱の中身を次々に引っ張り出した。
それはすべて衣類だった。
しかも、九郎が着ている服とまったく同じデザインだった。
セーラー服とズボンとブラウスが、色違いで三着ずつ。
革のブーツが三足。
桃色のローブが一着。
そして、下着のセットが七着に、靴下が七足も詰められている。
「追加報酬って……そうきたか……」
九郎は両手に白いパンティーを握りしめたまま、がっくりと膝をついた。
「ありがたい……。本当に、心の底からありがたい……。これでもう、すっぽんぽんで全裸洗濯をしないで済む……。だがしかし、何かが違う……。何でこのオレが、女物のブラジャーやらパンツやらを恵んでもらって、こんなに喜ばなきゃいけないんだ……」
天を仰いだ九郎の頬に、一筋の涙が静かに流れる。
九郎は両手に握ったパンティーに顔を埋めた。
そして、塩辛い涙を拭き取った。